【動画あり】公害が最悪だった昭和40年代の生活環境とはどんなものだったのか

2015/9/25 18:42 服部淳 服部淳


どうも服部です。昭和の動画を紐解いていくシリーズ、今回は静岡県の浜松市がYouTubeに公開している「まちの診断」という1972年(昭和47年)に放送された映像を取り上げていきます。



1972年といえば、今(2015年)から43年前。第二次ベビーブーム世代(1971~74年)が生まれた頃であり、「高度経済成長期(一般に1954~1973年といわれる)」の最晩年でもありました。

「日本列島改造論」を提唱する田中角栄氏が内閣総理大臣に就任。日中国交正常化が結ばれ、国交の回復を記念して中国からパンダのカンカン・ランランが上野動物園に贈られたのもこの年でした。では、見ていきましょう。
※動画はページ下部にあります。




「富士市」の字幕から映像は始まります。背後では煙突から煙が上がってきています。富士市といえば「製紙の街」と知られるだけに製紙工場だと思われます。


続いては「田子の浦港」が映し出されます。製紙工場からの排水が原因で田子の浦港にヘドロが堆積、水質汚染や悪臭をもたらしました。「田子の浦港ヘドロ公害」として学校で習ったのを記憶されてる方も多いのではないでしょうか。


静止画像では伝わりにくいですが色の濃い部分が海水面で、白い部分はヘドロの影響か水質汚染で泡だっているように見えます。




昭和40年代の新聞には、公害で亡くなった子供やお年寄りの記事がたくさん載っていました。「川崎で22人目」「四日市で56人目」と見出しも見て取れます。四日市については、4大公害病の1つに数えられる「四日市ぜんそく」が原因でしょうか。


今では当たり前に思える「産業よりまず健康」という見出しが、デカデカと紙面を飾っていました。


当時の浜松市の「公害苦情件数」を見てみると、昭和43年にいったん95件と落ち込んだものの、そこから46年までうなぎ登りで266件まで増えています。


その内訳は騒音(91件)、大気汚染(76件)、悪臭(38件)、水質(36件)、振動(21件)の順となっていました。




騒音、振動に関しては、当時そこら中で施されて公共工事によるものでしょう。下の画像は学校(中学校?)と思われる建物の庭に巨大なボーリングマシンで穴が掘られています。生徒たちは勉強どころではないでしょう、大勢が窓からのぞいています。


モクモクと黒煙を吐き出す煙突。苦情の2位である大気汚染の原因は、1つはこうした工場からの排煙であり……、




そして車からの排気ガスです。現在、車の燃料として使われているガソリンは無鉛(鉛が入っていない)ですが、1972年3月末までに製造された国産の自動車は、すべてがテトラエチル鉛という毒物が添加された「有鉛ガソリン」仕様車でした(その後、日本で自動車用ガソリンの完全無鉛化が達成されたのは1986年《昭和61年》のこと。世界初の事例でした)。


歩道橋に貼られた方面及び距離の案内標識も、少しくすんで見えています。




このような大気汚染の原因となる排気ガスについては、一酸化炭素濃度などに基準が設けられ、基準を超える車は整備を義務づけられるようになったそうです。


こちらは浜松市内を流れる「馬込川」です。川沿いには工場らしき建物も見えます。


濁った水がジャアジャアと流れ込んできています。当時はまだ市の下水処理場が整っていなかったのでしょう、工場や家庭からの排水がそのまま川に流れ込んでいたようです。


近隣に在住の方でしょうか、インタビューをされています。

10数年前は魚も棲んでいて魚釣りをしたりボートを漕いでいる人もいたけど、こんなに汚くなってしまって。工場や家庭排水も原因ですが、鶏や犬が死んだのを捨てたり、ゴミを捨てたりするもんだから、夏場は臭いし不衛生。一日も早く元のようなキレイな川にしてもらいです。

男性はそう答えていました。


男性が答えたように、鮮明には見えませんがたくさんのゴミが捨てられています。


そしてこちらには、子犬の死骸のようなものも浮いています(モザイク処理は著者)。

現代の感覚からすると、なぜ犬をそんな酷い扱いで……と思ってしまいますが、以前公開した「昭和40年代の日本はまだまだ発展途上だった」という記事では、昭和41年当時、静岡県内に野犬(飼い主がなく、野生化した犬)が約1万頭いてとても危険なため、静岡県と浜松市が協力して野犬狩りをしていたことを紹介しました。その6年後とはいえ、まだ完全に犬=ペットという状況ではなかったのでしょう。



いかがでしたか? この映像全般にわたっては、公害が酷くなっていた時代に、国や自治体、企業がどのように対応をしていき、どのような効果があったかということが中心に述べられていますが、今回の記事ではその「努力が実る前」の大変な状況を切り取ってお送りしました。割愛しました部分もとても興味深いですので、お時間が許せばぜひ下にありますYouTube動画もご覧ください。

(服部淳@編集ライター、脚本家)



■【動画】「まちの診断」ー浜松チャンネル(昭和47年)


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