『生きていくの大変すぎ!』と驚愕する昭和30年代の日常まとめ2

2014/9/3 22:03 服部淳 服部淳


どうも、服部です。昭和30年代を舞台にした映画「ALWAYS 三丁目の夕日」や、その続編「ALWAYS 続・三丁目の夕日」の頃は本当に良い時代だったのか、当時のニュース映像で検証した前回記事「『これ本当に日本?』と驚く昭和30年代の日常まとめ1」の続きです。

前回記事では、鉄道事情・道路事情・タクシーやトラックの運転マナー事情を見て、交通事情に関していえば、昭和30年代は良い時代ではなかったかもしれないと結びました。

今回の記事では昭和30年代の住宅事情、治安、衛生面について書きたいと思います。



●【住宅事情】引っ越したいけど引っ越せない、超格差な住宅事情(昭和31年)



「大都会を空から眺めますと、立て込んだ家の間にアパートの集団住宅が目立つようになりました」というナレーションでニュース映像は始まります。田んぼや畑が広がっていて、現代に生きる者には、ちょっと大都会には思えませんが……。


団地の入居が開始になったばかりなのか、「移転おめでとうございます」という横断幕が張られています。そして「本日のご入居、誠におめでとうございます」とマイク音声が響き……。


団地に入居してきた引っ越しトラック(?)には若者たちが群がっています。荷台に乗っている者あり、車と併走する者あり。なんの騒ぎかというと、「新聞や牛乳配達の小僧さんたちが、飛び付くようにお手伝いをしています」とのこと。

引っ越しを手伝ったんだから、新聞(または牛乳)を取ってよね、ということになるのでしょうか。


ワイシャツにネクタイを締めたメガネの男性が、ホウキで部屋を掃いています。こちらもお手伝いの方でしょうか? 何に加入させられることになるのか、勝手に心配してしまいます。


この団地に住むには条件があり、月収が2万5千円以上、前回記事でも紹介しましたが、昭和35年の公務員初任給が1万2900円だったそうですから、現代でいうところの月収40万円くらいでしょうか。さらに気長くクジに当たるのを待たなくてはならないそうです。入居してきた住人は、とても嬉しそう。




今度は別のアパートです(マンションという言い方はまだ使われていないようです)。アパート前にはずらり高級車が並んでいます。


外観はこんな感じです。現代のマンションとさほど変わりません。


まるでホテルのようなベッドルームがあり、これまたホテルのようなバスルーム……。


そして当時では滅多に見ることはできない湯沸かし器付き。蛇口からお湯がジャージャー出ています。こちらのお家賃は月6万円なり(公務員初任給の約4倍)!!!



一方で、せっかく建てたのに人が住めない団地もあるようで……。

「水が不足のため、入るに入れず立ち腐れとなっている公営住宅」や、


こちらの県営住宅は、危ない崖の上に建てたため、次第に土台が崩れかかっているのだそうです。なんということでしょう。



すぐに入れる分譲住宅もあるにはあるようですが、頭金が30万円(現在価値で465万ほど?)も必要なのだそう。いずれにせよ、今も昔も大都市に住むには結構なお金が必要なようで……。


東京には、戦後間もなくに建てられた応急住宅がまだまだ残っていたようです。雨が降れば雨漏りもし、新しくできたアパートと比べると雲泥の差です。


このような応急住宅などに住み、予算内で住める住宅を待っている不足戸数は約250万戸、供給できるまで、あと10年はかかる状況だったそうです。

当たり前ですが、住宅事情に関しては現在よりずっと厳しかったようです。



●【治安事情】迷惑な人が多すぎ!?治安の悪さの種類が違った(昭和38年)



治安に関しては、昭和30年代も後半の昭和38年の動画を参照しました。静岡県警(または静岡県)が制作したと思われる、犯罪対策についての啓蒙動画のようです。タイトルは「これは迷惑」。


町をサングラスをかけ徘徊する素行の悪い人、いわゆる「愚連隊」と呼ばれる方々です(警察官が扮しているのかもしれませんが)。当時はこの「愚連隊」による迷惑行為が多かったようで……。

静岡県では昭和38年7月から「迷惑防止条例」を実施。他人に迷惑をかけた人を厳しく取り締まるようになったのだそうです。

例えば、女性を辱めたり、不安に思わせるような淫らな言動をするような……、


【粗暴な行為の禁止】
逆に、それまではこのような行為をされても、警察は取り締まってくれなかったということですかね。恐ろしすぎます。




こちらはリアルな現場でしょうか? 温泉街ではよく見られた光景らしく、温泉客相手に「いかがわしい写真」を売りつけようとしています。昔の漫画などで見たことがあります。

このような行為や、嫌がる客にしつこく客引きしてくる行為ももちろん迷惑行為です。


【不当な客引きなどの禁止】
迷惑な客引きは、最近でもまだ存在はしているようですが……。




こちらも、昔の漫画ではおなじみ「押し売り」行為です。使い道もないようなガラクタなどを、玄関先で売りつけようとし、断ってくるようなら包丁を床にぶち刺したり、「今さっきムショを出てきたばかりなんだ」などと脅し文句を言ったりするアレです。


【押し売りなどの禁止】
なかなか押し入られている時に警察を呼ぶのは大変そうですが、警察が駆け付けてくれば逮捕されるようになりました。って、それまではどうだったんでしょう???




続いては海水浴場での迷惑行為です。


人が泳いでいるすぐ真横をモーターボートがスピードを出して通り抜けていきます。これは実際の現場なのか、撮影のためにワザとやっているのか分かりませんが、どちらにしても危険極まります。
(※「Another」なら死んでます)


【海水浴場での危険行為の禁止】
さすがに、こんな危険なことは現在ではなくなっていると思います(と信じたいです)。




もちろん、現在だって犯罪はなくなってはいませんが、今よりもっと一般市民が迷惑行為に巻き込まれる危険性が高かったように見受けられます。
※写真は、交番に貼られた「しめだせ町のぐれん隊」の張り紙。



●【衛生事情ほか】野放しの犬、ゴミ捨て、マナーの悪さが酷かった(昭和37年)



最後の【衛生事情ほか】については、昭和37年の静岡県浜松市の市政ニュース映像から。


朝の町には、犬があちこちに見られたそうです。野良犬なのか飼い犬なのか、野放しの犬がたくさんいて、どの犬も飼い犬登録がされていないよう。人に噛みついたりするし、そこら中にフンをして衛生的にもマイナスです。


喫煙に関しては、もちろん現在のように厳しくありません。ここ新しく完成した市民会館の中では、「禁煙」の表示があるにも関わらず、タバコを吸っている人がそこここに見られます。


同じく市民会館、お客さんが帰った後はゴミだらけに。FIFAワールドカップ・ブラジル大会で日本人サポーターがゴミを持ち帰るシーンが話題になりましたが、昔からの習性ではなかったんでしょうか。


浜松市を流れる「新川」は「ゴミの川」と呼ばれていました。臭いにおいが立ちこめて、病菌の繁殖も起こり、伝染病の危険も出てきます。ほとんどのゴミは、夜間に家庭から投げ込まれていたようです。これは浜松市に限ったことではなく、東京などでも同じ状況だったようです。


公共施設へのいたずらも酷く、たとえばこの遊園地内の公衆トイレのガラスは、全部割られていたそうです。


この当時、市内に32ヵ所あった公衆電話ボックスも、扉が壊されたり、電話機にいたずらされたり、落書きされたりで、補修費が大変そうです。


道路の両脇は車庫と化しています。


「駐車禁止」の表示は出ているのに、駐車違反で取り締まられることは、まだなかったんでしょうか?


信号無視は、人も車も横行しています。スピード制限だって、ちっとも守られていないようです。


おかげで急増する事故に、救急車は休む暇もないそうですが、隊員たちの悩みは一般車両が道を譲ってくれることがないということ。教習所では学ばなかったんでしょうか。

ちなみに浜松市は当時、交通事故犠牲者の人口に対する割合が全国ワーストだったのだそうです。



いかがでしたか? 「大変な時代だったんだな」という部分を中心に、昭和30年代を駆け足で振り返ってみました。もちろん、「いい時代だったな」という面もたくさんあったでしょうから、いずれその良い部分についても取り上げてみたいと思います。

(服部淳@編集ライター、脚本家)

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