『貧富の差ありすぎ!』とビックリする昭和30年代の日常まとめ5

2014/9/24 21:25 服部淳 服部淳


どうも、服部です。前回記事「『赤線・青線ってなに?』売春法に沸く昭和30年代の日常まとめ」に引き続き、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」や、その続編「ALWAYS 続・三丁目の夕日」の頃は本当に良い時代だったのか、当時のニュース映像で検証した「昭和30年代の日常まとめ」シリーズの第5弾です。



●お金がないと電車に乗るのも一苦労(昭和31年)



「国鉄」というシンプルなタイトルのニュース動画です。国鉄(現在の「JR」)が赤字のため運賃を値上げをしたいと言い出したのだそうですが……。


同年(昭和31年)の春には、当時の運輸大臣が値上げはしないと発言しているではないか、と同ニュースは指摘します。


値上げとなれば一番痛いのは、こうして辛抱強く列を作っている三等車の乗客たちのフトコロです。


長距離列車も、三等だとこの混雑ぶり。座っても立ち続けても、もちろん料金は同じ。


赤ちゃん連れのお母さんは大変です。


これに引き替え、二等車はガラ空き。
しかも無料パスのお客ばかりなのだそう。


ニュース映像では説明はありませんが、無料パスを持っているということは、国鉄職員や国会議員なのでしょうか? 聖職者や貴族だけが特権を与えられていたフランス革命前のフランスのようです。


さらにその上の一等車は、白い布が掛けられたソファ席になっていて……、


乗務員さんによるお茶のサービスまであります。


三等車の乗客たちは、水を飲むにも列車を降りて駅の水飲み場で飲まなくてはなりません。しかも使い回しのコップです。


当時は蒸気機関車がまだまだ現役です。


汽車がトンネルに入り、慌てて窓を閉めようとする男性。もちろんクーラーなど付いてないので、夏場なら窓は開け放していたでしょうが、そのままトンネルに入れば、石炭を燃やした煙が舞い込んできます。


「トンネル続きのローカル線では、まるで煙突の中に入ったよう」とナレーションが絶妙な揶揄。乗客の多くは、タオルなどで口や鼻を押さえています。


また、この頃には、政治家の人気取りから工事に着手したものの、放置されて錆び付いている線路も各地に見られたのだそうです。今なら大変な騒ぎになっているでしょうね。



●まだまだ残存していた「防空壕」がヤバい使われ方をされていた(昭和34年)



「昭和34年の浜松市政ニュース1」という動画から、2:45頃から始まる「防空ごう埋立」というタイトルのニュースをピックアップします。


「町を住みよくする会」によって、「犯罪を誘発する防空壕を埋める運動」というものが行われていました。


防空壕です。第二次大戦中に掘られた防空壕は、当時はまだ戦後14年ということもあり、浜松市内に120個ほど残っていたのだそうです。あるものは高さ3m、深さが70mもあったのだそう。かなりの大きさです。


バケツリレー方式に、土が運ばれています。でも犯罪を誘発する防空壕を埋める運動とはどういうことでしょうか?

いわく、防空壕が不良少年たちのたむろする場になったり、ゴミ捨て場になっていたりするのだそうです。少年たちは防空壕の中で何をやって過ごしていたんでしょうか……気になります。


ほぼ人力による作業です。地元の自治会を中心に、自衛隊も市の職員もお巡りさんも、そして刑務所の収容者も協力してくれたのだそう。逃げ出す受刑者はいなかったのか、心配になります。

そして第1次埋立計画により、86ヵ所の防空壕が姿を消したのだそうです。



●村の子供たちは栄養不足でガリガリだった(昭和36年)



静岡県が配信している、昭和36年の「なくそう栄養の谷間」というタイトルのニュース映像です。


「寒さにも負けず、今日も元気に分校へ向かう山の子供たち」というナレーションと共に石段を駆け上がっていく子供たちの姿。


学校では身体検査が行われていました。ナレーションは、僻地に住む子供たちの健康状態について提議します。

「一見健康そうに見えますが、健康診断では多くの問題が見いだされます。僻地に特有の胴長で寸胴型、顔色も悪いというもの。一般に発育が遅れ、体重、胸囲などは全国平均をかなり下回っているのです」


この少年の脚なんかも、かなりガリガリです。戦後すぐならまだしも、すでに戦後16年が経っているのにこんな状態だったんですね。


このような健康状態が悪い地区は、北部山岳地方はもちろん、西部地区にも多く密集していました(黒い点がそれらの地区です)。


山村の無医地区では、時々保健所の無料診断が行われるのだそう。健康診断の結果、病気が見つかる患者の多くは、栄養不足からくるものなのだとか。


保健所の所長さんいわく……。

「サンマだとかイカだとか干物、煮干し類といったものは、主として冠婚葬祭に利用されていて、平日の動物タンパクの摂取はまことに少ない」


「乳幼児の検診では、どうにか標準以上の子供が1人で、あとは多いものは1キロ半ぐらいも標準より体重が足りないというような状態。やはり供給される乳質があまり良好ではないというようなことが考えられる」とのこと。
(この赤ちゃんも、もう53歳以上なんですよね。)

一方で都会の栄養状態はどうかというと……。


当世流行のスーパーマーケットに行けば、いろいろな食品がズラリと並び、栄養豊かな食料が簡単に手に入ります。


町の小学校では完全給食になっています。


対して、農村、特に段々畑の続く山村は、昔と変わらない生活をしていたそうで……。


村の店です。


売っている干し魚なども、たまにしか買わないのだとか。


山の学校では給食はなく、お弁当です。お昼時になると、競って弁当保温器から弁当を取り出します。


おかずは、みんな削り節か芋の煮付けといったものばかりなんだそうです。これじゃ栄養が足りなすぎますね。


村によっては、飲み水にも事欠き、山のせせらぎに水を汲みに行かねばなりませんでした。


農家のお宅の台所です。薄暗い台所でカブのような野菜を切っています。


ナレーションいわく「もちろん少ない収入が最大の原因ですが、食べるものも食べないでという、古い貯蓄精神がまだまだ農村には根強いからではないでしょうか」とのこと。

凶作になるたびに食べるに食べていけなかった昔の農家の人たちは、常に節約をして生きてきたのでしょう。


1日1人あたりの食費は、当時の基準が110円だったのに対して、農村では80円という少なさだったのだそう。中でもタンパク質は基準量のわずか半分しか摂取していなかったようです。


現金収入のためには、夜なべ仕事に精を出さなくてはならないようです。このようなハードな労働環境が、生まれてくる子供にも悪影響を与えていたのでしょう。

もちろん、自治体や県も何も対策をしていない訳ではなく、動画の後半では食生活改善の啓蒙活動について紹介されています。興味があれば、動画をご覧ください。



いかがでしたか? 現代の感覚からすると、貧富の差の大きさにビックリしてしまう昭和30年代の日常を紹介してきました。今の時代に生きていて良かったなと感じた方も多いのではないでしょうか。

引き続き、昭和の時代の日常を紹介していきたいと思います。

(服部淳@編集ライター、脚本家)



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