昭和40年代の日本はまだまだ発展途上だった
どうも、服部です。前回の記事「『道路が危険すぎ』交通戦争と呼ばれた昭和30年代の日常まとめ6」まで、6回にわたって【昭和30年代の日常】をニュース映像を使って紹介してきましたが、今回は現在の40代の方々が生まれた頃、昭和40年代(1965~1974年)の日常を紹介したいと思います。
●野犬の被害は昭和30年代より増えていた!?(昭和41年)
まずは、静岡県浜松市の「昭和41年の市政ニュース」から「野犬をなくそう」というタイトルのニュースです。
人間に飼われていれば従順な犬も、いったん野犬に戻ってしまうと、恐ろしい動物になってしまうそうで……群れる犬あり、
単独行動の犬もあり。
これら野犬が幼児や家畜を襲うなどして、頻繁にニュースになっていたそうです。
浜松市ではこの1,2年に野犬の被害があちこちで発生して大きな社会問題となっており、野犬対策が強く叫ばれていました。
以前書いた「『生きていくの大変すぎ!』と驚愕する昭和30年代の日常まとめ2」でも昭和37年の浜松市政ニュースを取り上げ、野放しの犬が多くて困っているという事象を紹介していたのですが、昭和41年になっても解消されていないどころか、被害が増大していたようです。
犬の取り締りは県の保健所の担当です。保健所の野犬捕獲班が野犬の捕獲活動を毎日続けている一方、不要犬の受け取りもしていて、野犬が増えるのを食い止めています。
浜松市でも野犬の対策はいろいろと考えてきたようで……。ねずみ取りの要領で、中に仕掛けた餌に野犬が食い付くとふたが閉まる捕獲箱を20個作成したそうです。
しかし、(静岡県内に)野犬は約1万頭(!)もいたようで……、
静岡県と浜松市は協力して、5月23日から4日間。県の畜犬指導班、捕獲班を全員を浜松に集めて、集中捕獲と畜犬の集中指導に乗り出したのだそう。
その結果、4日間で200頭あまりを捕獲。同時に飼い犬登録や予防注射をしているかを飼い主を1軒1軒訪ねて、登録していないところには登録の約束をしていきました。
さらに、浜松猟友会も野犬狩りに協力。ハンター60人あまりが集まり、野犬狩りに活躍。4日で138頭、6月10日までに500頭あまりを射殺したそうです。
可哀想とは思いますが、人命が危ぶまれている状態では仕方ないことなのでしょう。
この野犬対策を知った犬の飼い主たちは、一斉に飼い犬登録に押し寄せたということです。自分の飼い犬が射殺されないためでしょうか。4日間で3000頭の登録があったのだとか。
さらに登録ラッシュと同時に、いらなくなったからと置いていかれる犬も700頭を超えたそう。なんということでしょう。殺処分されるという現実を知らなかったのでしょうか?
このような野犬対策が積み重ねられ、野犬がいなくなっていったのですね。
●都電(東京都電車)、終わりの始まりの前夜(昭和41年)
続いては同じく昭和41年の「都電のゆくえ」というタイトルのニュース映像です。
都電とは、ご存じ昭和30年代を舞台にした映画「ALWAYS 三丁目の夕日」にも登場する、都内の公共交通の要のように描かれていた路面電車のことです。
そんな花形だった都電も、昭和30年代中盤以降になると激増する道路交通の邪魔になるわ、地下鉄の開通によって不要になるわで踏んだり蹴ったりで……。
ついには早朝割引をするようになったんだそうですが、
割引の効果なく、ガラガラ。
ただ、朝のラッシュアワーになれば、この盛況っぷり。このわずかな時間帯(ラッシュアワー)に、1日の利用者約120万人の大部分が利用していたのだそうです。
乗れずに次の都電を待つ客たち。渋谷駅前でしょうか。右後方を地下鉄・銀座線が走っています。
満員になった都電は、一般車両でぎっしりになった道路へ。図体がでかいので、一般ドライバーからは目の敵にされるようで……。
一般車両に先に行くよう促す乗務員さん。完全に交通の邪魔状態です。
そんな交通戦争の時間帯が終わると、車内は早朝のようにガラガラに戻ってしまうのだそう。速度の遅さや運賃の高さなどが要因だったのでしょうか?
都電の1年の売上は55億円だったそうですが、職員1万5千人に支払う人件費だけでも年間64億円に及んでいたんだそう。年間の赤字額は300億円。
都電車両の製造はすでに終了していたようで、終わりが来るのは、とっくに分かっていたのでしょうね。
一部の車両は、幼稚園などに1台5万円で下ろされたりしたそうですが、その運搬料に20万円が掛かっていたようです。あり得ません。。。
ナレーションは「こうして都電は、バス・地下鉄に都民の足を委ね、姿を消していくことになりそうです」と結びます。
現実もその通り、翌年昭和42年8月に「交通事業財政再建計画を策定、路面電車の廃止を決定」とされ、昭和47年には現在の「都電荒川線」を除く全線が撤去終了となりました。
●驚愕! 昭和40年代初頭の東急田園都市線のラッシュアワー(昭和41年)
最後は関東ローカルの話になってしまいますが、東京圏の大手私鉄路線で3番目に朝の混雑が酷い(国土交通省調べ、2012年10月1日)、東急田園都市線についてです。
ちなみに、現代の朝のラッシュアワーは、こんな感じになっています。以前よりやや混雑が緩和されたともいいますが、駅員さんの手伝いがあってようやくドアが閉まるような状態の時も多々あります。
この混雑があまりに有名な田園都市線ですが、神奈川県の「長津田駅」まで延長開業したのが昭和41年(1966年)4月のことでした。その昭和41年当時の田園都市線のラッシュアワーを見てみますと……。
なんと、ガラガラでした。
しかも、鷺沼駅~長津田駅間は2両編成で走っていたそうです(現在は通常10両編成。大井町線車両を除く)。
上空から駅周辺を見てみても、ほとんど建物らしきは見当たりません。
現在の混雑ぶりをご存じの方には驚きですよね。この動画では、どのように路線周辺の開発していったかを見ることができます。
いかがでしたか? 高度経済成長期の真っ只中の昭和40年代も、まだまだ発展途上なところがあったのですね。引き続き、昭和40年代の日常を紹介していきたいと思います。
(服部淳@編集ライター、脚本家)
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