【カラーで見る70年前の京都】終戦翌年の街並や日常生活を捉えた貴重映像
どうも服部です。昭和の動画を紐解いていくシリーズ、今回は終戦の9ヵ月後である1946年(昭和21年)5月の京都を撮影したフィルムを紹介します。
「Kyoto Home And City Life, 05/21/1946 - 05/31/1946 (1946年5月21日~5月31日、京都の家庭と街の生活=著者訳) 」とタイトル付けされた「US National Archives(アメリカ国立公文書記録管理局)」が投稿した音声なしのカラー映像です。早速見ていきましょう。
※動画はページ下部にあります。
タイトルもカチンコも挟まず始まります。2組の母子が井戸の手押しポンプに集まり水をくんでいるシーンです。
こちらは、元動画に付いていた撮影メモによると、小川から水をくみ、道にまいて清掃しているところだそうです。
目隠しをされた3、4歳ぐらいの男の子が、お姉ちゃんを追い掛けています。微笑ましい光景です。
商店長屋のような建物の前には、樽が積み上げられています。このフィルムはUSSBS(米国戦略爆撃調査団)という、米軍の空襲による被害状況を調査したチームによる撮影なのですが、京都は空襲による被害が他の大都市に比べると断然小規模だったためか、日常シーンばかりが撮影されています。
ちなみに、京都は文化財が密集しているから空襲をあまり受けなかったという説を耳にすることがありますが、実際は京都が広島などと並び原子爆弾の投下目標候補の一つだったため、原爆被害を確認しやすいよう米軍があえて空襲を控えていたということがあきらかになっています。
参考文献:「京都府の歴史(山川出版社)」
主に衣類を取り扱う露天商が並んでいる通りでの撮影です。道行く人は珍しげにカメラを見ていきます。
引きでの撮影はこんな感じです。結構賑わっています。
乾物屋さんのようなお店で買い物をする着物姿の女性。
ほぼ英語の看板の「ツバメヤ カメラ店」というお店。SHIJOと書いてあることから、四条通沿いでしょうか。現存はしていないようです。
「MARUTAMA STORE」。日本語表記の一部から「丸玉」というお店のようです。
撮影メモによると、店の中からショーウインドウ越しに道行く人を撮影したシーンだそう。
「GRAND KYOTO(グランド京都)」 と書いてあるゲート。International Casinoとも書いてあります。
ここから車から撮影されたと思われる商店街の映像となります。画像で切り出すと伝わりにくいので、GIFアニメにしてみました。「金竹堂」や「鍵善商店」などの店名が見えることから、祇園の四条通沿いでしょうか。
「料理 都グリル」というお店の看板です。英語表記が「TEA, GURIRU, MIYAKO」と、グリルがローマ字での綴りになっています。
場面は変わり、大八車に群がる人たちが映し出されます。
撮影メモによると「ナッツ類と野菜が入ったパンの配給」だそうです。家族の人数にかかわらず、一家に対して14個が配給されたとのこと。
こちらは、配給を待つ人々の様子。長蛇の列です。
学生たちが建物から走って出てきて、整列します。消防学校の生徒たちのようです。
車庫から消防車が出てきます。
6人1組で訓練が始まります。荷台からホースを下ろしているところのようです。
ここで、この映像最初のカチンコが映ります。DATE(日付)が31、場所がKYOTOというくらいしか読み取れません。映像タイトルの日付からして、撮影最終日のようです。
日本人家族の日常生活として、サンプル家族の食事シーンが映し出されます。家族構成は父母と娘が2人。1人ずつ、おひつの隣に座る次女に茶碗を渡し、次女がご飯をついでいきます。
はっきりは見えませんが、おかずは焼き魚でしょうか。このご飯のシーンだけで5分25秒ほど撮影しています。
続いては、長女がふとんを敷いて、横になるシーン。
そして次女がお琴を弾く場面に移ります。撮影メモでは中流階級(middle-class)の家庭と書いてありますが、結構いいお宅ではないでしょうか。
台所では、割烹着姿のお母さんが炊事をしているようです。手前には炊飯鍋も見えます。
撮影のキューを待っているらしいお母さん。合図が出たのか、包丁を取り出して野菜を切り始めます。
あまりにも鮮明なので、70年前の映像とはとても思えません。
食事のシーンにはいなかった男の子(撮影メモには同じ家族とあり)が、手押しポンプで井戸水をくんでいます。日本の平均的な家庭にはたいていあるタイプのものと書いてあります。
水を溜めたたらいを洗面所(?)に運び、手を洗います。でも、白い布がかけてあるところに水道の蛇口が見えるんですが。
ここでまたカチンコが入ります。今度はカチンコ全体がはっきり映っています。USSBS(米国戦略爆撃調査団)の映像で、カメラマンは映画監督兼カメラマンの三村明氏(海外名:ハリー三村)。名前の後ろに(TOHO)(東宝=著者注)と付記されています。日付は(19)'46年5月21日と読めます。
撮影メモには「祇園の芸者(正しくは芸妓《芸子》)と舞妓《舞子》」とあります。「Silver Pavilion」と書いてあるので、場所は銀閣寺の境内のようです。真ん中のおしろいをした女性はかなり若そうに見えます。
それぞれ個別に撮影したカットも。
芸妓さんたちの映像が終わると、再び街の撮影に戻ります。京都市内を流れる鴨川のすぐ西に走る「木屋町通」のようです。ゲートがあり「ゲンブ モノ クリーム」という広告表示が入っています。
撮影メモには詳細は書かれていませんが、和服姿の女性たちが5人で行動しています。戦後わずか9ヵ月とは思えない煌びやかな映像です。
こちらも和服姿の女性たちの姿が見えます。5月も下旬ということで、この格好では暑そうです。ハンカチで汗を拭っている人も。女性たちの後ろには「手荷物一時預り所」という表示。その後数カットで街の様子が映され、映像は終了します。
いかがでしたか? これまで何度となく紹介してきた、米軍による戦後すぐの日本を撮影したフィルムの中でも最上級に画質のいいカラー映像だったと思います。そして、空襲被害が少なかった京都の映像だっただけに、本当に終戦直後の日本なのかというほのぼのとした内容でした。引き続き、歴史の1ページを紐解いていければと思います。
(服部淳@編集ライター、脚本家)
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