【カラーで見る70年前の日本】衝撃的に鮮明な昭和20年頃のニュース映像

2015/6/19 23:59 服部淳 服部淳


どうも、服部です。昭和の歴史を映像をもとに紐解いていくシリーズ、今回は第二次世界大戦の終了の年である1945年(昭和20年)から1946年にかけて撮影された、日本のカラー映像を紹介したいと思います。

アメリカの政府機関「US National Archives(アメリカ国立公文書記録管理局)」にて公開されている「342.USAF.11065」という原題の21分ほどの映像です。ナレーション、BGMなどは一切ありません。無音ではありますが、US National Archivesのウェブサイトにシーン紹介が記されているので、その情報を元にしていきたいと思います。
※動画はページ下部にあります。




まずは火山の噴火シーンから。鹿児島の桜島です。1946年(昭和21年)1月から同年11月頃まで続いたとのことですが、撮影されたのは1946年の3月22日のことのようです。桜島の噴火は1939年(昭和14年)以来7年ぶりのこと。




何事もないかのように歩いていますが、後ろでモクモクと煙が上がっています(電柱が傾いているのも気になりますが)。

追記:この地区についての研究をされている長崎大学教育学部の井手弘人さんより、上の画像に映っているのは、現在の鹿児島県垂水市海潟(かいがた)の温泉場地域であるとご連絡をいただきました。以下、いただいた文章を掲載します。※( )内は著者が追記。

“(下の画像の)左側にあるやや高い和風建築は「海潟荘(創業当初は『井ノ上温泉』という名称)」という旅館で、建物はなくなりましたが(旅館自体は)現在もあります。地元の人からは三階建ての建物でしたので「三階」と通称されていたそうです。”


ちなみに、goo地図で「海潟温泉」の場所を表示してみると、桜島のすぐ南東の位置です(青いポイントが立っている場所)。


追記続き:また、噴煙を上げる桜島の手前にチラリと映るこちらの建造物は「海潟造船所」の一部のようです。“日本郵船系の会社で戦時標準木造船を製造していたところです。昭和18年に設立しましたが21年末には解散する会社です”とのこと。

予備知識がなければ素通りしてしまうような場面ですが、わずか3年だけ存在していた文字通り「幻」の造船所が映り込んでいたのですね。貴重な情報をありがとうございました。


場所は飛んで、富士山を上空から撮影したシーンです。戦後の日本を撮影した米国空軍フィルムにはなくてはならないシーンのようです。


その富士山を望みつつ、映像は東京に移動です。国会議事堂とその手前には1931年(昭和6年)に竣工され1977年(昭和52年)まで使われていた旧警視庁本部庁舎です。警視庁は、実に印象的な建物でした。

TMPD building in Pre-war Showa era.JPG
"TMPD building in Pre-war Showa era" by 不明 - 警視庁「警視庁百年の歩み」より。. Licensed under パブリック・ドメイン via ウィキメディア・コモンズ.




場面が切り替わると、皇居のお堀です。大勢の人たちと物々しい警備の具合が見て取れます。


皇居の回りに集まったこの群衆、1946年の5月1日に日本で最初に行われたメーデーのデモ活動です。


女性の参加者も多いようです。スカーフを巻いた女性が目立ちます。


「民主主義平和日本の建設」と書いてある横断幕が(読みにくいですが)見えます。


こちらの横断幕は英語で書いてあります「Make an Even World! Everybody Working! No Firing! TOSHIBA ELECTRIC CO.(均一な世界を作ろう! 私たちは働いているんだ、解雇するな! 東芝電気(著者訳))」。


こちらの女性たちはとても楽しそう。


ここでカチンコ代わりの紙っぺら。撮影者であるMcGovernさんの名前が書かれています。


前述の「US National Archives(アメリカ国立公文書記録管理局)」の資料によると、ここからは1946年5月に再び行われた5月19日のデモの光景のようです。「飯米獲得」という幕が、切実感を表しています。このデモは「食糧危機突破人民大会」という名のもとに召集され、約25万人の労働者が参加したといわれています。


皆の生活に関わることなので、参加人数も真剣度もものすごいです。


とはいえ、なんとなくイベントを楽しんでしまっている人たちもいるようです。


万が一に備えて赤十字も待機しています。




演説者たちの表情も真剣そのもの。下の画像の男性は、日本共産党の戦後初代の書記長を務めた徳田球一氏のようです。




場面は変わって、京都だそうです。昭和天皇の御親戚である大谷家のお庭との情報があります。


今では日本でほぼ見ることがない、少年のお坊さんの姿も。




続いては、映画の一場面ではないかと思ってしまうシーンです。


カメラを見つけてにっこりする青年。今も昔もこういう光景は変わりません。


どうやら、1946年(昭和21年)4月10日に行われる戦後初の衆議院選挙の演説のようです。候補者は山本久雄氏。広島1区から立候補の自由党(後に民主自由党、自由民主党)候補のようです。


多くの人が演説を聴きに集まっています。


安田銀行廣島(広島)の看板も見えます。




続いては、本当に70年前なの?というほどに鮮明な映像です。1946年4月10日のシーンです。


そこで行われていたのは、どうやら選挙投票のようです。前述の通り、戦後初の衆議院選挙であり、日本初の女性参政で行われた選挙投票の模様です。


薄暗い中で投票箱に投票用紙が入れられていきますが、どうやら停電中だったようです。停電知らずの現代の日本人には驚きかもしれませんが、当時の日本はもちろん、現在でも発展途上国などではよくあることなのです。


こちらのシーンは、1946年2月11日、米兵が日本人女性たちといちゃついている場面です。大分県だそうです。


戦地から帰還した日本兵なのかと思いきや、米兵の荷物を運んでいる日本人少年たちなのだとか。敗戦の無残さを思い知らされる一場面です。


最後は「US National Archives(アメリカ国立公文書記録管理局)」の情報によると、明治生命館の7階から、皇居の石垣の上にいる米兵と日本人女性たちの戯れを撮影したものだそうです。第二次世界大戦終了と同じ年の1945年(昭和20年)11月撮影の映像とのこと。

引き続き、歴史の1ページを紐解いていければと思います。

(服部淳@編集ライター、脚本家)



【動画】WW2: News Events, Japan (1945 - 1946)


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