水木一郎、加山雄三からNight Tempo、藤井風まで2022年の日本の音楽シーンまとめ(40代以上向け)!

2022/12/23 17:00 龍女 龍女

加山雄三がコンサート活動から引退。彼が与えた影響とは?

加山雄三 (1937年4月11日生れ)が、コンサート活動から引退した。
恐らく公式で演奏を披露する最後のステージは、紅白歌合戦になるだろう。


(加山雄三 イラストby龍女)

元気が売りの「若大将」だったが、恐らく引退の直接的な原因は2019年11月の脳梗塞と2020年の8月の小脳出血と続けて脳の病気を発症したこと。
その後のリハビリの結果、元々の基礎体力がしっかりしているので大丈夫にはみえた。
タレントとしてのイメージから、ある程度元気な内に芸能活動を退く決意を固めたのだろう。

さて、簡単に加山雄三のこれまでの功績を音楽を中心に振り返ってみよう。
彼は1950年代以降のいわゆる日本のポップスに一時代を築いた。
特に日本のロックの歴史では重要人物にあげても良いのではないか?
ロックン・ロールの帝王エルヴィス・プレスリー(1935~1977)の2歳年下。
ビートルズのジョン・レノン(1940~1980)の3つ上という中間の世代であるというのが重要だ。
日本では、エルヴィス・プレスリーに影響を受けた歌手がロカビリーブームを起こした。
ビートルズに影響を受けたバンドマンがGSブームを起こした。
その中間に、アメリカワシントン州シアトル出身のインストゥルメンタル・ロックのザ・べンチャーズのコピーバンドが数多く出た。
これをエレキブームという。

加山雄三は、当時東宝の専属俳優でもあり、出身大学の慶応義塾の後輩達とバンドを組んだ。
(ちなみにGSブームの一翼を担った慶応の後輩バンドが、加瀬邦彦とザ・ワイルド・ワンズである)
それが結実した映画が加山雄三が主演する若大将シリーズの第6弾
『エレキの若大将』(公開1965年12月19日)である。

この中で、加山雄三の代名詞になる楽曲『君といつまでも』が出てくる。
作曲は、加山雄三が作曲するときに用いるペンネーム、尊敬する作曲家団伊玖磨(1924~2001)と山田耕筰(1886~1965)を合わせた
弾厚作
作詞は、1963年まで東宝の文芸部に所属していた
岩谷時子(1916~2013)である。


(岩谷時子 イラストby龍女)

岩谷時子は
越路吹雪(1924~1980)のマネージャーとして、彼女が歌うシャンソンの訳詞から作詞家人生が始まった。
そして、越路吹雪以外の作詞も数多く手がけていくことになるが、越路以外で名コンビと言えるヒット曲を連発したのは加山雄三である。

加山雄三は、12月17日放送の『ミュージックフェア』に出演した際にも、岩谷時子への感謝を述べているが、ラストに最後のシングルとして発表した
「海が男にしてくれた」も、岩谷時子が遺した詞に一部手を加えて仕上げた楽曲である。

加山雄三は、ビートルズが1966年に来日コンサートを開き、熱狂的なファンに囲まれてホテルに缶詰にされている時、すき焼きを持ち込んでご馳走した。
関根勤のものまねでVSOP(ヴェリー・スペシャル・ワン・パターン)と、大食いを強調された。
地井武男の『ちい散歩』(2006~2012)の後番組
『若大将のゆうゆう散歩』(2012~2015)では、船の設計図のような正確すぎて面白くないスケッチを披露する。
独特のマルチな才能をみせた加山雄三は
シンガーソングライターのパイオニアで、二世タレント(父は俳優の上原謙)のはしりでもある。
ツッコミどころ満載の人物を見られなくなる寂しさはある。
これまでどうもありがとうございました。

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