西郷輝彦、宝田明、三宅一生、オリビア・ニュートン・ジョン、アントニオ猪木、渡辺徹まで時代を変えた人たち。2022年メモリアル

2022/12/9 17:00 龍女 龍女

アントニオ猪木
(1943年2月20日~2022年10月1日)


(アントニオ猪木 イラストby龍女)

アントニオ猪木ほど彼専門のものまね芸人が多い人もいないだろう。
ものまねされる人とは、個性的かつスーパースターだからである。

筆者の小学生高学年時代(1986から87年頃)は
日テレでジャイアント馬場が社長の全日本プロレスの中継が土曜19時、
テレ朝でアントニオ猪木率いる新日本プロレスの中継が月曜20時の楽しみになっていた。

これは、日本プロレスの社長でもあった馬場と猪木の師匠の力道山(1924~1963)が不慮の死でなくなったのが大きい。
しばらくはBI砲(馬場猪木のタッグ)で興業を繋いでいたが、力道山のカリスマで持っていた日本プロレスは崩壊、主な選手は全日本か新日本に分裂したそうだ。

筆者は新日派で初代タイガーマスク(佐山聡)が好きだった。
アニメ『タイガーマスク2世』(1981年4月~1982年1月)を観ていたからだ。
調べてみたら、月曜19時からのアニメで裏番組が高視聴率の『あしたのジョー2』で視聴率は低迷したそうだ。
どうりで、筆者は『あしたのジョー』に思い入れがない理由が分った。

猪木の四の字固めやコブラツイストは小学生がまねをした。
筆者も技をかけられたことがある。

今よく猪木のものまねのネタになる
「1・2・3、ダー!」
は1990年以降で
「元気ですか!元気があれば、何でも出来る…」
はプロレスラーを引退(1998年)後にし始めたマイクパフォーマンスである。

参議院議員を(1989~1995、2013~2019)務めた。
師匠の力道山の繋がりから朝鮮半島のパイプもあり北朝鮮政府と交流が長年続いた。

実業家としては失敗を繰り返し、多くの借金を抱えた。
1982年頃から糖尿病を発症していて、最晩年には「心アミロイドーシス」と言う難病にかかり闘病生活の末、亡くなった。
付与褒貶の激しい人生で、Youtubeチャンネルを通して、最後に痩せ細った姿を見せたのには衝撃を受けた。
コラムにまとめきれないエピソードが面白すぎて、これからもずっと語られ続けられる人だろう。


渡辺徹
(1961年5月12日~2022年11月28日)


(カリッと青春のポーズをする渡辺徹 イラストby龍女)

俳優がバラエティ番組に出演することに最近はあまり違和感がなくなっただろう。
渡辺徹は、山田邦子司会の番組『いきなりフライデーナイト』(1986年4月~1989年9月)にアシスタントとして出演、当初は苦手だったトーク力を身につけた。
今、大泉洋が司会と俳優として、どっちも活躍する土壌を作った一人である。

俳優デビューは1981年。文学座の研究生時代に『太陽にほえろ!』(1972年7月~1986年11月)のラガー刑事(竹本淳二)として1985年まで出演した。
歌手としても、『約束』(1982年 8月25日)がオリコン最高位は2位であったが、『ザ・ベストテン』では1位になっている。

しかし悩んで、文学座の大先輩である杉村春子にも相談したそうだ。

テレビドラマの『太陽にほえろ』でデビューして歌もやらせていただいたころは、
「俺は何なんだろう」と悩んだこともありました。
劇団の杉村春子さんに相談したら、
「あなたは何をおやりになりたいの」
といわれ、
「舞台をやっていきたいんです」
と答えたんです。
すると、
「だったら、なんでもおやりなさい。全部役者として血となり肉となります。 ただ、中途半端にやることはおやめなさい」
といわれたんですね。
で、なんでも一生懸命やってみようとやってきたんです。
(2009年 主演舞台『花咲くチェリー』のインタビューより)

イラストの「カリッと青春」ポーズはグリコ のCMだ。
小泉今日子と共演したアーモンドチョコレートとセシルチョコレートのキャッチコピーだ。
後年もそれをやり続けていたことが何とも微笑ましい。
『太陽にほえろ!』のプロデューサーの岡田晋吉によれば、刑事物ではあったが、それまで青春ドラマを手がけていたので、青春ドラマの主役が似合う若手俳優を探していたそうだ。
若き日の渡辺徹はそういう人材としてピッタリだったようだ。

『徹子の部屋』の最後の出演(2022年9月23日)になった時には文学座の先輩である中村雅俊と一緒に出た。
文学座は新人時代の渡辺徹を第2の中村雅俊として売りたかったそうだ。
中村雅俊は文学座を1985年に退団したが、渡辺徹は終生文学座所属だった。
中村雅俊路線から外れたのは丁度80年代後半で、バラエティ番組のサブ司会として大物の女性司会者を支える重要な役割を果たすようになる。

TVドラマでの主役は若手時代に留まった。
大河ドラマでは6回出演して一番大きかった役は『徳川慶喜』の西郷隆盛である。
最後の出演となった『青天を衝け』の攘夷派商人・梅田慎之助に決まったときの発表記者会見の席で名言を残した。

大河ドラマは2001年「北条時宗」以来、20年ぶりになります。
我々世代にとっては、歌で言えば「紅白歌合戦」のようなもので、久しぶりの出演がとても楽しみです。


さて、そこで筆者は考えた。
渡辺徹の大河ドラマのベストパフォーマンスはなんだったのか?
あくまでも、筆者の見解はこうである。
ズバリ、『春日局』(1989)豊臣秀頼である。
筆者の豊臣秀頼のイメージは『徳川家康』(1983)の利重剛が初見だったから、勝手に見た目痩せてひ弱な人だと思い込んでいた。
実は190cmもあり巨漢だったそうで、当時180cmで100kg以上の渡辺徹にぴったりの配役だったのである。

筆者は渡辺徹が理事を務めていた和光学園の高校の卒業生なので、一目会えたら一言挨拶したかった。

ああ、もうあのエセ関西弁の
「なんでやねん!」
がTVで聴けなくなるの淋しいなあ…。


これまで数々の仕事で、楽しく拝見させていただきありがとうございました。
ご冥福を祈ります。


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