西郷輝彦、宝田明、三宅一生、オリビア・ニュートン・ジョン、アントニオ猪木、渡辺徹まで時代を変えた人たち。2022年メモリアル
小坂忠
(1948年7月8日~2022年4月29日)
(小坂忠 イラストby龍女)
今回のコラムで取り上げた人の中で、実は一番浅識である。
しかし何故取り上げたかと言えば、あの伝説のバンドはっぴいえんどが誕生したきっかけになったシンガーソングライターだからである。
前身バンドの「ヴァレンタイン・ブルー」への参加をミュージカル『HAIR』の出演によって断念したために、小坂忠は伝説になり損ねた?ようだ。
名前自体を知ったのは、女性シンガーソングライターのaiko (1975年11月22日生れ)が影響を受けたシンガーソングライターとしてである。
1975年に細野晴臣、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆を中心に結成されたティン・パン・アレーの演奏によるオリジナルアルバム『HORO』が名盤とされている。
1976年に娘の大怪我の回復をきっかけにクリスチャンになったそうだ。
その後はしばらくゴスペルシンガーとして活動し、1991年には埼玉県所沢市の日本フォースクエア福音教団秋津福音教会の牧師になる。
筆者は、地元の東村山の隣の市の教会で活動していたと知って驚いた。
もっと早くこの人のことを知っていたら生で聴きたかった。
小林清志
(1933年1月11日~2022年7月30日)
(小林清志 イラストby龍女)
定年のある仕事とない仕事がある。
俳優とは後者に当たる。
筆者が俳優に共感するのは、自身も後者を選んだからである。
小林清志は、亡くなる3週間前までナレーションの仕事をした。
代表作はもちろんルパン三世の次元大介役である。
小林清志は『ルパン三世』のパイロットフィルム(1969)時代から2021年のPART6のエピソード0まで務めた。
『ルパン三世』のレギュラー声優で一番長く演じた人である。
西部劇映画の『荒野の7人』(1960)でジェームズ・コバーンの吹替をやったことが原作者のモンキー・パンチ(1937~2019)のイメージに合って配役された。
英語が元々得意なのに、東大受験の時に流行にのって仏文科を選んで失敗。
翌年の東大の受験も失敗後に軽い気持ちで入った日本大学芸術学部演劇科への転向が、俳優への一歩になった。
洋画の吹替の仕事の初期は翻訳から入り、声の方もするようになったそうだ。
小林清志は声優という仕事が確立された歴史に大きく関わった人物だ。
1960年の東京俳優生活協同組合の創立メンバーだ。
1972年に俳協演劇研究所が出来た。
14期の卒業生が『ルパン三世』で納谷悟朗(1929~2013)から2011年に銭形警部を受け継いだ山寺宏一である。
当初、声優は舞台俳優のアルバイトの一つなので、ギャラもかなり安かったらしい。
『ルパン三世』の初代ルパン役の山田康雄(1932~1995)を始めとする創成期の声優たちが、地位向上の為にギャラの上昇を主張し続けた事を忘れてはならない。
声優は今でもほぼオーディションで決まるモノなので、役を獲得することは難しい。
今でも声優の仕事がその働きに見合うモノかどうかは疑問がある。
これだけ憧れている人が多い職業だ。
給料をアップして地位がもっと向上して欲しい。
小林清志もきっと後輩達を天国から温かく見守ってくれるに違いない。
(1948年7月8日~2022年4月29日)
(小坂忠 イラストby龍女)
今回のコラムで取り上げた人の中で、実は一番浅識である。
しかし何故取り上げたかと言えば、あの伝説のバンドはっぴいえんどが誕生したきっかけになったシンガーソングライターだからである。
前身バンドの「ヴァレンタイン・ブルー」への参加をミュージカル『HAIR』の出演によって断念したために、小坂忠は伝説になり損ねた?ようだ。
名前自体を知ったのは、女性シンガーソングライターのaiko (1975年11月22日生れ)が影響を受けたシンガーソングライターとしてである。
1975年に細野晴臣、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆を中心に結成されたティン・パン・アレーの演奏によるオリジナルアルバム『HORO』が名盤とされている。
1976年に娘の大怪我の回復をきっかけにクリスチャンになったそうだ。
その後はしばらくゴスペルシンガーとして活動し、1991年には埼玉県所沢市の日本フォースクエア福音教団秋津福音教会の牧師になる。
筆者は、地元の東村山の隣の市の教会で活動していたと知って驚いた。
もっと早くこの人のことを知っていたら生で聴きたかった。
小林清志
(1933年1月11日~2022年7月30日)
(小林清志 イラストby龍女)
定年のある仕事とない仕事がある。
俳優とは後者に当たる。
筆者が俳優に共感するのは、自身も後者を選んだからである。
小林清志は、亡くなる3週間前までナレーションの仕事をした。
代表作はもちろんルパン三世の次元大介役である。
小林清志は『ルパン三世』のパイロットフィルム(1969)時代から2021年のPART6のエピソード0まで務めた。
『ルパン三世』のレギュラー声優で一番長く演じた人である。
西部劇映画の『荒野の7人』(1960)でジェームズ・コバーンの吹替をやったことが原作者のモンキー・パンチ(1937~2019)のイメージに合って配役された。
英語が元々得意なのに、東大受験の時に流行にのって仏文科を選んで失敗。
翌年の東大の受験も失敗後に軽い気持ちで入った日本大学芸術学部演劇科への転向が、俳優への一歩になった。
洋画の吹替の仕事の初期は翻訳から入り、声の方もするようになったそうだ。
小林清志は声優という仕事が確立された歴史に大きく関わった人物だ。
1960年の東京俳優生活協同組合の創立メンバーだ。
1972年に俳協演劇研究所が出来た。
14期の卒業生が『ルパン三世』で納谷悟朗(1929~2013)から2011年に銭形警部を受け継いだ山寺宏一である。
当初、声優は舞台俳優のアルバイトの一つなので、ギャラもかなり安かったらしい。
『ルパン三世』の初代ルパン役の山田康雄(1932~1995)を始めとする創成期の声優たちが、地位向上の為にギャラの上昇を主張し続けた事を忘れてはならない。
声優は今でもほぼオーディションで決まるモノなので、役を獲得することは難しい。
今でも声優の仕事がその働きに見合うモノかどうかは疑問がある。
これだけ憧れている人が多い職業だ。
給料をアップして地位がもっと向上して欲しい。
小林清志もきっと後輩達を天国から温かく見守ってくれるに違いない。