西郷輝彦、宝田明、三宅一生、オリビア・ニュートン・ジョン、アントニオ猪木、渡辺徹まで時代を変えた人たち。2022年メモリアル

2022/12/9 17:00 龍女 龍女

西郷輝彦
(1947年2月5日~2022年2月20日)


(西郷輝彦 イラストby龍女)

TVが芸能界を作った1950年代後半以降、「御三家」と言えば元ネタの徳川御三家ではない。
後にソロアイドル歌手の元祖とみられる「御三家」といえば、
橋幸夫(1943年5月3日生れ)
舟木一夫(1944年12月12日生れ)
と、この項の主人公の西郷輝彦である。

鹿児島出身なので、芸名の名字は郷土の英雄・西郷隆盛(1828~1877)にちなんで付けたが
本名は今川(盛揮)という日本史好きにはたまらないオチがついている。

筆者は1976年生れで西郷輝彦の娘の辺見えみり(1976年12月16日生れ)と同い年だ。
60年代後半から70年代前半のバリバリのアイドル時代は知らない。
イラストに描いた、TBSの月曜20時の時代劇『江戸を斬る』(第2シリーズ~第6シリーズに主演。1975~1981)の名奉行遠山金四郎役が初見である。
筆者が小学生の頃は、『江戸を斬る』の再放送が16時にあったので、早く帰宅すると観ていた番組の一つである。

従って、筆者にとっての西郷輝彦は『独眼竜政宗』(1987年)の片倉小十郎を含めて時代劇俳優のイメージの人である。

ここ10年は昭和歌謡にハマっていた。
詳しい知り合いの放送作家さんから経堂の居酒屋をはしごする西郷輝彦の情報を聞いていた。
いつか直接会いたいと思っていたのにその機会を失ってしまい、残念だ。


シドニー・ポアチエ
(1927年2月20日~2022年1月6日)


(シドニー・ポアチエ イラストby龍女)

シドニー・ポアチエは、1960年代の公民権運動の象徴の一人である。
1962年の『野のユリ』で、アカデミー賞の主演男優賞を取った初のアフリカ系アメリカ人である。

筆者が一番好きなシドニー・ポアチエの主演作は、ティッブス刑事シリーズの第1弾となった『夜の大捜査線』(1967)である。
大ヒット日本映画の『踊る大捜査線』のタイトルの元ネタの一つだ。(もう一つは、ミュージカルの『踊る大紐育』)

彼以前にもアフリカ系の俳優はいた。
アフリカ系初のオスカー受賞俳優は、『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラ(ヴィヴィアン・リー)のメイドのマミー役で助演女優賞を受賞したハティ・マクダウェル(1893~1952)だ。
しかし彼女の役柄のメイドは、アフリカ系の社会的地位の低さを象徴する出来事でもあり、彼女はその後も同じような職業の役柄が続いてしまうタイプキャストになる。
当たり役を持つことは一人の俳優にとって、諸刃の剣である。

シドニー・ポアチエはアフリカ系として、差別と戦う役を好んで演じたが、結婚相手が白人の女性だった私生活も含めて、次の世代の同胞から優等生過ぎて白人に媚びていると批判を受けた。
シドニー・ポアチエにはむしろ悪役が演じられない立場だったことが皮肉にも批判の的となったのだ。

シドニー・ポアチエは役柄の善悪と人種問題が関係ないことを上手く克服できなかった。
デンゼル・ワシントン(1954年12月28日生れ)がようやく克服した。
2002年の『トレーニング・デイ』で悪徳刑事を演じて、2人目のアフリカ系主演男優賞の受賞者となったからである。

2016年の司会のクリス・ロックが
「アカデミー賞にやってきました。またの名をホワイト・ピープルズ・チョイス・アワードに。もし司会をノミネーション形式で選ぶとしたら、わたしはおそらく選ばれないでしょう」
と皮肉った。

それでも2004年に『Ray』で3人目のアフリカ系の主演俳優賞を受賞した
ジェイミー・フォックス(1967年12月13日生れ)が演じた役が、シドニー・ポアチエが築いた礎の元に成り立っていることがよく分かる。
何故なら、ジェイミー・フォックスが演じたレイ・チャールズ(1930~2004)は、あの『夜の大捜査線』の主題歌を歌っていた人だからである。

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