西郷輝彦、宝田明、三宅一生、オリビア・ニュートン・ジョン、アントニオ猪木、渡辺徹まで時代を変えた人たち。2022年メモリアル

2022/12/9 17:00 龍女 龍女

三宅一生
(1938年4月22日~2022年8月5日)


(三宅一生 イラストby龍女)

三宅一生と言えば、プリーツプリーズである。
歌手・俳優の美輪明宏(1935年5月15日生れ)は
「あたくしは三宅一生の手先です」
というほど、有名な顧客である。
名曲『ヨイトマケの唄』をステージで歌うとき衣装は黒いプリーツプリーズと黒髪のカツラと決めているようだ。

三宅一生は1945年の8月6日、美輪明宏は同じ年の8月9日にそれぞれの出身地の広島と長崎で被爆した。
戦中の生れのために、デザイナーの仕事は男性がするモノではないという偏見もあって、専門学校ではなく、多摩美の図案科に進学した。
そのことが結果的に流行ではなく普遍的なデザインへの志向を強めたかもしれない。
三宅一生のデザインは、流行を越えた現代美術になり、やがては古典になりそうだ。


森英恵
(1926年1月8日~2022年8月11日)


(森英恵 イラストby龍女)

筆者は低所得者なので、ハイブランドはおいそれと手が出ない。
90年代を大人しいが尖った若者として過ごした。
ハイブランドを身につけた先輩世代を羨ましく思わず
「あんなダサイデザインの服を良くこれ見よがしに着ているなあ」
と内心下に見ていた。

その代表格として日本人デザイナーの中では、森英恵だった。
特に1992年のバルセロナオリンピックの日本代表のユニフォームを良いとは思わなかった。

この筆者の感覚は半分当たっていて半分間違いだった。
それをようやく理解したのは、有名な顧客だった黒柳徹子(1933年8月9日生れ)のYoutubeチャンネル『徹子の気まぐれTV』で、森英恵を追悼した回だった。
森英恵デザインのオートクチュールを身につけた黒柳徹子は
圧倒的に似合っていて文句の付けようが無かった。

つまり、森英恵の服はそもそも上流階級のマダムのためのモノだ。
うら若い体育会系は本来の顧客からすると似合わないのは当然ではないか?
1992年当時の日本はまだバブルの名残が残っていて、上昇志向が強かった。
筆者は服のデザインが導く人生哲学のズレが似合う似合わないを誘発していたと気がついた。

流行とは残酷だ。
筆者が知っている90年代の森英恵は既に時代遅れだったのかもしれない。

    次へ

  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4
  5. 5
  6. 6
  7. 7