西郷輝彦、宝田明、三宅一生、オリビア・ニュートン・ジョン、アントニオ猪木、渡辺徹まで時代を変えた人たち。2022年メモリアル

2022/12/9 17:00 龍女 龍女

オリビア・ニュートン=ジョン
(1948年9月26日~2022年8月8日)


(オリビア・ニュートン=ジョン イラストby龍女)

オリビア・ニュートン=ジョンは、イギリスのケンブリッジ生れだ。
学者の父がオーストラリアの大学に赴任したので、5歳頃から移住した。
1965年のオーディション番組の懸賞でイギリスに渡り、1966年にデビューした。

1973年の1月に全英15位だったカントリー歌手のジョン・デンバー(1943~1997)のカバー『カントリー・ロード』が、日本のオリコン洋楽チャートでは1976年に15週連続の1位の大ヒットをした。
ジョン・デンバーのオリジナルのアレンジは典型的なカントリー&ウェスタンに見られるバンジョーやフィドルが演奏されるようなサウンドだ。
オリビアのヴァージョンはコーラスで始まるアレンジなので、ゴスペルとカントリー&ウェスタンが融合している。

1970年代後半になると、カントリーからポップスに行った。
1975年にアメリカへ移住したことが大きいようだ。
オーストラリアとの縁は切れたわけではなく、特に地元出身のシンガーソングライターのピーター・アレン(1944~1992)がジェフ・バリーと共作した『愛の告白(I Honestly Love You)」』が1974年に大ヒットしている。

俳優としても、ジョン・トラボルタと共演したミュージカルの映画化
『グリース』(1978年)は大ヒットした。
2018年には公開40周年が祝われた。

そして最大のヒット作は当時のエアロビクスを取り入れたPVが話題になった
『フィジカル』(1981年)である。
これはなんと、80年代におけるアメリカンチャートの1位という歴史的大ヒット。

日本との関連では、なんと言ってもシンガーソングライターの尾崎亜美が
杏里(1961年8月31日生れ)のために書いたデビュー曲
『オリビアを聴きながら』
の「オリビア」とは、オリビア・ニュートン=ジョンのことである。

大ヒット曲がなくなった後でも何度も日本に来日してコンサートを開いた。
昨年は、日本国政府より
『日本国の音楽文化の発展及び友好親善に寄与した功』
で旭日小綬章が授与された。
杏里は今はシティポップスの歌姫の一人と位置づけられている。
その誕生にオリビア・ニュートン=ジョンは多大な影響を与えている。


六代目三遊亭圓楽
(1950年2月8日~2022年9月30日)


(六代目三遊亭圓楽 イラストby龍女)

筆者にとって、三遊亭楽太郎時代から笑点でお馴染みの落語家だった。
笑点でのキャラクターは、紫がイメージカラーで腹黒を売りにしていた。

80年代は、マラソンのスター選手瀬古利彦に似ているので、ものまねをしていた。
早朝のテレビ朝日でゲートボールの番組があって、その司会をしていた記憶もある。

ラジオキングの伊集院光は元々落語家で三遊亭楽太郎門下の三遊亭楽大だ。
ラジオの仕事が中心になり、忙しかったこともあって落語家は廃業した。
しかし、伊集院光名義1本で活動するようになったあとも、弟子として扱った。

笑点の司会を務めた師匠の5代目三遊亭圓楽(1932~2009)が亡くなる。
最年長の桂歌丸が司会になって以降、何故か歌丸の芸風であった政治風刺を継承した。
2010年に六代目圓楽になった。
2016年に桂歌丸が病気を理由に司会を勇退した。
次の司会が春風亭昇太(1959年12月9日生れ)になると、
「次の司会は俺だ」
と司会狙うキャラに進化する。

残念ながら、その前に病気で力尽きてしまったので笑点の司会になることはかなわなかったが、さて笑点とは6代目圓楽にとってはなんだっただろう?

少なくとも日テレが報じる「笑点=圓楽」のような関係ではなかった気がする。

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