『オレたちひょうきん族』から『ザ・マスクド・シンガー』まで!?海外から輸入された番組形式が日本で成功する秘訣とは?

2021/10/13 22:00 龍女 龍女

②ザ・チャンス!


(封筒から問題文を出す瞬間 イラストby龍女)

伊東四朗(1937年6月15日生れ)芸人としてのテレビデビューはてんぷくトリオの一人であった。
メンバーの一人、戸塚睦夫(1931~1973)の死で、徐々に一人の仕事が多くなる。
もう一人のメンバー三波伸介(1930~1982)はテレビでは司会者、舞台では座長公演を行うようになり、バラバラの仕事に変化した。
『笑って!笑って!!60分』(1975年4月~1981年3月TBS)と『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』(1976年10月~1978年3月テレビ朝日)以降TVの人気者となる。
『ザ・チャンス!』は、アメリカCBSの番組『ザ・プライス・イズ・ライト』(フリーマントルメディア制作、2021年現在も放送中)をTBSがフォーマット購入した番組だ。
1979年4月から1986年10月まで放送された。
初代司会者はピンクレディだったが、アメリカ進出のために事実上の降板。
司会者の代役の一人(もう一人は湯原昌幸)から2代目の司会者に昇格した経緯がある。

このクイズのルールは、値段当て問題の連続で、賞金を獲得する。
観客席には、予選から勝ち上がった一般出場者がいて、無作為に4組が呼ばれる。
最初の商品をピッタリ当てるか、一番近い値段を当てた人に次の問題の解答権がある。
原題の意味は、「値段は正しい」と訳せる。
日本語のニュアンスとして、直接的すぎるので、賞金獲得のチャンスだという意味で、別の英単語の題名に変更された経緯があると推測できる。

封筒に答えが書かれていて、それを出す瞬間を
ニン!と見せ場を作るギャグを放った。
筆者が理由として考えたのは、伊東四朗が幼少期から歌舞伎好きだったので、見得を切る発想からきているだろう。
こうした解釈の余地のある見せ方は日本独自といってもよく、なんとか番組が筆者のような当時幼かった視聴者にも届いた理由だろう。

平成にうつると、伊東四朗はぼけない高齢者の象徴のような存在にもなった。
伊東四朗は、円周率やアフリカの国名を覚えたりする訓練によって脳を鍛えている。
そのことから、フジテレビでIQサプリのレギュラー放送(2004年4月~2009年3月)が始まったときに、パイロット版(2003年12月29日)の司会が篠井英介(1958年12月15日生れ)から変わったのはそれでは無いか?


次は元々の企画よりも長寿を誇った珍しいケースも紹介してみよう。

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