高橋幸宏、坂本龍一、高見のっぽ、松本零士、ティナ・ターナー、上岡龍太郎、平岩弓枝...2023年上半期メモリアル。七人のエンターテイナーを弔う

2023/7/7 17:15 龍女 龍女

上岡龍太郎
(1942年3月20日~2023年5月19日)


(上岡龍太郎 イラストby龍女)

1960年に横山ノック(1932~2007)
横山フック(現・青芝フック。1938年3月12日生れ。正確には、2代目で、1963年に加入) と漫画トリオの横山パンチとしてデビュー。
この時の「横山」という芸名は、横山ノックの師匠でもあるしゃべくり漫才の元祖と言われている
横山エンタツ(1896~1971)から来ている。

漫画トリオは
ニュースをネタに取り上げる漫才を生み出した。
「パンパカパーン、パンパンパン、パンパカパーン」
「今週のハイライト」
で始まるのが定番のネタ作りは常に新ネタでないと難しい性質のモノであった。
この系譜は現役の漫才コンビだと爆笑問題のネタの源流とも言えるだろう。
1968年に横山ノックが参議院選挙に出馬するために、漫画トリオは解散。

本名は小林龍太郎だったが、婿養子の父の旧姓の上岡と組み合わせて
上岡龍太郎と名乗り始めた。

ピン芸人になってからは、関西のテレビ局で司会者として数多くの番組に携わった。

特に今も放送が続いている『探偵ナイトスクープ』の初代局長として、印象を残した。
この番組の中で発展した企画
アホ・バカ分布図
は日本の方言研究の成果としても貴重な資料となっている。

筆者は深夜に放送されていた読売テレビの『鶴瓶・上岡パペポTV』(1987~1998)を観ていた。
この番組は、日本テレビでも放送されて評判だったので、東京のキー局の番組にも起用された時期の代表作品が
『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』である。

初代の女性サブ司会だった
有賀さつき(1965~2018。番組担当時期は1990~1992)
に関してはこういうエピソードがある。



と、かつての上司だった元フジテレビアナウンサーの
山中秀樹(1958年12月19日生れ)はツイートしている。
(その山中秀樹はフリーになってから爆笑問題の所属するタイタンに所属)

2000年3月いっぱいで芸能活動を引退してその後は余生を過ごした。
公での発言は、2007年に横山ノックが亡くなったときの弔辞が最後になった。


筆者は過去の先人を悼むとき、ただ褒めるだけではその人を評するには値しないと思う。
寺山修司が作詞した歌に『半分愛して』と言うのがある。
詩の内容はともかく、TVで観ていた人気者、特に上岡龍太郎のような人を見ていると
ふと思い出す歌のタイトルであった。

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