高橋幸宏、坂本龍一、高見のっぽ、松本零士、ティナ・ターナー、上岡龍太郎、平岩弓枝...2023年上半期メモリアル。七人のエンターテイナーを弔う
松本零士
(1938年1月25日~2023年2月13日)
(松本零士 イラストby龍女)
筆者が生れて初めて泣いた映画はTVで観た
『さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅』(1981年)である。
劇場版のゴダイゴの主題歌も名曲だが
TVアニメ版の『銀河鉄道999』のOPテーマ曲で、ささきいさおが歌っていた同じ題名の主題歌の方が個人的には大好きだ。
銀河鉄道999が未だに語り継がれているのはストーリー・キャラクター、映像化されたときの音楽全てが感情を揺さぶってくるからだ。
お別れの会の弔辞は主人公星野鉄郎役の野沢雅子とメーテル役の池田昌子が担当した。
『銀河鉄道999』は宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』に刺激されて
松本零士の経験から発想を広げて描かれた。
日本の漫画はどうやって発展したのかを示している。
文学から漫画への進化を示す歴史的名作である。
松本零士は『漫画の王様』石ノ森章太郎(1938~1998)と生年月日が同じである。
若い頃には住所も近かったので交流もあったそうである。
石ノ森章太郎ほど漫画家としては多作ではないし、新しいジャンルも沢山作ったタイプでは無い。
しかし、意外にもあるジャンルの開発者だった。
実は猫漫画を描いた先駆けなのだ。
『トラジマのミーめ』(月刊プリンセス1975年9月号~1977年12月号。秋田書店)だ。
お別れの会の遺影で、猫をだいているのはそういう理由がある。
世代的にも、石ノ森章太郎同様手塚治虫の影響が顕著である。
松本零士が最も手塚治虫から影響を受けたのは、別の作品にも特定のキャラクターが登場してくるいわゆる「スターシステム」を導入したことである。
『銀河鉄道999』に別作品『わが青春のアルカディア』の主人公キャプテン・ハーロックが登場するのもそういう理由がある。
松本零士は故郷の福岡県久留米市から上京した1957年頃には本郷三丁目の4畳半のアパートに住んでいたらしい。
売れない漫画家時代は少女漫画を描いていた。
少女漫画に出てくるモノローグ表現は文学からの影響が強い。
1962年に少女漫画家の牧美也子と結婚して、練馬区に移り住んだ。
その縁で、練馬区を走る私鉄西武鉄道の池袋線のラッピング電車に、『銀河鉄道999』のメーテルと星野鉄郎が採用された。
筆者は普段は新宿線を使うことが多い。
たまに池袋線に乗る機会があり、あのラッピング電車に出逢えると嬉しかった。
松本零士のアニメが好きで、コラボしたフランスのミュージシャンがいた。
ダフト・パンク(1993~2022)である。
2000年にシングル『ワン・モア・タイム』が出て、ミュージックビデオが全編松本零士がキャラクターデザインのアニメ-ションだったので、度肝を抜かれた。
2001年にはアルバム『Discovery』がでた。
日本の洋楽チャートではアメリカ・イギリスのミュージシャンが売れるのが主流だった。
松本零士とコラボしたことで、フランスのミュージシャンが日本でも売れた。
異例のことである。
筆者もこのアルバムは持っている。
しかもアルバムの全曲通して松本零士のアニメーションのミュージックビデオがついていた。
これも異例の制作である。
シングルカットされる曲だけが、ミュージックビデオに採用されるケースが多いからである。
2003年に67分の映画『インターステラ5555』として、カンヌ国際映画祭の監督週間で特別上映された。
70年代後半にブームになったSF映画を語るときに、実写に限るとついついジョージ・ルーカスやスティーブン・スピルバーグが作った作品ばかり思い返してしまう。
アニメとなると日本の独壇場で、その中心には松本零士の存在があった。
間違いなく、筆者も松本零士の作品で育った子供だと誇りを持って言える。
「そういう大人に私はなりたい」
(1938年1月25日~2023年2月13日)

(松本零士 イラストby龍女)
筆者が生れて初めて泣いた映画はTVで観た
『さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅』(1981年)である。
劇場版のゴダイゴの主題歌も名曲だが
TVアニメ版の『銀河鉄道999』のOPテーマ曲で、ささきいさおが歌っていた同じ題名の主題歌の方が個人的には大好きだ。
銀河鉄道999が未だに語り継がれているのはストーリー・キャラクター、映像化されたときの音楽全てが感情を揺さぶってくるからだ。
お別れの会の弔辞は主人公星野鉄郎役の野沢雅子とメーテル役の池田昌子が担当した。
『銀河鉄道999』は宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』に刺激されて
松本零士の経験から発想を広げて描かれた。
日本の漫画はどうやって発展したのかを示している。
文学から漫画への進化を示す歴史的名作である。
松本零士は『漫画の王様』石ノ森章太郎(1938~1998)と生年月日が同じである。
若い頃には住所も近かったので交流もあったそうである。
石ノ森章太郎ほど漫画家としては多作ではないし、新しいジャンルも沢山作ったタイプでは無い。
しかし、意外にもあるジャンルの開発者だった。
実は猫漫画を描いた先駆けなのだ。
『トラジマのミーめ』(月刊プリンセス1975年9月号~1977年12月号。秋田書店)だ。
お別れの会の遺影で、猫をだいているのはそういう理由がある。
世代的にも、石ノ森章太郎同様手塚治虫の影響が顕著である。
松本零士が最も手塚治虫から影響を受けたのは、別の作品にも特定のキャラクターが登場してくるいわゆる「スターシステム」を導入したことである。
『銀河鉄道999』に別作品『わが青春のアルカディア』の主人公キャプテン・ハーロックが登場するのもそういう理由がある。
松本零士は故郷の福岡県久留米市から上京した1957年頃には本郷三丁目の4畳半のアパートに住んでいたらしい。
売れない漫画家時代は少女漫画を描いていた。
少女漫画に出てくるモノローグ表現は文学からの影響が強い。
1962年に少女漫画家の牧美也子と結婚して、練馬区に移り住んだ。
その縁で、練馬区を走る私鉄西武鉄道の池袋線のラッピング電車に、『銀河鉄道999』のメーテルと星野鉄郎が採用された。
筆者は普段は新宿線を使うことが多い。
たまに池袋線に乗る機会があり、あのラッピング電車に出逢えると嬉しかった。
松本零士のアニメが好きで、コラボしたフランスのミュージシャンがいた。
ダフト・パンク(1993~2022)である。
2000年にシングル『ワン・モア・タイム』が出て、ミュージックビデオが全編松本零士がキャラクターデザインのアニメ-ションだったので、度肝を抜かれた。
2001年にはアルバム『Discovery』がでた。
日本の洋楽チャートではアメリカ・イギリスのミュージシャンが売れるのが主流だった。
松本零士とコラボしたことで、フランスのミュージシャンが日本でも売れた。
異例のことである。
筆者もこのアルバムは持っている。
しかもアルバムの全曲通して松本零士のアニメーションのミュージックビデオがついていた。
これも異例の制作である。
シングルカットされる曲だけが、ミュージックビデオに採用されるケースが多いからである。
2003年に67分の映画『インターステラ5555』として、カンヌ国際映画祭の監督週間で特別上映された。
70年代後半にブームになったSF映画を語るときに、実写に限るとついついジョージ・ルーカスやスティーブン・スピルバーグが作った作品ばかり思い返してしまう。
アニメとなると日本の独壇場で、その中心には松本零士の存在があった。
間違いなく、筆者も松本零士の作品で育った子供だと誇りを持って言える。
「そういう大人に私はなりたい」