高橋幸宏、坂本龍一、高見のっぽ、松本零士、ティナ・ターナー、上岡龍太郎、平岩弓枝...2023年上半期メモリアル。七人のエンターテイナーを弔う
高見のっぽ
(1934年5月10日~2022年9月10日)
(高見のっぽ イラストby龍女)
皆さんは、子供時代に工作の楽しさを誰に教わっただろうか?
学校教育を目的としたTVチャンネル、NHK教育テレビ、現在のEテレの歴史の中での話である。
どの世代の視聴者として過ごしたかで大きく分れる。
筆者のような昭和50年代生れの子供は
のっぽサンとゴン太くんからだ。
現在では、高見のっぽとして知られるパントマイムの名手のタレントは、『できるかな』放送当時は「高見映」と名乗っていた。
番組はおしゃべり担当の声優つかせのりこ(1945~1989)と、のっぽさんの動き、ゴン太くんの声はブラジルの打楽器クイーカで表現されて、楽しい工作番組だった。
『できるかな』終了後も、みんなのうた『グラスホッパー物語』の作詞と出演で大きな印象を残した。
亡くなったのは昨年の9月10日である。
「周囲を騒がせたくない、死後半年以上伏せてほしい」
本人の希望で訃報は翌年の2023年5月10日(高見の誕生日)に初めて公表された。
『できるかな』の最終回で、これまで動作だけでパフォーマンスしていたのにとうとう喋ったのが話題になった。
これも本人の希望だったそうだ。
高見のっぽは最後まで自分の意思で何をしたいのかを決めた粋な大人だったのである。
(1934年5月10日~2022年9月10日)
![](https://ima.xgoo.jp/column/img2/ryujo/2023M03.jpg)
(高見のっぽ イラストby龍女)
皆さんは、子供時代に工作の楽しさを誰に教わっただろうか?
学校教育を目的としたTVチャンネル、NHK教育テレビ、現在のEテレの歴史の中での話である。
どの世代の視聴者として過ごしたかで大きく分れる。
筆者のような昭和50年代生れの子供は
のっぽサンとゴン太くんからだ。
現在では、高見のっぽとして知られるパントマイムの名手のタレントは、『できるかな』放送当時は「高見映」と名乗っていた。
番組はおしゃべり担当の声優つかせのりこ(1945~1989)と、のっぽさんの動き、ゴン太くんの声はブラジルの打楽器クイーカで表現されて、楽しい工作番組だった。
『できるかな』終了後も、みんなのうた『グラスホッパー物語』の作詞と出演で大きな印象を残した。
亡くなったのは昨年の9月10日である。
「周囲を騒がせたくない、死後半年以上伏せてほしい」
本人の希望で訃報は翌年の2023年5月10日(高見の誕生日)に初めて公表された。
『できるかな』の最終回で、これまで動作だけでパフォーマンスしていたのにとうとう喋ったのが話題になった。
これも本人の希望だったそうだ。
高見のっぽは最後まで自分の意思で何をしたいのかを決めた粋な大人だったのである。