高橋幸宏、坂本龍一、高見のっぽ、松本零士、ティナ・ターナー、上岡龍太郎、平岩弓枝...2023年上半期メモリアル。七人のエンターテイナーを弔う

2023/7/7 17:15 龍女 龍女

ティナ・ターナー
(1939年11月26日~2023年5月24日)


(ティナ・ターナー イラストby龍女)

訃報が流れたとき、紹介された別名
ロックンロールの女王に筆者は違和感を覚えた。
ティナ・ターナーにはもっとふさわしい別名があったではないか、と。
セクシー・ダイナマイトである。
これは90年代にNHKでアーカイブ化されて再編集された音楽バラエティ番組『エド・サリバン・ショー』(1948年6月20日 - 1971年3月28日)の日本語の紹介文で
「セクシー・ダイナマイト」と書かれていたのを覚えていたせいである。
この別名は、歌って踊る黒人歌手として
ジェームス・ブラウン(1933~2006)が先に有名で彼の別名の一つが
「ミスター・ダイナマイト」
その女性版という意味で付けられていたそうだ。

一方「ロックンロールの女王」は何故そういう言われる経緯があったのか?
本名・アンナ・メイ・ブロックは、バンドリーダー、アイク・ターナー(1931~2007)率いる「キングズ・オブ・リズム」のバックコーラスから看板歌手に昇格。
1960年にアイク&ティナ・ターナー・レビューが結成された。
それ以前、1957年から歌手活動をしていたようで、キャリアだけでいうなら、確かにロックンロール(1955年頃)の成立直後から始めている。
60年代に「ロック」に変わる前の世代の人なのである。

アイクはミュージシャンだけでは無く、エルヴィス・プレスリーを発掘したサンレコードなどでタレントスカウトおよびプロデューサーとしても働いていた。
その仕事柄の発想から、「ティナ・ターナー」と名乗らせて、歌手として育ててきた。
1969年にロックバンドCCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイヴァル)のカバーをアイクが編曲した『プラウド・メアリー』がヒットするなど他にも数々のヒット曲を生んでいる。

ところがその内幕で、アイクはティナに対して暴力で支配するようになる。
二人のコンビは限界を迎え、1976年にグループの解散と離婚調停は同時であった。
(正式な離婚成立は1978年。しかし、アイクもティナも以前の異性関係もあった複雑さ故に事実婚の破綻を指している)
この辺の経緯は、ティナの自伝を元にした映画『TINA ティナ』(1993)に描かれている。

アイクがどうして支配的な行動をするようになったかは、ウィキペディアの英語版に詳しく触れられている。
アイクもかつては性暴力の被害者だったことに筆者はショックを受けてしまった。
暴力の連鎖は恐ろしいモノである。

ティナが自立するきっかけになったのは、友人から勧誘された仏教、正確にはSGI(創価学会インターナショナル)の影響が大きいという。

筆者がイラストにする時に歌っている彼女の横に簡易的な五重塔を書いたのはその理由である。

1980年代に入ると、ソロ歌手として徐々にキャリアを積んできた。
アイクに変わって新曲をつくって支援してくれたのは、欧州のロックミュージシャン達だった。

その頂点となったのは1984年に発売されたアルバム
『プライヴェート・ダンサー』だ。
(タイトル曲は、元ダイヤー・ストレーツのマーク・ノップラーの作詞作曲)

この作品からシングル
『愛の魔力(原題:What's Love Got to Do with It)』
は生涯の最大ヒット曲となった。



この曲のミュージックビデオも名作で、1985年のMTV Video Music Awardsで最優秀女性ビデオ賞を受賞した作品なので、是非観て欲しい。
第27回のグラミー賞の最優秀レコード賞、最優秀楽曲賞、最優秀女性ポップ・ボーカル・パフォーマンス賞の3部門を受賞した。


彼女の特徴はシャウトするハスキーな声、美脚を強調したヒールを履いて、踊りながら歌のパフォーマンスを行うことだ。
こうしたパフォーマンスは体力の消耗も激しかったか、2000年以降は半引退状態になった。
デビュー50周年だった2008年にツアーをして10年ぶりに復帰した。
筆者はWOWOWの中継で、自伝を元にした『ティナ (ミュージカル)』(2018)がトニー賞の候補になったので、一部パフォーマンスを観た。
パフォーマンスの後、現在のティナが若い頃の自分を演じた俳優とスタンディングオベーションに応えて並んでいた。
これは筆者がメディアを通して観た生前最後のティナの姿だ。

彼女の訃報が入ったとき、スイスで亡くなったと聞いて疑問に思っていた。
海外メディアの報道を中心に、彼女のこれまでの経歴の中でリアルタイムで知らなかったことが次々と分かった。
1980年代以降の私生活では、後の2番目の夫になる16歳年下のドイツ人のエルヴィン・バッハと出会う。
27年交際を経て2013年に結婚し、スイスの市民権を得てアメリカ国籍は放棄した。


最初の疑問だった『ロックンロールの女王』の理由の答えは出た。

50年代から活動を開始したこと、80年代の復活した時期はイギリスのロックミュージシャンとのコラボが多かった。
彼女が「女王」と呼ばれたのは、次々とミュージシャン達が彼女に楽曲を献げたくなるほど、魅力的なパフォーマンスをしていたからだった。

今に繋がっているのは、21世紀のR&Bの女王
ビヨンセが、ティナ・ターナーの偉大さを若い世代へ繋げた功績も加味しなければならない。

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