松本潤主演『どうする家康』でアノ役はどの俳優が演じるのか?役所広司や夏目雅子も出演した1983年の大河ドラマ『徳川家康』から予想してみた
最近の大河ドラマは脚本家のオリジナルの割合が増えているが、かつては歴史小説の原作付きが当たり前であった。
『徳川家康』の原作は山岡荘八(1907~1978)だ。
山岡荘八は歴史小説の大家の一人で、大河ドラマになった原作小説は3作品ある。
他の2作品は『春の坂道』(後年『柳生宗矩』に改題)と『独眼竜政宗』である。
(山岡荘八 イラストby龍女)
ちなみに一番多く大河ドラマの原作になった小説家は司馬遼太郎(1923~1996)だ。
『竜馬がゆく』(1968)
『国盗り物語』(1973)
『花神』(1977)
『翔ぶが如く』(1990)
『徳川慶喜』(1998)
『功名が辻』(2006)
の6作品である。
山岡荘八原作の第1作目の『春の坂道』(1971)は大河ドラマになる前提に書かれた小説で、今で言うところのメディアミックスの走りだ。
主人公は、徳川家康・秀忠・家光に仕えた剣術指南役柳生宗矩(1571~1646)である。
主役を演じたのは、当時は中村錦之助だった萬屋錦之介(1932~1997)である。
古巣の東映で製作された映画『柳生一族の陰謀』(1978)でも同じ役を演じている。
『春の坂道』翌年の1972年11月に芸名を萬屋錦之介となった。
『春の坂道』は柳生宗矩が当たり役となったきっかけとなった。
山岡荘八が書いたのは、実際はその後に大河ドラマの原作になった2作品より、一番遅い。
大河ドラマ空前の大ヒットとなった『独眼竜政宗』(1987)の原作、『伊達政宗』が書かれ始めたのが1970年頃で1973年に完結したので、春の坂道と同時進行だった可能性はある。
『徳川家康』は講談社文庫から26巻出ている。
1950年から1967年まで北海道・東京・中日・西日本新聞で連載された。
一人の人物を描いた歴史小説としては最長であろう。
こらえ性のない筆者は正直言って原作小説は読んでいない。
この原作は一部は映像化されていたが、恐らく内容全体をほぼ映像化できたのはこの大河ドラマだけであった。
大河ドラマの映像化の場合、かつては50回で完結するものだった。
原作となる小説が50回分の内容のモノは殆ど存在しない。
原作を脚本家が膨らますか同じ原作者の同時代の小説と合わせて映像化するのが常である。
昨年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の元ネタは1979年の大河ドラマ
『草燃える』である。
永井路子の原作小説が複数用いられた。
『北条政子』
『炎環』
『つわものの賦』
『相模のもののふたち』
『絵巻』
である。
『徳川家康』だけは原作が長大すぎてエピソードがカットされた可能性がある希有なケースである。
脚色したのは、TVドラマの女性脚本家のパイオニアの一人
(小山内美江子 イラストby龍女)
小山内美江子(1930年1月8日生れ)である。
原作の第1巻目の題名は『竹千代誕生』で、母・於大(おだい)の方の縁談から書かれる。
これを忠実に映像化するかしないか?
企画会議は大変だったろう。
結局、原作に忠実に竹千代が生れる前から始まることに決定した。
これは、『どうする家康』が家康が松平元康だった17歳の桶狭間の戦い(1560年6月12日)を軸にドラマが始まるのとは全く違う。
恐らく、『どうする家康』の脚本家の古沢良太(1973年8月6日生れ)は、ドラマの構成の参考として、主人公の真田信繁が元々仕えていた武田家が滅んだ1582年3月から始まる『真田丸』(2016)を手本としているのではないだろうか?
この大きな違いは、大河ドラマが元々長編小説を映像化する発想から、徐々に映画的表現を重視するようになった時代の移り変わりと大きく関係しているかもしれない。
20世紀は今でこそ映像の世紀と称されるが、少なくとも前半は19世紀を支配していたメディア小説の影響を多大に受けていた。
映像によって、時代を時系列に丁寧に描く19世紀的小説表現は衰退していき、大河ドラマの時代を描く表現も変化してきた。
21世紀に入ってきてからの大河ドラマは小説原作は
高橋克彦『北条時宗』(2001)
吉川英治『武蔵 MUSASHI』(2003)
宮尾登美子『義経』(2005)
司馬遼太郎『功名が辻』(2006)
井上靖『風林火山』(2007)
宮尾登美子『篤姫』(2008)
火坂雅志『天地人』(2009)
林真理子『西郷どん』(2018)
22本中8本と半分以下で2010年以降に至っては『西郷どん』のみとなっている。
それでは、次の頁から一部ではあるが、大河ドラマ『徳川家康』に出演していた名優達を紹介しよう。
『徳川家康』の原作は山岡荘八(1907~1978)だ。
山岡荘八は歴史小説の大家の一人で、大河ドラマになった原作小説は3作品ある。
他の2作品は『春の坂道』(後年『柳生宗矩』に改題)と『独眼竜政宗』である。
(山岡荘八 イラストby龍女)
ちなみに一番多く大河ドラマの原作になった小説家は司馬遼太郎(1923~1996)だ。
『竜馬がゆく』(1968)
『国盗り物語』(1973)
『花神』(1977)
『翔ぶが如く』(1990)
『徳川慶喜』(1998)
『功名が辻』(2006)
の6作品である。
山岡荘八原作の第1作目の『春の坂道』(1971)は大河ドラマになる前提に書かれた小説で、今で言うところのメディアミックスの走りだ。
主人公は、徳川家康・秀忠・家光に仕えた剣術指南役柳生宗矩(1571~1646)である。
主役を演じたのは、当時は中村錦之助だった萬屋錦之介(1932~1997)である。
古巣の東映で製作された映画『柳生一族の陰謀』(1978)でも同じ役を演じている。
『春の坂道』翌年の1972年11月に芸名を萬屋錦之介となった。
『春の坂道』は柳生宗矩が当たり役となったきっかけとなった。
山岡荘八が書いたのは、実際はその後に大河ドラマの原作になった2作品より、一番遅い。
大河ドラマ空前の大ヒットとなった『独眼竜政宗』(1987)の原作、『伊達政宗』が書かれ始めたのが1970年頃で1973年に完結したので、春の坂道と同時進行だった可能性はある。
『徳川家康』は講談社文庫から26巻出ている。
1950年から1967年まで北海道・東京・中日・西日本新聞で連載された。
一人の人物を描いた歴史小説としては最長であろう。
こらえ性のない筆者は正直言って原作小説は読んでいない。
この原作は一部は映像化されていたが、恐らく内容全体をほぼ映像化できたのはこの大河ドラマだけであった。
大河ドラマの映像化の場合、かつては50回で完結するものだった。
原作となる小説が50回分の内容のモノは殆ど存在しない。
原作を脚本家が膨らますか同じ原作者の同時代の小説と合わせて映像化するのが常である。
昨年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の元ネタは1979年の大河ドラマ
『草燃える』である。
永井路子の原作小説が複数用いられた。
『北条政子』
『炎環』
『つわものの賦』
『相模のもののふたち』
『絵巻』
である。
『徳川家康』だけは原作が長大すぎてエピソードがカットされた可能性がある希有なケースである。
脚色したのは、TVドラマの女性脚本家のパイオニアの一人
(小山内美江子 イラストby龍女)
小山内美江子(1930年1月8日生れ)である。
原作の第1巻目の題名は『竹千代誕生』で、母・於大(おだい)の方の縁談から書かれる。
これを忠実に映像化するかしないか?
企画会議は大変だったろう。
結局、原作に忠実に竹千代が生れる前から始まることに決定した。
これは、『どうする家康』が家康が松平元康だった17歳の桶狭間の戦い(1560年6月12日)を軸にドラマが始まるのとは全く違う。
恐らく、『どうする家康』の脚本家の古沢良太(1973年8月6日生れ)は、ドラマの構成の参考として、主人公の真田信繁が元々仕えていた武田家が滅んだ1582年3月から始まる『真田丸』(2016)を手本としているのではないだろうか?
この大きな違いは、大河ドラマが元々長編小説を映像化する発想から、徐々に映画的表現を重視するようになった時代の移り変わりと大きく関係しているかもしれない。
20世紀は今でこそ映像の世紀と称されるが、少なくとも前半は19世紀を支配していたメディア小説の影響を多大に受けていた。
映像によって、時代を時系列に丁寧に描く19世紀的小説表現は衰退していき、大河ドラマの時代を描く表現も変化してきた。
21世紀に入ってきてからの大河ドラマは小説原作は
高橋克彦『北条時宗』(2001)
吉川英治『武蔵 MUSASHI』(2003)
宮尾登美子『義経』(2005)
司馬遼太郎『功名が辻』(2006)
井上靖『風林火山』(2007)
宮尾登美子『篤姫』(2008)
火坂雅志『天地人』(2009)
林真理子『西郷どん』(2018)
22本中8本と半分以下で2010年以降に至っては『西郷どん』のみとなっている。
それでは、次の頁から一部ではあるが、大河ドラマ『徳川家康』に出演していた名優達を紹介しよう。