三谷幸喜が『鎌倉殿の13人』で源実朝(柿澤勇人)暗殺事件をしつこく描きたい理由に、過去の大河ドラマで自ら演じた役にヒントがあった!

2022/11/25 17:45 龍女 龍女

市川崑は、1948年に『-「眞知子」より- 花ひらく』で映画監督デビューした。
その前は東宝映画で助監督をしていた。

デビュー年の1948年6月13日にある文豪が玉川上水で心中遺体となって発見された。
その男の名は太宰治(1909~1948)である。


(太宰治 イラストby龍女)

市川崑は太宰治の作品の映画化で助監督としてついていた。
現場で見学していた太宰治は、女優に手を出そうとして夜這いをかけたらしい。
それを止めたそうだ。

太宰治は、1943年に小説『右大臣実朝』を書いた。
初めての歴史小説の題材に実朝を選んだ。
少年時代から書きたくて相当な思い入れがあったそうだ。
『冬の花火 わたしの太宰治』(1979年10月~1月。TBS)
太宰治を演じたのは、石坂浩二である。
『草燃える』の源頼朝を演じた後のドラマだ。


(『草燃える』の源頼朝を演じる石坂浩二 イラストby龍女)

当時高校生だった三谷幸喜が見ていたとしてもおかしくない。
フジテレビの三夜連続の特別ドラマ『我が家の歴史』(2010年4月9日~11日)
三谷幸喜は石坂浩二に小説家永井荷風(1879~1959)を演じさせている。
これは、永井荷風が石坂浩二の母校・慶應義塾の教授(1910~1916)を務めた関連もあろうが、荷風同様に趣味人という共通点から起用されたのだろう。

このコラムが公開される日は11月25日。
三島由紀夫の命日、憂国忌である。
ちなみに永井荷風は三島由紀夫の祖母夏子(旧姓永井)を通じての親戚関係である。

1946年12月14日、21歳の平岡公威(本名)は、劇作家の矢代静一に誘われて太宰治に会いに行った。
酒の席で面と向かって、三島由紀夫は太宰治に言った。
「僕は、貴方の文学が嫌いなんです」
太宰も
「そんなに嫌いなら、来なけりゃいいじゃねえか」
と返した。

太宰治と三島由紀夫には共通点がある。
名家の3代目である。
太宰治の本名は、津島修治。
青森県の金木町の名士津島家のお坊ちゃんである。
太宰は長男ではなかったので、次男なのに後継者になった実朝に共感したのだろう。
実朝は政治家よりも歌人として評価されていた。
年の離れた兄で当主の津島文治はともかく津島家は芸術家一家でもあった。
一方で、三島由紀夫は長男だった。
樺太庁の長官まで出世した平岡定太郎の孫で、父梓は農林省官僚。
しかし、官僚のヒエラルキーは圧倒的に大蔵省(現財務省)が一番である。
そんな父の悲願もあって、一端大蔵省に勤めたものの文学を諦めきれず、小説家に専念するために一年半ほどで退官した。
三島は幼少期病弱で祖母・夏子に育てられた。
夏子は定太郎の女遊びが原因で性病をうつされていた。
どこか祖父を呪って生きていた祖母を観て、三島由紀夫は老醜を極端に恐れるようになった。
しかも、もう一つ津島家と平岡家には共通点がある。
祖父の代に成り上がった家で父方の出自は怪しかった。
まるで犬神家にそっくりではないか。
三島由紀夫が太宰治を嫌ったのはまさに近親憎悪に似ていた。

三島由紀夫が書いたこの時代の小説を筆者は読んだことがない。
次のページではもし実朝暗殺事件の中に、三島由紀夫が共感する人物がいたら一体誰か?
それを見ていきたい。

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