最もハリウッドで成功した日本人俳優?『MINAMATA』出演の真田広之が師匠・千葉真一を超えたモノとは?

2021/9/29 22:00 龍女 龍女

②90年代、日本映画の陰りの集大成?『写楽』の当時の扱われ方
篠田正浩監督作品『写楽』(1995年)は難産の末に誕生したが、映画界での評価と世間的な評判にギャップが生じてしまった。


(写楽より。役者絵の下絵を描く真田広之演じるとんぼ イラストby龍女)

この作品は、当初1957年の名作『幕末太陽傳』の監督・川島雄三(1918~1963)と主演のフランキー堺(1929~1996)が作ろうとしていた『寛政太陽傳』を土台としている。
当然、この企画の主役・写楽役はフランキー堺であった。
監督の川島雄三が45歳の若さで亡くなり、頓挫してしまった。
それ以来、フランキー堺は写楽研究家となり、暖め続けていた企画である。
ようやく企画が監督・篠田正浩(1931年3月9日生れ)、原作と脚本が皆川博子で立ち上がったときに写楽を演じる年齢を遙かに越していた。
代わりに写楽を生み出した版元の蔦屋重三郎を演じることにした。
脚本化する際に皆川博子は小説家であるので、監督の篠田正浩とフランキー堺の本名・堺正俊名義で脚色に加わっている。

代わりに写楽役に配役されたのが真田広之である。
主役は、一番出番が多い。
当然拘束される時間も多く、シナリオ上の設定にのめり込みすぎる恐れもある。
錯覚を起こす期間が長引いて私生活を侵食すると、スキャンダルに化けてしまう。

つまり、スタッフの熱意や製作陣の努力は、主役である真田広之と共演者の葉月里緒奈に錯覚を起こさせてしまい、かえってトラブルを招いてしまった。

今のような炎上商法は無かったので、興行成績にマイナスになってしまった。
虚と実の皮膜が思わぬ方向に行ってしまった。
映画各賞に目を移すと、真田広之は主演男優賞はキネマ旬報とブルーリボン賞で受賞している。
この二つの賞は、キネマ旬報が雑誌に寄稿する映画評論家を中心としたライター陣、ブルーリボンは東京のスポーツ紙の映画担当記者で構成される。

映画業界人が会員の日本アカデミー賞は、主に技術部門(音楽・撮影・照明・美術・録音・編集)で最優秀賞を獲得した。


1997年に手塚理美と離婚した。これ以降、何人か著名な女性との噂はあるが独身である。

真田広之は主役級の俳優としてオファーが途切れることは無かった。


さて、1999年から2000年に、蜷川幸雄演出のシェイクスピアの名作『リア王』でイギリスの演劇の舞台に日本人で唯一の出演を果たし、英語力も身につけていき徐々にハリウッド進出の素地は着実に出来ていた。
いよいよハリウッド進出の作品『ラストサムライ』に出演することになるが、もう一つの飛躍のきっかけになったあの作品についても触れておかねばなるまい。

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