【70年前の日本】DDT散布、やらせシーン?、謎の顔面アップ…昭和21年の復員兵たちを映した動画が興味深い

2016/2/26 18:45 服部淳 服部淳

どうも服部です。昭和の動画を紐解いていくシリーズ、今回は終戦の7ヵ月後である1946年(昭和21年)3月に撮影されたフィルムを紹介します。


「Japanese Repatriates Otake 03 09 1946(大竹での日本の帰還者たち、1946年3月9日=著者訳)」とタイトル付けされた「US National Archives(アメリカ国立公文書記録管理局)」が投稿した音声なしのカラー映像です。
※動画はページ下部にあります。


大竹とは、広島県の南西端、山口県に接する広島県大竹町(現・大竹市)のことです(画像はgoo地図)。大竹は海軍の新兵を教育するための「海兵団」や、潜水艦乗組員を養成する「潜水学校」といった設備がある、海軍の拠点でもありました。


それら海軍の兵舎などが残っていたため、台湾、満州などからの引揚者と、戦地から帰還してくる復員兵の受け入れ港として、1945年(昭和20年)12月14日より「引揚援護局」が設置されていました(写真はWikipediaより)。1947年(昭和22年)2月21日に閉局するまで、約41万人が上陸したそうです。


では映像を見ていきましょう。上陸用の小舟が港に着きます。


降りてきたのは、引き揚げしてきた民間人のようです。


大竹港には大型船は着岸できないようで、沖留めされています。元動画に付いていた撮影メモによると、こちらは航空母艦だそう。艦名は不明。


もう一隻は装甲巡洋艦の「八雲」だそうです。ほとんどの日本の軍船が終戦までに大破・沈没したなか、終戦時に可動状態にあった船は、このように引揚者たちの輸送船として活躍していました。


「引揚援護局」の施設までは、老人や子供、病人などはトラックに乗って移動していますが、他は徒歩です。


椅子を持ってきている人もいます。大切な品なのでしょうか。




いつも書いてますが、鮮明なカラー映像で見ると、70年の時の流れを感じさせません。


こちらは復員兵たち。船内で配られたのでしょう、多くの人がマスクをしています。


というのも、まずはDDTを散布されるためです。DDTとは、シラミなどの殺虫剤として、アメリカ軍が持ち込んだ薬品です。当時は人体には無害のように考えられていましたが、後に神経毒であることが判明、日本では1981年(昭和56年)に製造・輸入が禁止になっています。




DDT散布器で、背中や袖、ズボンの中に散布してきます。


白衣の女性たちが、素早い動作で次から次へと帰還者に散布していきます。


ここからは、どういう意図か不明ですが、復員兵が一人ずつカメラに収められていきます。撮影メモによると、タバコを吸うこの方は、陸軍第6師団の少将と書いてあります。第6師団は終戦をソロモン諸島で迎えています。


次の方は、視線を左へ、続いて右へ動かしていきます。第86師団の少将だそうですが、同師団は国内で終戦を迎えているようなので、この場所にいるのはおかしいですね。


カチンコが入り、場所はOTAKE(大竹)、日付は(19)'46年3月12日、カメラマンは映画監督兼カメラマンの三村明氏(海外名:ハリー三村)ということが分かります。


次の男性は、笑顔が出てしまったのを注意されたのか、すっと真顔に戻します。






このように6人が立て続けに収められます。憶測にすぎませんが、戦争中に米国人たちの間についた「殺人鬼」のようなイメージを払拭するため、日本兵も普通の人間なのだと伝えるためのカットなのでしょうか。


場面は切り替わって、屋外で飯ごう炊さん(炊飯)しているところのようです。


すぐに人が集ってきました。


続いては屋内での撮影。分かりにくいですが、机を囲む復員兵たちが、階級章を外すシーンです。もう軍隊なんてなくなったんだという意味合いでしょうか。


と、ここでカチンコを挟みます。この米軍による戦後の日本を撮影した映像では度々見られますが、演出(やらせ?)が入ります。


再び階級章を外す復員兵たち。


どういうワケか、仲間の髭を剃っているシーン。手つきがとてもいいので、本業は床屋さんなのでしょうか。


そして再び一人ずつの撮影が始まります。前出のものよりアップになっています。先ほどのは、階級が比較的高い人たちでしたが、ここからは下士官たちのようです。










なぜか最後の方だけ食事のシーンです。


カメラは港に戻り、引揚者の列を捉えます。


足を止めカメラに深々とお辞儀をする子供たち。その他にも多くの人がカメラにお辞儀や脱帽をしていきます。


撮影メモによると、山陽鉄道の大竹駅のようです。大勢の復員兵たちが、運賃無料の復員列車の到着を待っています。ようやく軍隊から解放され、どんな気持ちでいるのでしょうか。


カメラは沖留めされている大型船を捉えます。撮影メモによると、パプアニューギニアのラバウルから帰還してきた5000名ほどの復員兵が乗っているそう。


中型船に乗り換える兵員たち。ラバウルといえば、2015年に亡くなった漫画家の水木しげるさんが配属されたことでも知られる場所で、ゲリラ戦が繰り広げられた激戦地でもあります(水木さんは大竹ではなく、浦賀に着港したそうです)。


何年かぶりに日本の土を踏んだ兵員たち。


白衣のDDT散布隊がやって来て、


地面に広げた所持品に散布していきます。




こちらもラバウルからの帰還兵でしょうか。疲労や不安などから、喜びの実感はまだ湧かないのかもしれません。


駅へ向かう復員兵たちの後ろ姿をもって、映像は終了します。これから始まる新たな人生へ立ち向かっていくかような幕引きですね。引き続き、歴史の1ページを紐解いていければと思います。

(服部淳@編集ライター、脚本家) ‐ 服部淳の記事一覧



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