『おかえりモネ』の夏木マリは何故いちいちカッコイイ?
夏木マリは、東京都豊島区出身、中島淳子が本名である。
池袋生まれで、小学校3年から埼玉県の大宮で育った。
父は貿易業者。母は現在の彼女に似た日本人離れした美人だった。戦前はいじめられたりしていたという。
筆者の両親と同世代だ。学校の給食の影響で朝食でパンを食べる人が多い。
夏木マリの家庭は普段から洋食でナイフとフォークを日常使いしていた。
他の家庭は和食が多く、実家で食べなかった反動で未だに白いご飯が好きらしい。
東池袋にある進学校の豊島岡女子学園高校を卒業した。
19歳の時、一度本名の中島淳子名義で歌手デビューするが売れなかった。
1973年、21歳で現在の芸名になって『絹の靴下』で再デビュー。大ヒットした。
ヒットの後は続かずキャバレー周りをしていた。
少し、話をデビュー前に戻す。
中高校生の中島淳子は当時流行ったグループサウンズ、略してGSの追っかけだった。
有名どころでは、萩原健一がヴォーカルのテンプターズ。メンバーと仲良くなりたくて、マイナーなグループもおっかけていたらしい。
GSブームは1967年から69年頃と言われる。それを支えたファッションデザイナーがいた。
1966年に青山にブティックCOLETTEを開店させたコシノジュンコである。
渡辺プロの布施明をきっかけにタイガースや何組も手がけた。
女学生時代の中島淳子もこの時代のコシノジュンコを知っていた可能性は高い。
GSブームと同じ時期に歌手としての目標となる存在と出逢う。
(コンピレーション・アルバム『白鳥の歌』のジャケットから引用 イラストby龍女)
ブルース・ロック歌手のジャニス・ジョップリン(1943~1970)である。
しかし、この時代の日本の芸能界は自分がやりたい音楽をさせてもらう環境には程遠かった。
70年代後半になると、歌手以外でも俳優の仕事も入ってきた。
分岐点は五社英雄監督の『鬼龍院花子の生涯』(1982)である。
それ以前でも映画出演はあったが、出世作になった。
次の映画は筆者が初めて映画館で観た日本映画であった。
(里見八犬伝のスチール写真から引用 イラストby龍女)
角川映画の大作『里見八犬伝』(1983)のラスボス、玉梓である。
これまでの妖艶なイメージを拡大させた優雅さと派手な衣装に負けない迫力があった。
当時小学校一年生だった筆者は強烈な影響を受けた。
この映画の美術の退廃的な魅力に圧倒された。ウィーン世紀末のグスタフ・クリムトを引用している。
夏木マリはこの役と翌年に公開された五社英雄監督の『北の蛍』の女将すま役で日本アカデミー賞の優秀助演女優賞を獲得した。
俳優として、業界内で認められたのである。
次は平成以降のキャリアを観ていこう。
池袋生まれで、小学校3年から埼玉県の大宮で育った。
父は貿易業者。母は現在の彼女に似た日本人離れした美人だった。戦前はいじめられたりしていたという。
筆者の両親と同世代だ。学校の給食の影響で朝食でパンを食べる人が多い。
夏木マリの家庭は普段から洋食でナイフとフォークを日常使いしていた。
他の家庭は和食が多く、実家で食べなかった反動で未だに白いご飯が好きらしい。
東池袋にある進学校の豊島岡女子学園高校を卒業した。
19歳の時、一度本名の中島淳子名義で歌手デビューするが売れなかった。
1973年、21歳で現在の芸名になって『絹の靴下』で再デビュー。大ヒットした。
ヒットの後は続かずキャバレー周りをしていた。
少し、話をデビュー前に戻す。
中高校生の中島淳子は当時流行ったグループサウンズ、略してGSの追っかけだった。
有名どころでは、萩原健一がヴォーカルのテンプターズ。メンバーと仲良くなりたくて、マイナーなグループもおっかけていたらしい。
GSブームは1967年から69年頃と言われる。それを支えたファッションデザイナーがいた。
1966年に青山にブティックCOLETTEを開店させたコシノジュンコである。
渡辺プロの布施明をきっかけにタイガースや何組も手がけた。
女学生時代の中島淳子もこの時代のコシノジュンコを知っていた可能性は高い。
GSブームと同じ時期に歌手としての目標となる存在と出逢う。

(コンピレーション・アルバム『白鳥の歌』のジャケットから引用 イラストby龍女)
ブルース・ロック歌手のジャニス・ジョップリン(1943~1970)である。
しかし、この時代の日本の芸能界は自分がやりたい音楽をさせてもらう環境には程遠かった。
70年代後半になると、歌手以外でも俳優の仕事も入ってきた。
分岐点は五社英雄監督の『鬼龍院花子の生涯』(1982)である。
それ以前でも映画出演はあったが、出世作になった。
次の映画は筆者が初めて映画館で観た日本映画であった。

(里見八犬伝のスチール写真から引用 イラストby龍女)
角川映画の大作『里見八犬伝』(1983)のラスボス、玉梓である。
これまでの妖艶なイメージを拡大させた優雅さと派手な衣装に負けない迫力があった。
当時小学校一年生だった筆者は強烈な影響を受けた。
この映画の美術の退廃的な魅力に圧倒された。ウィーン世紀末のグスタフ・クリムトを引用している。
夏木マリはこの役と翌年に公開された五社英雄監督の『北の蛍』の女将すま役で日本アカデミー賞の優秀助演女優賞を獲得した。
俳優として、業界内で認められたのである。
次は平成以降のキャリアを観ていこう。