木村拓哉主演『レジェンド&バタフライ』で織田信長の妻・濃姫を演じる綾瀬はるかが、最後まで老けないメイクをしているのには理由があった?

2023/2/3 17:00 龍女 龍女

映画『レジェンド&バタフライ』は、1550年の織田信秀の居城・那古屋城から始まる。
嫡子・信長(木村拓哉)と、濃姫こと帰蝶(綾瀬はるか)の婚礼のシーンである。
前田犬千代(和田正人)を始めとする馬廻り衆が若君である信長の化粧や衣装合わせで煽りながらもり立てている。
濃姫の輿入れの行列が見えて、かっこつけた少年信長は高台で眺めながらワクワクしている。


(『レジェンド&バタフライ』のポスターから引用 イラストby龍女)

三三九度のシーンで、実は濃姫と信長のキャラクターの違いが明らかになる。
このシナリオで一番重要なのは、濃姫は3度目の結婚だが、信長は初婚である。
三三九度になれている濃姫。
信長は初めて三三九度をしたら、酒を吐いてしまう。

コント番組『笑う犬』シリーズで、内村光良が演じるキャラクターで葉山先輩がいる。
毎回、このコントのオチは、かっこつけているけど葉山先輩だけは童貞なのがバレてしまう悲しさだ。
この婚礼のシーンの面白さは、実は信長はイケメンなのにイケてない。

映画の出来はまあまあ合格点なのだが、惜しい点が一つだけある。
シナリオとして信長と濃姫の物語に絞ったのは潔いが、信長が魔王(大量虐殺者)になって濃姫と疎遠になるドラマ性が弱い。
これを解消する為にどうして入れて欲しいシーンがあった。
濃姫と明智光秀(宮沢氷魚)が対面する場面だ。

シナリオ上、信長が魔王になるスイッチになったのは、お忍びで濃姫と京都の町で買い物をしていた場面である。

濃姫に買った蛙の置物をスリにとられた。
追いかけていたら、スラム街に信長と濃姫が迷い込む。
スラムの住民に囲まれて恐怖のあまり、濃姫が一人を殺す。
更に襲われてしまい、信長と濃姫が名も無き民達を次々と殺してしまう。
荒れ果てた寺に隠れた信長と濃姫のラブシーンに入る。
濃姫はこの後妊娠したが、流産してしまう。

史実ベースだと、信長が魔王になるのは金ケ崎の戦いで朝倉・浅井連合軍に大敗してからだ。
決定打が比叡山延暦寺の焼き討ちと、小谷城の戦いの後の浅井一族の歴代当主の金の髑髏を盃にするところである。
光秀が初登場した金ケ崎のしんがりはインパクトが弱い。
この映画で、魔王信長を誘導しているのは、明智光秀である。
しかし、濃姫と明智光秀が一度も会わないのは不自然だ。

濃姫と光秀を会わせないシナリオにしたのは想像がつく。
大河ドラマ『麒麟がくる』で一緒のシーンが多く、被らないようにするためだろう。
『麒麟がくる』では、本能寺の変の黒幕は濃姫(川口春奈)かもしれないと描かれる。
この映画での光秀は『麒麟がくる』と違い、信長より年下と設定されている。
ミステリアスな存在とされているので、通説の従兄弟説を否定して、元々の濃姫の知っている十兵衛(光秀の通称)では無い何者か分からない人物として提示した方が良い。
光秀単独犯を強調するには、濃姫と光秀の関係が薄いことを証明する必要がある。
二人が対面した時に濃姫が不審がるリアクションが欲しい。
魔王の時の信長は、濃姫が不在なので、親戚らしい明智光秀の動きをもっと怪しく目立たせたい。

安土城の接待での信長の威厳を見せようとする光秀への折檻は、芝居である。
接待相手の徳川家康(斎藤工)に見破られるだけでは弱い。
光秀の本能寺の変の動機が更に強化された筈だ。

このシナリオは、信長と濃姫のドラマなのだから、光秀が二人のささやかな夢を破ってしまう存在として、もう少し悪役として振り切らせた方が面白くなっていた。

ラストシーン。
信長が燃えさかる本能寺の床に抜け穴を見つけた。
馬で逃亡すると安土城で寝ていた濃姫を連れ出す。 南蛮船に乗って嵐に遭いながらなんとか外国へ逃亡する。
しかし、それは夢で、信長は
「ずっと、好いておった」
と言うと、自らの首に刃物を当てて自害する。

信長が南蛮船で濃姫と日本を飛び出した逃避行の画面構成が『タイタニック』のあの名場面によく似ていた。
このシーンだけでなく、タイタニック全体のプロット、主人公二人の恋を邪魔するヒロインの婚約者的な役割をもう少し光秀に与えるべきであった。


信長が死を前に選ばなかった濃姫との二人だけの夢を想像する。
近年の映画では『ラ・ラ・ランド』のラストが有名である。
『ラ・ラ・ランド』のカップルが別れて選ばなかった人生を想像するので切ない。
しかし、登場人物は死ぬわけではないので、絶望ではない。
主人公が死ぬ前に観る甘美な夢は圧倒的な絶望か救いか分からない。
そこまで踏み込んで選ばなかった人生を夢想する映画が過去にあった

マーティン・スコセッシ監督の『最後の誘惑』(1988)だ。
貼り付けにされたイエス(ウィレム・デフォー)が、マグダラのマリアとの夫婦生活を夢想する。
信長が罪を背負って十字架にかけられたキリストになぞられて描かれている。
そう考えると、侍従の福富貞家(伊藤英明)と各務野(中谷美紀)が確実に老けメイクしているのに、綾瀬はるかの濃姫が老けないメイクをしている理由に必然性が伴わない。
濃姫は信長の子を流産してから病気になったので、顔の化粧は白く不健康的だが、髪の毛が黒いままなのは不自然だ。

この映画の中での信長は、比叡山延暦寺を焼き討ちにした魔王となった。
しかし、大量虐殺することが平気なわけはない。
臆病さを隠す信長の心の支えになったのはキリスト教である。
と映画のなかでは、解釈がなされている。

そうなると、綾瀬はるかはただの信長の妻ではない。
特に、戦場の中を行軍する信長の肩に蝶が止まるシーンがあった。
明らかに蝶が、濃姫の本名とされる帰蝶を象徴している。
これは手塚治虫のライフワーク『火の鳥・鳳凰編』で大盗賊・我王が救ったテントウ虫を思い出させる。
テントウ虫は、我王の前に人間の女の姿になって現れ、妻になるが最後に我王に殺されてしまう。

戦国時代の終わりは、ヨーロッパの文化史区分ではルネッサンス盛期からマニエリスム・バロック期の境界線に当たる。
ルネサンス期は、人間の表現が格段にリアルになったが、唯一リアルでない表現が中世から残っていた。
それは、聖母マリアを若い女性のまま表現することである。
聖母マリアが老女として表現したのはバロックを始めたミケランジェロ・カラバッジョ(1571~1610)である。

綾瀬はるかの濃姫が老けないメイクの理由は、こう考えている。
濃姫は現実に生きている。
しかし、信長には蝶の妖精で、聖母マリアでもありマグダラのマリアという永遠の女性像に見えているという表現ではないだろうか?

綾瀬はるかは、『レジェンド&バタフライ』の前半は、これまでの演じてきた役を生かした活動的で男勝りな濃姫を演じた。
後半の病気になってしまう展開はブレイクのきっかけになった『世界の中心で愛を叫ぶ』以来だった。
しかし、彼女の実年齢が30代後半と言うことなので、子供を産まない女性の役柄も今後多くなりそうなので、これからの彼女の役柄の可能性も期待できる。
時代劇であったが、綾瀬はるかは現代の女性を演じる代表格の俳優である事を改めて認識させてくれた。


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