最新主演作『峠』で役所広司が名付け親で師匠の仲代達矢と23年ぶりに共演。役所広司が師匠となるべく後継者はあの俳優か?
70年代の仲代達矢は、斜陽期の映画会社が大作主義になりつつある中で、主役級を演じ続けてきた。
山崎豊子原作、山本薩夫監督『華麗なる一族』(1974年)万俵鉄平、
同じコンビの『不毛地帯』(1976年)壱岐正は、
TBSの日曜劇場『華麗なる一族』(2007年1月~3月)では、木村拓哉、
フジテレビでリメイクされた『不毛地帯』(2009年10月~2010年3月)では
唐沢寿明が同じ役を演じた。
山本薩夫監督、石川達三原作『金環蝕』では、官房長官を演じた。
この作品では、同期の中谷一郎や
新劇出身ではないが同じくフリーで活躍した三國連太郎(1923~2013)と共演した。
ちなみに1976年の市川崑監督『犬神家の一族』で犬神左兵衛を三國連太郎が演じたが、
2006年の同じ監督同じ石坂浩二主演のリメイクでは、仲代達矢が演じた。
1976年版には、弁護士役で仲代の師匠の小沢栄太郎も出演している。
仲代達矢はTVドラマでも大河ドラマで主役を演じた。
吉川英治原作『新・平家物語』(1972年)の平清盛(1118~1181)である。
同じ平家物語をモチーフにした大河ドラマ『平清盛』(2012年)では
松山ケンイチが演じた。
仲代達矢は、その後に続く演技派の主演俳優のお手本になった。
仲代達矢は新劇から映画に進出して最も成功した俳優の一人だ。
近い世代では、新劇俳優の目標となっていた。
具体例を挙げてみよう。
皆さんは、ハードボイルド作家大藪春彦原作の映画『野獣死すべし』をご存じだろうか?
私より少し上の世代の方なら
「松田優作(1949~1989)の代表作ね」
と言うだろうが、実は最初の映画化は1959年で、主人公の伊達邦彦を仲代達矢が演じた。
(『野獣死すべし』の伊達邦彦を演じる仲代達矢 イラストby龍女)
(松田優作が演じる伊達邦彦 イラストby龍女)
松田優作版は数ある映画化の中で決定版となったが、最初に仲代達矢が演じていたことに意味がある。
松田優作のファンなら、彼が原田芳雄(1940~2011)に憧れて一時期真似していた事はご存じであろう。
(原田芳雄 イラストby龍女)
原田芳雄は、仲代達矢が所属していた俳優座の15期生である。
原田芳雄はビートルズのメンバーのジョン・レノンと同い年で、非常にロックの匂いが強い俳優だ。
演劇の方ではなく映画に振り切ったのは、ビートルズが8年間の活動期間の中で、後半にライブを止めてレコーディングで音楽活動した様な行動によく似ている。
仲代達矢は1932年生れで、ビートルズが憧れたエルヴィス・プレスリー(1935~1977)とは3歳年上。
石原裕次郎とは同期デビューで、エルヴィスが憧れたジェームズ・ディーン(1931~1955)と世代が近い。
勝新太郎は、俳優になる前は父が長唄三味線方杵屋勝東治の息子の杵屋勝丸として三味線の師範をしていた。
1954年のアメリカ巡業の時に、彼に運命の出逢いがあった。
ハリウッドのスタジオを見学していると、普通の若者が歩いていて疑問に思っていたが、スタッフに主演俳優だと紹介された。
それが同い年のジェームズ・ディーンだったのである。
1955年に交通事故で25歳の若さでジェームズ・ディーンは亡くなってしまう。
生きているジェームズ・ディーンを現場で観た貴重な日本人が勝新太郎である。
後にジェームス・ディーンの演技はアクターズ・スタジオで学んだメソッド演技であると知り、勝新太郎は俳優の演技にのめり込んでいく。
仲代達矢は、ジェームズ・ディーンとは一歳下だ。
いわゆるロックンロール世代の俳優である。
仲代達矢は、役毎にその役にふさわしい音程を選んで使い分けたりして、音楽センスを持っていた。
弟の仲代圭吾はシャンソン歌手。
仲代達矢の養女(宮﨑恭子の妹宮﨑総子の実子)、仲代奈緒はジャズ歌手である。
原田芳雄は『横浜ホンキートンクブルース』と言う名曲が持ち歌で、松田優作もカバーした。
息子の原田喧太は俳優で、ギタリストである。
原田芳雄は、仲代達矢とは『闇の狩人』(1979年)で共演したときに
「仲代さん、仲代さん」 と慕ってきたという。
『闇の狩人』には新人時代の役所広司も出演していた。
松田優作は文学座養成所で演技を学んだ。
同期にジャズ歌手の阿川泰子、
一年先輩に桃井かおり、
一年後輩に中村雅俊がいる。
1974年に『竜馬暗殺』で共演し、原田芳雄に憧れるようになる。
つまり、松田優作は仲代達矢には直接的に影響は受けていないが、新劇俳優が映画で成功する系譜としてみていくと、立派に仲代達矢の後輩であると言えるのだ。
仲代達矢と原田芳雄の最後の共演は『座頭市 THELAST』(2010年)。
仲代達矢は大腸がんを患っていた原田芳雄を労って言葉をかけた。
勝新太郎や原田芳雄は役の中身を考えた上で時にはアドリブもする。
しかし仲代達矢は台本の自分の台詞を書にしたためて壁に貼って覚える。
徹底した台詞重視である。
台詞を読み込んで役作りをするやり方は、舞台俳優としての出自がシェイクスピアにあるからだろう。
仲代の演技の方法は地味であるが理論的で分かりやすい。
このように、仲代達矢に憧れる若手俳優は多かった。
自然と仲代達矢を慕う後輩達が集まってきたのである。
無名塾は1975年に仲代達矢の自宅の稽古場に集まる若手俳優の間で自発的にスタートした。
塾生を募集し始めたのは1977年である。
創立者は仲代達矢の妻である宮﨑恭子(1931~1996)である。
元々は俳優座養成所2期生で仲代達矢の先輩に当たる。
1957年に仲代達矢と結婚し、俳優から脚本家に転身した。
脚本家としてのペンネームは隆巴。
隆巴は単発ドラマ時代の70年代の東芝日曜劇場で描いている。
映画の代表作は山本周五郎の小説を脚色した小林正樹監督で仲代達矢が主演した『いのち・ぼうにふろう』(1971年)で後に舞台化して、無名塾で何度か上演されている。
(宮﨑恭子 イラストby龍女)
それでは一部ではあるが、無名塾が育てた俳優をこの次に紹介していこう。
山崎豊子原作、山本薩夫監督『華麗なる一族』(1974年)万俵鉄平、
同じコンビの『不毛地帯』(1976年)壱岐正は、
TBSの日曜劇場『華麗なる一族』(2007年1月~3月)では、木村拓哉、
フジテレビでリメイクされた『不毛地帯』(2009年10月~2010年3月)では
唐沢寿明が同じ役を演じた。
山本薩夫監督、石川達三原作『金環蝕』では、官房長官を演じた。
この作品では、同期の中谷一郎や
新劇出身ではないが同じくフリーで活躍した三國連太郎(1923~2013)と共演した。
ちなみに1976年の市川崑監督『犬神家の一族』で犬神左兵衛を三國連太郎が演じたが、
2006年の同じ監督同じ石坂浩二主演のリメイクでは、仲代達矢が演じた。
1976年版には、弁護士役で仲代の師匠の小沢栄太郎も出演している。
仲代達矢はTVドラマでも大河ドラマで主役を演じた。
吉川英治原作『新・平家物語』(1972年)の平清盛(1118~1181)である。
同じ平家物語をモチーフにした大河ドラマ『平清盛』(2012年)では
松山ケンイチが演じた。
仲代達矢は、その後に続く演技派の主演俳優のお手本になった。
仲代達矢は新劇から映画に進出して最も成功した俳優の一人だ。
近い世代では、新劇俳優の目標となっていた。
具体例を挙げてみよう。
皆さんは、ハードボイルド作家大藪春彦原作の映画『野獣死すべし』をご存じだろうか?
私より少し上の世代の方なら
「松田優作(1949~1989)の代表作ね」
と言うだろうが、実は最初の映画化は1959年で、主人公の伊達邦彦を仲代達矢が演じた。
(『野獣死すべし』の伊達邦彦を演じる仲代達矢 イラストby龍女)
(松田優作が演じる伊達邦彦 イラストby龍女)
松田優作版は数ある映画化の中で決定版となったが、最初に仲代達矢が演じていたことに意味がある。
松田優作のファンなら、彼が原田芳雄(1940~2011)に憧れて一時期真似していた事はご存じであろう。
(原田芳雄 イラストby龍女)
原田芳雄は、仲代達矢が所属していた俳優座の15期生である。
原田芳雄はビートルズのメンバーのジョン・レノンと同い年で、非常にロックの匂いが強い俳優だ。
演劇の方ではなく映画に振り切ったのは、ビートルズが8年間の活動期間の中で、後半にライブを止めてレコーディングで音楽活動した様な行動によく似ている。
仲代達矢は1932年生れで、ビートルズが憧れたエルヴィス・プレスリー(1935~1977)とは3歳年上。
石原裕次郎とは同期デビューで、エルヴィスが憧れたジェームズ・ディーン(1931~1955)と世代が近い。
勝新太郎は、俳優になる前は父が長唄三味線方杵屋勝東治の息子の杵屋勝丸として三味線の師範をしていた。
1954年のアメリカ巡業の時に、彼に運命の出逢いがあった。
ハリウッドのスタジオを見学していると、普通の若者が歩いていて疑問に思っていたが、スタッフに主演俳優だと紹介された。
それが同い年のジェームズ・ディーンだったのである。
1955年に交通事故で25歳の若さでジェームズ・ディーンは亡くなってしまう。
生きているジェームズ・ディーンを現場で観た貴重な日本人が勝新太郎である。
後にジェームス・ディーンの演技はアクターズ・スタジオで学んだメソッド演技であると知り、勝新太郎は俳優の演技にのめり込んでいく。
仲代達矢は、ジェームズ・ディーンとは一歳下だ。
いわゆるロックンロール世代の俳優である。
仲代達矢は、役毎にその役にふさわしい音程を選んで使い分けたりして、音楽センスを持っていた。
弟の仲代圭吾はシャンソン歌手。
仲代達矢の養女(宮﨑恭子の妹宮﨑総子の実子)、仲代奈緒はジャズ歌手である。
原田芳雄は『横浜ホンキートンクブルース』と言う名曲が持ち歌で、松田優作もカバーした。
息子の原田喧太は俳優で、ギタリストである。
原田芳雄は、仲代達矢とは『闇の狩人』(1979年)で共演したときに
「仲代さん、仲代さん」 と慕ってきたという。
『闇の狩人』には新人時代の役所広司も出演していた。
松田優作は文学座養成所で演技を学んだ。
同期にジャズ歌手の阿川泰子、
一年先輩に桃井かおり、
一年後輩に中村雅俊がいる。
1974年に『竜馬暗殺』で共演し、原田芳雄に憧れるようになる。
つまり、松田優作は仲代達矢には直接的に影響は受けていないが、新劇俳優が映画で成功する系譜としてみていくと、立派に仲代達矢の後輩であると言えるのだ。
仲代達矢と原田芳雄の最後の共演は『座頭市 THELAST』(2010年)。
仲代達矢は大腸がんを患っていた原田芳雄を労って言葉をかけた。
勝新太郎や原田芳雄は役の中身を考えた上で時にはアドリブもする。
しかし仲代達矢は台本の自分の台詞を書にしたためて壁に貼って覚える。
徹底した台詞重視である。
台詞を読み込んで役作りをするやり方は、舞台俳優としての出自がシェイクスピアにあるからだろう。
仲代の演技の方法は地味であるが理論的で分かりやすい。
このように、仲代達矢に憧れる若手俳優は多かった。
自然と仲代達矢を慕う後輩達が集まってきたのである。
無名塾は1975年に仲代達矢の自宅の稽古場に集まる若手俳優の間で自発的にスタートした。
塾生を募集し始めたのは1977年である。
創立者は仲代達矢の妻である宮﨑恭子(1931~1996)である。
元々は俳優座養成所2期生で仲代達矢の先輩に当たる。
1957年に仲代達矢と結婚し、俳優から脚本家に転身した。
脚本家としてのペンネームは隆巴。
隆巴は単発ドラマ時代の70年代の東芝日曜劇場で描いている。
映画の代表作は山本周五郎の小説を脚色した小林正樹監督で仲代達矢が主演した『いのち・ぼうにふろう』(1971年)で後に舞台化して、無名塾で何度か上演されている。
(宮﨑恭子 イラストby龍女)
それでは一部ではあるが、無名塾が育てた俳優をこの次に紹介していこう。