『007シリーズ』は今後もホントに続くのか?続くならジェームズ・ボンドは時代に合わせて〇〇遣いに!?大胆予想してみた

2021/10/28 22:00 龍女 龍女

①スパイってどんな仕事?そして、何でスパイがヒーローになったのか?

まず、ここで触れる「スパイ」とは、諜報活動をする国家公務員である。
大ヒットシリーズ『ミッション:インポッシブル』のIMFのように架空のCIAの部署。
『キングスマン』シリーズのような民間のスパイ組織は取り上げない。

国家によって諜報機関の組織構成は異なる。
今回取り上げるイギリスMI6は外務省管轄。
イアン・フレミングが在籍していた(1939~1945)組織はイギリス海軍の情報部のNIDである。
実は各官庁にそれぞれあった情報部を統合して出来たのが今のMI6。
組織構成は同じ国でも時代の変化で改革が行われた経緯がある。
アメリカのCIAは大統領直属の独立した機関だ。

大日本帝国時代の日本では、陸軍の管轄にあった。
60年代に日本の大手の映画会社・大映は『陸軍中野学校』シリーズ(1966~1968)を、5本製作した。
日本映画の中で正統派のスパイ映画として、お薦めできる作品群である。


(シリーズ第1作『ドクターノオ』のショーン・コネリー イラストby龍女)

映画版の007の第1作『007/ドクターノオ』(1963年の日本公開当時は『007は殺しの番号』)が全米公開は、1962年10月5日。
東西冷戦の最も山場の事件の一つ、キューバ危機があったのは1962年の10月後半である。
絶妙なタイミングで、公開されたことでシリーズの中では最も低予算(とはいえ100万ドル。当時の1ドル=約360円に換算すると3億6000万円)で製作されたにもかかわらず大ヒットを記録した。
アメリカの年間興行成績では、『アラビアのロレンス』(7000万ドル)に次ぐ、年間第2位(5900万ドル)をたたき出した。
興行成績で儲かったとされるのは、制作費の2倍で回収できることだ。
当時のプロデューサーのハリー・サルツマン(1915~1994)とアルバート・ブロッコリ(1909~1996)は5700万ドルを儲けた。

これによって、世界的に一大スパイ映画ブームが起こった。
最もスパイ映画というジャンルが製作されたのがこの時期である。
東西冷戦が最も激しかった時代だ。
西側の資本主義国家の一つであった日本も敵陣営だった東の共産主義国家の情報はのどから手が出るほど欲しかった。
(共産主義国家の大国ソビエト連邦共和国には、情報機関で秘密警察のKGBがあった)
国家機密レベルの軍事情報を引き出して、所属する国家に有利な情報を国のトップに伝えるのが役割のスパイの仕事の比重は重かった。

したがって、少数精鋭で敵を倒す情報を引き出すスパイとは、容易にヒーローになれる要素は持っていた。

他のジャンルでも、多数の敵を少人数で倒す主人公はヒーローの典型的な姿である。

しかし、ここで大変残念なお知らせがある。
ジェームズ・ボンドの代名詞にもなっているコードナンバー007とは殺人許可証であるという設定がある。
しかし、殺人許可証は実在しない。

第15代長官(任期2009~2014)を務めたジョン・サワーズは公式見解として
「任務は指導者に情報を提供することで、軍事工作はしない」
「(007のような)殺しのライセンスは無いし、欲しくもない」
と語っている。(2017年1月8日付日本経済新聞より)

まず殺人行為は、万国共通で犯罪である。
殺人行為は不利になるだけで情報を遮断しかねない隠蔽工作となり、任務を遂行できない。

日本発で最も有名なスパイの代名詞『忍者』も大きな仕事は生き残って雇用者に情報を提供することである。


(武器担当のQを演じた歴代の名優 イラストby龍女)

もう一つ、ジェームズ・ボンドをヒーローにさせた要因は、Qが発明した秘密道具、英語ではガジェットと呼ぶ道具類の数々であろう。
時代の変化で、最新のダニエル・クレイグ版は、Qは職人気質の老人ではなくボンドよりも若いオタクキャラに変わりITに強い設定に変更されている。
実はそれを演じたベン・ウィショー(1980年10月14日生れ)の素顔に関連した設定変更もある。
これは④で触れる重要な要素なので、今は省略する。

次の稿では、ジェームズ・ボンドと言うキャラクターがどう作られたか?
筆者なりに調べた結果をまとめてみた。

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