『Arcアーク』出演の「寺島しのぶ」に演じてもらいたいのは、特撮映画の〇〇役?

2021/6/30 22:00 龍女 龍女

①俳優になる前

1966年大河ドラマ『源義経』が放送された。
主演は4代目尾上菊之助。後の7代目尾上菊五郎(1942年10月2日生)であった。
当時は23歳にして大河ドラマ最年少。
(最年少記録は後に滝沢秀明『義経』2005年、更に宮﨑あおい『篤姫』2008年の22歳1ヶ月で更新される)
後年の2003年に、養祖父・歌舞伎の近代化を完成させた6代目尾上菊五郎(1885~1949)、父・7代目尾上梅幸(1915~1995)に続き、人間国宝に認定された歌舞伎界の名優である。

23歳当時は新進気鋭の歌舞伎界の貴公子で、六代目市川新之助(後の12代目市川團十郎。1946~2013)と初代尾上辰之助(1946~1987)と共に三之助ブームを起こしていた。

この時、義経の恋人役の静御前で出演したのが、東映所属の新人俳優だった藤純子(1945年12月1日生)である。
この作品で、二人は出逢う。
藤純子は1968年の『緋牡丹博徒』で任侠映画の大スターになったが、1972年の『関東緋桜一家』で引退、菊五郎と結婚した。
同じ年の暮れに忍(しのぶ)が誕生する。
5年後の1977年の8月1日に寺島和康、後の5代目尾上菊之助が誕生した。

藤純子は、本名でもある寺島純子と改名し、1974年にフジテレビのワイドショー番組『3時のあなた』で司会として復帰した。
筆者は物心ついたのが80年代なので、1989年に富司純子(ふじすみこ)と改名したが、未だに寺島純子のイメージがある。
この頃、寺島純子が残した迷言が「不幸のズンドコ」である。


(84年頃の尾上菊五郎・富司純子・寺島しのぶ・尾上菊之助一家 イラストby龍女)
昭和の終わり頃には一家でライオン歯磨きのCMに出ていた。

しかし、この頃寺島しのぶは家族間の中で疎外感を味わっていたと言う。
俳優に憧れていたが、女性であったため歌舞伎俳優にはなれない。
男に生まれていたら、歌舞伎俳優になりたかった。

その為、鬱憤をスポーツで発散していたらしい。
女子プロレスラーになろうとしたり、この頃市川海老蔵(1977年12月6日生)に跳び蹴りを食らわせていたそうだ。
ちなみに弟の菊之助と海老蔵は青山学院の同級生である。
青山学院の中学部ではバレーボール部、高等部ではハンドボール部に所属していたそうだ。
その為か、イラストを描いてみたところ、肩の筋肉が発達していて肩幅が広い。
背中で何かを語りかけてくるのが、俳優としての一つの個性ともなっている。

思春期まではどうやら俳優になることを半分諦めていたようだが、父親の友人のアドバイスである道が開けることになる。
それは何だったか見ていこう。

    次へ

  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4
  5. 5
  6. 6