朝ドラ『おかえりモネ』のトラブルメーカー!?内野聖陽を名脚本家たちが使いたがる理由とは

2021/6/16 22:00 龍女 龍女

②大河ドラマの主役に選ばれる

内野聖陽は2000年に初めてのミュージカル『エリザベート』に出演すると、
その共演がきっかけで元宝塚歌劇団雪組トップスターの一路真輝と2006年に結婚する(2011年に離婚)。

結婚した翌年、井上靖生誕100周年を記念して『風林火山』が大河ドラマになって、主役である伝説の軍師・山本勘助役に抜擢された。


(ドラマの紹介写真から引用 イラストby龍女)

原作は戦国時代を舞台にした歴史小説で、最初の映像化は1969年の映画。
その時の山本勘助は三船敏郎が演じた。
筆者もこれが『風林火山』の映像化の初見である。

この映画もなかなかの名作時代劇だったが、大河ドラマとなっても素晴らしいできだった。
特に山本勘助が武田晴信(後の信玄)に仕官するまでの最初の1クールは原作にはない前日譚だった。
脚本を手がけた大森寿美男のオリジナルストーリーだ。
原作者の井上靖(1907~1991)の世界観を踏まえた創作である。

井上靖文学の主人公は若い頃に家族関係が複雑で最愛の女性を不慮の死で失い孤独感を抱え込んでいることが多い。
井上靖的ヒロインは、原作上では信玄の側室で後に勝頼を産んだ由布姫に託されている。
大河ドラマでは、オリジナルキャラクターのミツ(貫地谷しほり)~由布姫(柴本幸)~原虎胤の娘リツ(前田亜季)と3人が登場して、井上の女性遍歴を反映した文学(『あすなろ物語』『しろばんば』)の要素を見事に落とし込んでいる。

したがってこの山本勘助は、史実の人物像と言うよりも井上靖を反映している。
『風林火山』が中国の兵法書『孫子』が出典なのは有名だ。
井上靖は孫子と同じく中国哲学の儒教の創始者孔子を最晩年に小説にしたほど、中国古典の造詣が深い。

そもそも室町時代後期を「戦国時代」と呼ぶのは、群雄割拠して国同士が争った時代そのものが中国の紀元前の戦国時代と似ているからであった。
日本最初の大学と言われる足利学校で、全国からやってきた武士階級の子弟は、儒教を始めとする中国の古典を学んだ。
卒業すると各国に散らばって軍師になった。
山本勘助もその一人である。

井上靖は京大の哲学科で美学を専攻しているので東洋美術にも造詣が深い。
小説以外でも仏像に関する美術書の解説文を書くなどの仕事も多く手がけている。

それに伴って、主君となる武田信玄も勇ましい武将の面よりも、文人としての側面が強い人物像に描かれていた。
ドラマ初出演の市川亀治郎(現四代目市川猿之助)が抜擢された。
武田信玄が平安末期の源平合戦の頃から続く甲斐源氏の名門出身でありながら、当時としては異例といえる実力主義で家臣を登用した。
歌舞伎の中でありながら斬新な演出を取り入れてきた澤瀉屋(市川猿之助の屋号)の家風と一致している。
ちなみに四代目市川猿之助は浮世絵コレクターとして有名だが、武田信玄は手紙を書くことよりも絵を描くのが得意だったようだ。
嫡男であるために本格的に習う時間がなかったので有名な絵は残っていない。
その代わり弟の武田信廉は逍遙軒の名で画家としても知られ、父の信虎の肖像画を残している。
信廉は信玄の影武者としても働いている。
父の信虎を演じたのは、黒澤明監督の『影武者』で武田信玄と影武者を演じた仲代達矢であるというのも面白い。

日本画家志望だった黒澤明が映画で参考にした武田信玄の肖像画。
有名な長谷川等伯が描いたモノがある。
現在の研究では別人とされているが、信玄と伝わって来た理由がある。

長谷川等伯は故郷の能登国七尾で仏画師として修行していた。
熱心な法華経信者であり、有名な画家になりたいと京都に移るときにパトロンになったのが法華宗本法寺の住職である。
八世の住職だった日堯(1543~1572)は30歳の若さで亡くなってしまった。
その日堯を描いた肖像画は現在重要文化財となっている。
日堯は、武田信玄の正室である三条の方の叔父に当たる貴族の名門の出身である。
つまり、長谷川等伯は武田信玄と接点があったのだ。

三条の方を演じたのは、大阪出身の池脇千鶴である。
内野聖陽は別の作品で再び池脇千鶴と共演した。
次はその作品『ゴンゾウ伝説の刑事』についてだ。

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