俳優・田村正和が『古畑任三郎』等でコメディを演じることに抱いていた本音とは?

2021/5/21 22:00 龍女 龍女


田村正和が俳優になったきっかけは、1960年の兄・高廣が主演の映画『旗本愚連隊』撮影の現場だったそうだ。
そこでスカウトされ、松竹大船と契約。
1961年の成城高校在学中に当時松竹のエース監督だった木下恵介の『永遠の人』でデビュー。
仲代達矢と高峰秀子演じる夫婦の愛憎劇で、息子役で出演した。

声が小さく甲高い。雰囲気も暗い。
1966年までの松竹所属時には主演映画もあったが、大成しなかった。
本人は演技云々と反省の弁を残している。
筆者はイケイケの時代とそぐわなかった面もあったと思う。

フリーになって、活路をTVドラマに求めると1970年『冬の旅』『冬の雲』で人気になったそうだ。
60年代後半になると高度成長期の陰りも出てくるので、田村正和の持つ雰囲気と合ってきたかもしれない。

1972年、父・阪東妻三郎が最も得意とした時代劇で最初の当たり役を得る。


(眠狂四郎を演じる田村正和。1989年の放送から。 イラストby龍女)
小説家柴田錬三郎(1917~1978)が産みだした人気キャラクター眠狂四郎である。
それまで、大映製作の映画で看板俳優の一人市川雷蔵(8代目)が演じたシリーズが大人気だった。
市川雷蔵は1969年に37歳の若さで亡くなってしまった。
何人か演じてはいるが、雷蔵以外で原作者・柴田錬三郎をして、最高と賞賛されたのは、田村正和に他ならない。

眠狂四郎が似合いそうかどうかは、キザな台詞が似合うかどうかのバロメーターになると思う。
70年代はキザな台詞が似合う俳優がもっとも売れた時代だ。
1966年の映画『白い巨塔』で、兄・田村高廣が共演した田宮二郎(1935~1978)や、今ではすっかり変わってしまったが若い頃の近藤正臣。
初期の土曜ワイド劇場の名物シリーズ『明智小五郎と美女』 主演の天知茂(1931~1985)などである。

現在は2010年に舞台でGACKTが演じている。
筆者としては、個人的に何人か候補がいる。
稲垣吾郎か、朝ドラ『とと姉ちゃん』(2016)で柴田錬三郎をモデルにした五反田一郎を演じた及川光博である。
ちなみに及川光博は、田村正和とは成城学園の後輩であり、2000年の『オヤジぃ。』で共演している。


しかし、田宮二郎が自殺したのを始め、キザな台詞を話す俳優は段々すたれていった。
80年代はキザは揶揄の対象になるような時代に変化した。

しかし、田村正和はそのキザなキャラクター以上に根が真面目だった。
兄の高廣は慎重居士と呼ばれるほどで、何度も2代目阪東妻三郎襲名を打診されたが断り、時代劇出演も決めるまで時間がかかった。自分のやり方を模索していたのである。
弟の田村亮も、現在は2時間ドラマを中心に山村美紗原作の名物キャラクター狩谷警部が当たり役となっており、独自の地位を確立している。

田村3兄弟と呼ばれている3人の共通点は、人柄からにじみ出てくる真面目さである。
真面目な人が困った状況になると不器用さも手伝ってどう対応したらいいかわからない。
あたふたするだけでおかしさを演出できるのである。

喜劇が向いているとTBS制作陣、特にプロデューサーの八木康夫(1950年7月16日生)が目を付けた。


(『うちの子にかぎって』小学教師の石橋徹役。 イラストby龍女)

第一弾が、小学校教師に扮した『うちの子にかぎって』(1984年8月~9月、1985年4月~7月)である。
中には、トレンディドラマの元祖の一つと言われる『パパはニュースキャスター』(1987年)もある。
以降、TBS放送のコメディ路線の連続ドラマは、結果最後になった『オヤジの背中』(2014)まで八木康夫がプロデューサーの作品に出続けたことになる。

さて、特にもう一つのトレンディドラマの牙城となったフジテレビでの田村正和の活躍も観ていこう。

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