俳優・田村正和が『古畑任三郎』等でコメディを演じることに抱いていた本音とは?

2021/5/21 22:00 龍女 龍女

5月18日、俳優の田村正和さん(以下、敬称略)が4月3日に亡くなった事が公表された。
享年77。

筆者は物心ついたのは、80年代以降である。
だから、80年代からの田村正和しかTVドラマの視聴者としては語れない。
阪東妻三郎没後50年を偲ぶ番組『駆けよ! バンツマ』(2003年1月14日NHK)をみている。
その記憶から、田村正和の俳優としての芸風も多少は深掘りできるはずである。


田村正和は1943年8月1日に映画界の大スター阪東妻三郎(本名・田村傳吉)の3男として生まれた。
今は東映がある京都市右京区、太秦近くの嵯峨野で生まれた。
東映の太秦撮影所は元々阪東妻三郎プロダクションの撮影所が前身である。
長兄に田村高廣(1928~2006)、次兄は俊磨(1938年6月12日生)、弟に田村亮(1946年5月24日生。本名・幸照)の4兄弟で育つ。


(若い頃の阪東妻三郎 イラストby龍女)

9歳の時に、父・阪東妻三郎が亡くなる。
この前後に世田谷に引っ越したそうだ。
兄弟の中では幼少期から唯一俳優になりたがっており、父から丹下左膳の殺陣を教わったりしていたらしい。
中学から大学まで成城学園に在籍した。
高校までバスケ部に所属しており、4年後輩の森山良子(1948年1月18日生。歌手)の兄・晋(すすむ)は弟の田村亮と同級生で同じバスケ部だったらしい。
憧れの先輩だったようだ。
(森山良子とは1987年『男たちによろしく』2002年『おとうさん』で共演している)

阪東妻三郎は、東京神田の木綿問屋の息子から歌舞伎俳優を経てサイレント映画時代からのし上がってきた。
自分の作りたい映画を作るためにスターがプロダクションを組んで映画を制作する動きのパイオニアであった。
失敗して短期間で終わっている。


(新人俳優の頃の田村高廣 イラストby龍女)

その他諸々の田村家の借金の蓄積が長男の田村高廣にのしかかる。
返済のため、25歳で会社員から俳優に転身せざるを得なかった。

弟の正和のデビューも兄が俳優になったことと関係している。

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