アカデミー賞当日に欠席!?『ファーザー』で主演男優賞の最年長記録を更新したアンソニー・ホプキンスは、少し運が良かっただけ?

2021/5/12 22:00 龍女 龍女

③『ファーザー』までの29年間

ハンニバル・レクターシリーズの原作者、トマス・ハリスが寡作ですぐに続編が作られなかった事は、幸いだったかもしれない。

デジタル技術が進み、ハリウッド全盛期の作品のデジタルリマスター、当時はカットされた今はOKな表現の場面の再現なども、映画界の大事な仕事だ。
1960年の映画『スパルタカス』の修復が1991年に行われた。
一部カットされたシーンで、ローレンス・オリビエが出ており、音声が失われた。
アフレコ作業をしなければならないが、この2年前に死去していた。
スタッフが遺族であるローレンス・オリビエの三番目の妻ジョーン・プロウライトに相談した。
ジョーン・プロウライトは1961年に結婚し、自身もトニー賞演劇部門主演女優賞を受賞した実力の持ち主だ。
ローレンス・オリビエが芸術監督就任当時のロイヤル・シアターの事情に詳しく、適当な人物はすぐに浮かんだ。
代役は、アンソニー・ホプキンスが選ばれた。
若い頃、代役を務めた以来、映画でも一部とはいえ代役を務めたのは面白い。

イギリスを代表する映画俳優としての位置づけは、ある映画監督との出会いが大きかった。


ジェームズ・アイボリー(1928年6月7日生)である。
厳密には、ジェームズ・アイボリーの公私ともにパートナーの映画プロデューサーのイスマエル・マーチャント(1936~2005)と、小説家兼脚本家のルース・プラワー・ジャブヴァーラ(1927~2013)の黄金トリオである。
文芸作品を原作とした映画化に定評があり、ミニシアターブームの一翼を担った。
マーチャント・アイボリープロダクション制作の映画は40年間制作されたが、特に名作の呼び声高い80年代後半から90年代前半の時期、『ハワーズ・エンド』(1992)『日の名残り』(1993)で、エマ・トンプソン(1959年4月15日生)と共演したのが大きい。
『ハワーズ・エンド』でエマ・トンプソンは、第65回アカデミー賞主演女優賞を獲得した。
『日の名残り』では、アンソニー・ホプキンスは主演男優賞の候補になった。

当時、エマ・トンプソンは、ローレンス・オリビエの再来と言われたケネス・ブラナーの妻で、アンソニー・ホプキンスは、とことんローレンス・オリビエとの縁が深い。
映画監督としても、ケネス・ブラナーは有名であるが、1995年にエマ・トンプソンと離婚して、90年代後半は映画が撮れなかった。一緒に仕事をすることになるのは2011年のマーベル作品『マイティ・ソー』まで待たねばならない。

ジェームズ・アイボリー監督作品には、4作品出た。




3作目の『サバイビング・ピカソ』(1996)では、20世紀最大の画家パブロ・ピカソを演じた。

今のところ、ジェームズ・アイボリー監督作としては最後の『最終目的地』(2007)では、自殺した作家の兄で同性愛の恋人と25年間同棲してるアダム・グントを演じた。恋人役は真田広之である。

他の監督でも実在の人物を演じることは多かった。
アメリカの歴史を描くことに熱心なオリバー・ストーン監督は


『ニクソン』(1995)で史上唯一の在任中に辞職に追い込まれたニクソン大統領に起用した。

ハンニバルレクターシリーズはジャンルとして、サイコスリラーと言われるが、そのジャンル名の由来になった『サイコ』(1960)を監督した時期の


『ヒッチコック』(2012)でアルフレッド・ヒッチコックを演じた。

アンソニー・ホプキンスは毎年映画かTVドラマに出て出演作は多く、筆者も全部観ていない。
アカデミー賞を受賞した年はどちらも異例であった。

コロナウィルス蔓延のせいと別の病気治療のため、筆者はしばらく映画館で映画が観られない。
『ファーザー』が直接観ることが出来るのは、かなり先のことになりそうである。
しかし、観なくてもわかる要素はあるので、次に授賞出来た理由を、時事問題を絡めて分析してみる。

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