アカデミー賞当日に欠席!?『ファーザー』で主演男優賞の最年長記録を更新したアンソニー・ホプキンスは、少し運が良かっただけ?
①演劇の世界から、映画デビュー作であの名優に演技を教わる。
アンソニー・ホプキンスは、1937年12月31日にイギリスはウェールズ地方の港町ポート・タルボットでパン屋の一人息子として生まれる。
ピアニスト志望だったが、地元の大スター、リチャード・バートン(1925~1984)に憧れて俳優をめざす。
地元の演劇学校の後、陸軍に入隊し、除隊後に王立演劇学校(ロイヤル・アカデミー・オブ・ドラマティック・アート。以下略称のRADA)に入学して、卒業した。
プロになる為、ロイヤル・ナショナル・シアター(国立劇場)のオーディションを受ける。
初代(1963~73)芸術監督はローレンス・オリビエ(1907~1989)だった。
20世紀を代表するイギリスの名優である。
アカデミー賞は第21回『ハムレット』(1948)で、監督兼主演で、作品賞と主演男優賞を受賞した。
『ハムレット』はウィリアム・シェイクスピアの四大悲劇(他に『オセロ』『リア王』『マクベス』)の一つ。
そのうちの『オセロ』はローレンス・オリビエの舞台での当たり役で1965年には映画化もされた。
アンソニー・ホプキンスは、オセロの一場面をそのローレンス・オリビエの前で演じ、合格した。
1967年にローレンス・オリビエが虫垂炎(いわゆる盲腸)になった時に舞台『死の舞踏』の代役を務めた。
遡ること1963年に『ハムレット』がローレンス・オリビエの演出で上演された。
当時28歳だった若手俳優ピーター・オトゥールをハムレット役に据えた。
ピーター・オトゥール(1932~2013)は、RADAの先輩。
すでに大作『アラビアのロレンス』(1962)で主役に抜擢され、オスカー主演男優賞候補になった。英国アカデミー賞の主演男優賞は受賞している。
1968年、アンソニー・ホプキンスは、ピーター・オトゥールからあるブロードウェイの舞台の映画化に出ないかと話を持ちかけられた。
ヘンリー2世とその家族の葛藤を描いた史劇『冬のライオン』である。
シェイクスピアの四大悲劇『リア王』をベースにした史実に基づく、中身はドロドロとしたホームドラマだ。
ピーター・オトゥールは主人公のプランタジネット朝イングランド国王ヘンリー2世。
同じく主役で王妃エレナーことアリエノール・ダキテーヌを演じたのは、キャサリン・ヘプバーン(1907~2003)である。
アンソニー・ホプキンスは、息子で三男のリチャード1世を演じた。
第3次十字軍の英雄として、獅子心王と呼ばれた。
舞台は1183年のクリスマス、シノン城。
ヘンリー2世は末子ジョン(ナイジェル・テリー)を手元に置き溺愛していた。
息子リチャードの婚約者だったアリース(ジェーン・メロウ)を愛妾にし、王妃エレナーを幽閉した。
領土を巡って、対立するフランス王フィリップ2世(ティモシー・ダルトン)と交渉する目的があった。
更に後継者問題を解決するために、エレナー、リチャード、もう一人の息子ジェフリー(ジョン・キャッスル)を呼び、久々に一家を集める。
リチャードは、母エレナーに愛されるが、実は数年前までフィリップと同性愛関係だった事が明かされる。
この映画は、場面の多くはヘンリーとエレナーの二人芝居だが、次にエレナーと二人芝居の割合が多い役柄である。
撮影現場の待ち時間で31歳の新人俳優は、61歳のベテラン俳優に色々と演技の指導を受けた。その記憶は大きな財産となった。
ちなみに、キャサリン・ヘプバーンはオスカー主演女優賞最多4回の記録の持ち主で、『冬のライオン』は3度目の受賞作である。
一方のピーター・オトゥールは主演助演併せて8回候補になるも一度も受賞できなかった。
7回目の候補の後に、2003年に名誉賞を受けたが、最初は断ったそうだ。
アンソニー・ホプキンスは、どうやってキャサリン・ヘプバーンの指導を生かしたか?
具体的に観ていこう。
アンソニー・ホプキンスは、1937年12月31日にイギリスはウェールズ地方の港町ポート・タルボットでパン屋の一人息子として生まれる。
ピアニスト志望だったが、地元の大スター、リチャード・バートン(1925~1984)に憧れて俳優をめざす。
地元の演劇学校の後、陸軍に入隊し、除隊後に王立演劇学校(ロイヤル・アカデミー・オブ・ドラマティック・アート。以下略称のRADA)に入学して、卒業した。
プロになる為、ロイヤル・ナショナル・シアター(国立劇場)のオーディションを受ける。
初代(1963~73)芸術監督はローレンス・オリビエ(1907~1989)だった。
20世紀を代表するイギリスの名優である。
アカデミー賞は第21回『ハムレット』(1948)で、監督兼主演で、作品賞と主演男優賞を受賞した。
『ハムレット』はウィリアム・シェイクスピアの四大悲劇(他に『オセロ』『リア王』『マクベス』)の一つ。
そのうちの『オセロ』はローレンス・オリビエの舞台での当たり役で1965年には映画化もされた。
アンソニー・ホプキンスは、オセロの一場面をそのローレンス・オリビエの前で演じ、合格した。
1967年にローレンス・オリビエが虫垂炎(いわゆる盲腸)になった時に舞台『死の舞踏』の代役を務めた。
遡ること1963年に『ハムレット』がローレンス・オリビエの演出で上演された。
当時28歳だった若手俳優ピーター・オトゥールをハムレット役に据えた。
ピーター・オトゥール(1932~2013)は、RADAの先輩。
すでに大作『アラビアのロレンス』(1962)で主役に抜擢され、オスカー主演男優賞候補になった。英国アカデミー賞の主演男優賞は受賞している。
1968年、アンソニー・ホプキンスは、ピーター・オトゥールからあるブロードウェイの舞台の映画化に出ないかと話を持ちかけられた。
ヘンリー2世とその家族の葛藤を描いた史劇『冬のライオン』である。
シェイクスピアの四大悲劇『リア王』をベースにした史実に基づく、中身はドロドロとしたホームドラマだ。
ピーター・オトゥールは主人公のプランタジネット朝イングランド国王ヘンリー2世。
同じく主役で王妃エレナーことアリエノール・ダキテーヌを演じたのは、キャサリン・ヘプバーン(1907~2003)である。
アンソニー・ホプキンスは、息子で三男のリチャード1世を演じた。
第3次十字軍の英雄として、獅子心王と呼ばれた。
舞台は1183年のクリスマス、シノン城。
ヘンリー2世は末子ジョン(ナイジェル・テリー)を手元に置き溺愛していた。
息子リチャードの婚約者だったアリース(ジェーン・メロウ)を愛妾にし、王妃エレナーを幽閉した。
領土を巡って、対立するフランス王フィリップ2世(ティモシー・ダルトン)と交渉する目的があった。
更に後継者問題を解決するために、エレナー、リチャード、もう一人の息子ジェフリー(ジョン・キャッスル)を呼び、久々に一家を集める。
リチャードは、母エレナーに愛されるが、実は数年前までフィリップと同性愛関係だった事が明かされる。
この映画は、場面の多くはヘンリーとエレナーの二人芝居だが、次にエレナーと二人芝居の割合が多い役柄である。
撮影現場の待ち時間で31歳の新人俳優は、61歳のベテラン俳優に色々と演技の指導を受けた。その記憶は大きな財産となった。
ちなみに、キャサリン・ヘプバーンはオスカー主演女優賞最多4回の記録の持ち主で、『冬のライオン』は3度目の受賞作である。
一方のピーター・オトゥールは主演助演併せて8回候補になるも一度も受賞できなかった。
7回目の候補の後に、2003年に名誉賞を受けたが、最初は断ったそうだ。
アンソニー・ホプキンスは、どうやってキャサリン・ヘプバーンの指導を生かしたか?
具体的に観ていこう。