杜の都で再会した二人の芸術家~カンディンスキーとパウル・クレー~
20世紀前半を代表する画家、パウル・クレー(1879-1940)とヴァシリー・カンディンスキー(1866-1944)が初めて出会ったのは、芸術の都ミュンヘンでした。
モスクワで法学者の道を進んでいたカンディンスキーが安定した将来をなげうって、画家を志してミュンヘンにやってきたのは1896年12月。カンディンスキー30歳の時でした。
そして、パウル・クレーが画家の道をめざしてスイスのベルンから芸術の都ミュンヘンにやってきたのは1898年10月。クレー19歳の時でした。
その後、二人は1900年にミュンヘン美術学校のシュトゥックの教室に入り、お互いを知ることになります。
それから30年余り、二人は「青騎士」やバウハウスでともに活躍しますが、1933年、突如二人の友情は引き裂かれました。
二人の苦難の道のりを暗示させるパウル・クレー《山への衝動》(1939年 東京国立近代美術館)
1933年は、世界が戦争に向けて舵を切った不穏な年でした。
ドイツでは1933年1月、ヒトラーが首相になり、ナチス政権が誕生。極東では日本が国際連盟を脱退、1937年には日独伊三国防共協定が結ばれました。
政権獲得後、ヒトラーはオーストリア併合をはじめ領土拡張を続け、1939年9月にはドイツ軍のポーランド侵攻により第二次世界大戦に突入します。
ナチスの弾圧によりバウハウスは閉鎖され、デュッセルドルフの美術学校の教職を追われたパウル・クレーは故郷のスイス・ベルンに移り、カンディンスキーはパリに逃れました。
こちらはデュッセルドルフにあるノルトライン・ヴェストファーレン州立K20美術館。近代的なフォルムの建物が特徴です。
デュッセルドルフを追われたクレーですが、平和な時代になった今ではバウル・クレーの作品とカンディンスキーの作品が同じ美術館の中に仲良く展示されています。
クレーの部屋の展示風景。
そしてカンディンスキー。
1911年に制作されたこの《コンポジションⅣ》は、まだ柔らかな構図と色彩が感じられる温かみのある作品です。
1923年の《貫通する線》になると、円、四角、三角が躍り出す「これぞカンディンスキー!」という作品になります。
カンディンスキーがモスクワからミュンヘンに出てくるまでのいきさつや、カンディンスキーをはじめとした「青騎士」たちの作品が展示されているミュンヘン市立レンバッハハウス美術館は昨年のいまトピのコラムで紹介しています。
もうすぐオクトーバーフェスト!ミュンヘンも横浜も、カンディンスキーもモネも広重もみんなつながっていた!?(バイエルン美術紀行3)
カンディンスキー《コンポジションⅩ》(1939年 州立K20美術館)
レンバッハハウス美術館に展示されている青騎士たちの作品は、青騎士の同志・ガブリエレ・ミュンターが地下室に隠していたのでナチスの略奪を免れましたが、カンディンスキーの他の作品やクレーの作品の多くはナチスにより没収され、その一部は、1937年にミュンヘンで開催された「退廃芸術展」に展示されました。
ナチスによる芸術作品の略奪について知るにはこの映画。
ドキュメンタリー映画 ヒトラーvs.ピカソ 奪われた名画のゆくえ」
クレーは、スイスに戻ったあと健康をくずし、その後も精力的に制作を続けますが、病に倒れ、1940年、60歳で亡くなりました。
カンディンスキーは、パリ郊外のヌイイ=シュル=セーヌに居を構えますが、1940年、ドイツ軍のフランス侵攻、パリ占領により、ピレネー山中のコトレ―に疎開することを余儀なくされました。
再びナチスに追われたカンディンスキーですが、1944年8月の連合軍によるパリ解放の報に接した4ヶ月後の12月、78歳の生涯を終えました。
歴史の波に翻弄された二人の画家の作品は、ドイツに行けば同じ美術館で展示されているのを見ることができますが、実は国内でも二人の作品が仲良く並んでいるのを見ることができるのです。
それは、先ほどのコラムでも紹介していますが、杜の都・仙台にある宮城県美術館です。
常設展示の展示室にはクレーとカンディンスキーの部屋があって、そこには二人の作品が展示されています。
今年度(2019年度)は年代ごとに二人の作品を展示していく企画です。
主に1900年代から1910年代の作品が展示されていた第Ⅰ期は6月30日に終了しましたが、第Ⅱ期以降も年代順に二人の作品が展示されます。
第Ⅱ期(7月3日~9月8日) 1910年代から1920年代
第Ⅲ期(9月11日~12月15日) 1920年代から1930年代
第Ⅳ期(2020年1月22日~4月5日)1930年代から1940年代
詳しくは宮城県美術館公式サイトをご覧ください。
第Ⅰ期の展示ですが、展示室内の様子を少し紹介します。
(宮城県美術館の常設展示は一部を除き撮影可です。)
展示室内風景
こちらはカンディンスキーが1902年に描いた《水門》。
「これがあのカンディンスキー?」と思ってしまいますが、モネの《積み藁》に衝撃を受けてモスクワを飛び出してきたカンディンスキーが「自分の好きな色に描けばいいんだ。」と開き直ってドイツの田園風景を描いたと考えると納得できます。
ナチスによって引き裂かれたカンディンスキーとパウル・クレー。
この二人の作品のどれかがいつも展示されているのが宮城県美術館。ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。
さらに、東北には日本一のサルバドール・ダリのコレクションを誇る諸橋近代美術館があります。この美術館については、いまトピアート部長のTakさんがコラムで紹介しています。
【深イイ話】まさに白馬に乗った王子様!とある美術館のかっこ良すぎるエピソードが海外で話題に
宮城県ではこの夏、芸術祭「リボーンアート・フェスティバル」が開催されます。屋外の芸術祭に行く際のアドバイスはいまトピアート部、明菜さんのコラムをご覧ください。
地方の芸術祭に行く前に!必須の持ち物9選と服装アドバイス
今年の夏は東北アートの旅で決まりですね!
モスクワで法学者の道を進んでいたカンディンスキーが安定した将来をなげうって、画家を志してミュンヘンにやってきたのは1896年12月。カンディンスキー30歳の時でした。
そして、パウル・クレーが画家の道をめざしてスイスのベルンから芸術の都ミュンヘンにやってきたのは1898年10月。クレー19歳の時でした。
その後、二人は1900年にミュンヘン美術学校のシュトゥックの教室に入り、お互いを知ることになります。
それから30年余り、二人は「青騎士」やバウハウスでともに活躍しますが、1933年、突如二人の友情は引き裂かれました。
二人の苦難の道のりを暗示させるパウル・クレー《山への衝動》(1939年 東京国立近代美術館)
1933年は、世界が戦争に向けて舵を切った不穏な年でした。
ドイツでは1933年1月、ヒトラーが首相になり、ナチス政権が誕生。極東では日本が国際連盟を脱退、1937年には日独伊三国防共協定が結ばれました。
政権獲得後、ヒトラーはオーストリア併合をはじめ領土拡張を続け、1939年9月にはドイツ軍のポーランド侵攻により第二次世界大戦に突入します。
ナチスの弾圧によりバウハウスは閉鎖され、デュッセルドルフの美術学校の教職を追われたパウル・クレーは故郷のスイス・ベルンに移り、カンディンスキーはパリに逃れました。
こちらはデュッセルドルフにあるノルトライン・ヴェストファーレン州立K20美術館。近代的なフォルムの建物が特徴です。
デュッセルドルフを追われたクレーですが、平和な時代になった今ではバウル・クレーの作品とカンディンスキーの作品が同じ美術館の中に仲良く展示されています。
クレーの部屋の展示風景。
そしてカンディンスキー。
1911年に制作されたこの《コンポジションⅣ》は、まだ柔らかな構図と色彩が感じられる温かみのある作品です。
1923年の《貫通する線》になると、円、四角、三角が躍り出す「これぞカンディンスキー!」という作品になります。
カンディンスキーがモスクワからミュンヘンに出てくるまでのいきさつや、カンディンスキーをはじめとした「青騎士」たちの作品が展示されているミュンヘン市立レンバッハハウス美術館は昨年のいまトピのコラムで紹介しています。
もうすぐオクトーバーフェスト!ミュンヘンも横浜も、カンディンスキーもモネも広重もみんなつながっていた!?(バイエルン美術紀行3)
カンディンスキー《コンポジションⅩ》(1939年 州立K20美術館)
レンバッハハウス美術館に展示されている青騎士たちの作品は、青騎士の同志・ガブリエレ・ミュンターが地下室に隠していたのでナチスの略奪を免れましたが、カンディンスキーの他の作品やクレーの作品の多くはナチスにより没収され、その一部は、1937年にミュンヘンで開催された「退廃芸術展」に展示されました。
ナチスによる芸術作品の略奪について知るにはこの映画。
ドキュメンタリー映画 ヒトラーvs.ピカソ 奪われた名画のゆくえ」
クレーは、スイスに戻ったあと健康をくずし、その後も精力的に制作を続けますが、病に倒れ、1940年、60歳で亡くなりました。
カンディンスキーは、パリ郊外のヌイイ=シュル=セーヌに居を構えますが、1940年、ドイツ軍のフランス侵攻、パリ占領により、ピレネー山中のコトレ―に疎開することを余儀なくされました。
再びナチスに追われたカンディンスキーですが、1944年8月の連合軍によるパリ解放の報に接した4ヶ月後の12月、78歳の生涯を終えました。
歴史の波に翻弄された二人の画家の作品は、ドイツに行けば同じ美術館で展示されているのを見ることができますが、実は国内でも二人の作品が仲良く並んでいるのを見ることができるのです。
それは、先ほどのコラムでも紹介していますが、杜の都・仙台にある宮城県美術館です。
宮城県美術館
開館時間 午前9時30分~午後5時(観覧券の販売は午後4時30分まで)
休館日 毎週月曜日
ただし祝日・休日にあたる場合は開館し、原則として翌平日が休館。
観覧料 コレクション展示(常設展) 一般 300円ほか
開館時間 午前9時30分~午後5時(観覧券の販売は午後4時30分まで)
休館日 毎週月曜日
ただし祝日・休日にあたる場合は開館し、原則として翌平日が休館。
観覧料 コレクション展示(常設展) 一般 300円ほか
常設展示の展示室にはクレーとカンディンスキーの部屋があって、そこには二人の作品が展示されています。
今年度(2019年度)は年代ごとに二人の作品を展示していく企画です。
主に1900年代から1910年代の作品が展示されていた第Ⅰ期は6月30日に終了しましたが、第Ⅱ期以降も年代順に二人の作品が展示されます。
第Ⅱ期(7月3日~9月8日) 1910年代から1920年代
第Ⅲ期(9月11日~12月15日) 1920年代から1930年代
第Ⅳ期(2020年1月22日~4月5日)1930年代から1940年代
詳しくは宮城県美術館公式サイトをご覧ください。
第Ⅰ期の展示ですが、展示室内の様子を少し紹介します。
(宮城県美術館の常設展示は一部を除き撮影可です。)
展示室内風景
こちらはカンディンスキーが1902年に描いた《水門》。
「これがあのカンディンスキー?」と思ってしまいますが、モネの《積み藁》に衝撃を受けてモスクワを飛び出してきたカンディンスキーが「自分の好きな色に描けばいいんだ。」と開き直ってドイツの田園風景を描いたと考えると納得できます。
ナチスによって引き裂かれたカンディンスキーとパウル・クレー。
この二人の作品のどれかがいつも展示されているのが宮城県美術館。ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。
さらに、東北には日本一のサルバドール・ダリのコレクションを誇る諸橋近代美術館があります。この美術館については、いまトピアート部長のTakさんがコラムで紹介しています。
【深イイ話】まさに白馬に乗った王子様!とある美術館のかっこ良すぎるエピソードが海外で話題に
宮城県ではこの夏、芸術祭「リボーンアート・フェスティバル」が開催されます。屋外の芸術祭に行く際のアドバイスはいまトピアート部、明菜さんのコラムをご覧ください。
地方の芸術祭に行く前に!必須の持ち物9選と服装アドバイス
今年の夏は東北アートの旅で決まりですね!