ときめきと情緒と…Lampの80年代、90年代に触れてみた(3/4)

2018/6/19 12:08 フレネシ フレネシ


■ 80年代、リアルタイムで心惹かれたものは?

―――フ:80年代、リアルタイムで心惹かれたのは、どういったものですか?

染:僕は79年生まれですから、今思い出すと、ものすごく長く感じた夏休みを、無我夢中で…小学生が小学生をやっていたというだけで、語るようなことは特になくて。当時は何も意識していなかったけれど、後になって、親が音楽をやっていたことに影響を受けていたんだな…と思うことはありますね。

永:染谷先輩の面白いエピソード、たくさんあるんですよ。話しましょうよ。椅子のヤツ。

―――フ:え、何なに?聞きたい…。



染:え~っと…小学生の3年生の頃、朝ちょっと肌寒くて、上着を毎日着ていくんだけど、教室では暑いので脱いで、それを椅子に掛けて。次の日もまた朝が肌寒くて、脱いだ上着を椅子に掛けて…というのをずっと繰り返していたら、授業参観日に、座面の上にたまった上着の上で座高がやたら高く見える生徒が一番前に座っている、座っているというか、服が積もりすぎてもうほぼ立っているような状態になってて、母親が恥ずかしそうにしてたのを覚えています。

―――フ:そうなるまでクラスの誰も突っ込まなかったのがすごいですね。後ろの生徒が真っ先に言うべきですね。毎日ちょっとずつ高さが増していくと、案外変化に気付かないものなんでしょうか。。香保里さんはいかがですか?

香:私は当時、文房具屋がすごく好きで。



永:文房具ってなんであんなに魅力的に見えたんだろうね?

香:おもちゃ屋と同じくらいワクワクしたよね。最近近所に、あの頃の文房具屋みたいな文房具屋があったんですよ。香り玉とか売っていそうな雰囲気でした。

―――フ:そのお店、今も在るなら行ってみたいです。あとでお店、教えてください。永井さんはいかがでしょうか?

永:当時、確実にハマっていたものが一つだけ…それは「キョンシー」なんですが、映画の「霊幻道士」と、その亜流として生まれた「幽幻道士」というのがあって。「幽幻道士」は、日本でも爆発的な人気を博したんですが、僕も「幽幻道士」が大好きで。



台湾に知り合いができたので、俳優の名前を知っていると話したら、すごく驚いていました。


―――フ:スイカ頭の人ってめちゃくちゃイケメンになっているんですよね。今。

永:そうです、そうです。香保里さんが、役名の「スイカ頭」を「ウォータメロンヘッド」って直訳して伝えていたのが面白かったです。

香:役者が着ていた蛍光のTシャツがすごく流行っていたんですが、私はそれを着たのがすごく早くて、みんなに「すごい」って言われたんですが、それを着てさつまいもを掘りにいったら、虫がたくさん集まってきて…とても悲しかった記憶があります。

■ 90年代、何が好きだった?

―――フ:90年代、何が好きだったか覚えていますか?

染:90年代を意識するようになったのって、後半なんですよね。音楽を聴くようになって、初めて年代というものを意識するようになって。

高校生のときにUKロックやグランジ・ロックを聴き始めて、ちょっと時代を遡ってストーン・ローゼスのファーストを聞いたり、その解説を読んだりして年代を意識するようになって。

音楽以外の文化という意味でいうと、自分がそこに関係していたという意識はあまりなかったかな。自分がそこに携わったとか、過ごしたとか、思い入れがあるとか…僕はあんまりない方かもしれないですね。

そういう意味では2010年代の今でも、ないともいえますね。




永:僕、姉がいるんですけど、当時姉が聞いていた光GENJIや、男闘呼組の曲を「すごくいいな」と思って聴いていました。楽曲を提供しているのがASKAで…今聴いても「いいな」と思います。

―――フ:そうですよね、名曲多いですもんね。

永:そのあと、これも姉の影響なんですが、どっぷりBeing系を聴いていました。染谷先輩は通っていない道だと思いますが…。

―――フ:ZARDとか?

永:どちらかというと、男性ボーカルモノが好きで。B'zが一番好きでした。

染:B'zって良さが全然分からなかった。



永:「インザライフ」っていうアルバムがあるんですけれど、それは本当に擦り切れるほど聴いていました。

染:それこそ、B'zってテクニックに走っているところあるよね。

永:そうなんだけど、当時は「テクニックが…」とか意識して聴いているわけではなくて、「このボーカルすごいな」とか。

染:でもあの人、情緒ないよね。

永:結構あるよ、稲葉さん。僕、稲葉さんのことは絶対に「稲葉さん」って呼んじゃうんだけど、ありますよ。情緒。

―――フ:私が中学生くらいのとき、クラスの女子の半分が「稲葉女子」で…。率先して、アルバムを貸してくれる布教活動家もいました。



永:僕の姉はまさにそういう感じでしたよ。かくして当時の僕は、姉によって完全にBeing色に染められていました。

そんな95年の大晦日に、ビートルズの「アンソロジー」がテレビで8時間くらい放送していたのをたまたま見て「ビートルズってかっこいいな」と思ったのが、転機です。

そこからギターを始めて、高校で染谷先輩と出会って、染谷先輩もビートルズが好きだったんで、そういうタイミングで音楽を始めました。

ビートルズに出会わなければ、僕はそのままB'z少年として、90年代後半を過ごしていた可能性はありますね。そのままTAKみたいなギターを弾いていたかもしれないです。


―――フ:そっちの平行世界も見てみたい気がします。香保里さんはいかがですか?

香:普通にテレビで流れているような音楽が好きでした。Winkとか、光GENJIとか。95年に、Hip Hopあたりが流行って、それでスチャダラとか、日本語RAPにハマり出して。

―――フ:Little bird Nationとか?

香:そうそう、MICROPHONE PAGERとか。それから、当時雑誌は「Olive」と「fine」を読んでいました。「fine」の綴じ込み付録でカセットレーベルが付いていたので、それでオリジナル選曲でテープを作ったり…。

あとは、渋谷系ですね。小山田君の声が好きで…音楽性というか、歌っている人に興味がありました。


―――フ:渋谷系、日本語RAPは私も通った道です。雑誌は「Olive」より「CUTIE」派でしたが…。



―――フ:00年代になると、もうLampとしての活動を始めていたんですよね。

染:それ以降になると、もはや時代性を明確にいえないほど、混沌としてきている気がします。

永:そうですよね、90年代くらいまでは時代の色というのがあるんですけど。

―――フ:やっぱり、90年代まではマスコミ優位でみんなが同じ方向を向いていた時代だったからかもしれないですね。00年代になってネットが台頭してくると同時に、作り手もリスナーも細分化していった印象がありますね。

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