300日中150日は現場に…人生を変えた「推し」:飯塚みちか(SNSコンサルタント・ライター)【K-POP沼にハマった人たち 第4回】

2018/1/25 11:00 西門香央里 西門香央里



K-POPにハマった様々な職業の人たちに、その「沼」にハマった経緯を聞くという連載シリーズ「K-POP沼にハマった人たち」も、第4回を迎えました。今回は、現在はSNSコンサルタントとし働いている飯塚みちかさんにお話を聞いてきました。彼女は韓国留学時代に「ホームマスター(ホムマ、マスター)」をしていたということで、なかなか深いお話を聞くことができました。彼女の当時の裏話などは、ブログなどで確認できるので是非ご覧ください。

ただし、この記事は「マスター」という行為を認めるものではありません。みちかさんには、K-POPの沼にハマっていた当時のことを振り返ってもらうという趣旨でインタビューを行いました。彼女自身、現在はこの行為をすすめているわけではありませんし、むしろ気軽にやろうとする人が増えていることに警笛を鳴らしています。そのことを踏まえた上で読み進めて頂ければ幸いです。

さて、みちかさんがK-POP沼にハマったキッカケとはなんだったのでしょう?


■下北系を掘る作業にハマってた小中高時代

ーーまだ20代のみちかさんですが、K-POPにハマる前ってどんな音楽が好きだったんですか?

飯塚みちか:
「実は、ずっとロックが好きだったんです。そうですね、小学4年生くらいからずっとロキノン系(音楽雑誌「ROCKIN'ON」または「ROCKIN'ON JAPAN」に掲載されるようなバンドのこと)が好きでした」

ーーえ!小学生でロキノン系とか、ずいぶん大人っぽい音楽を聴いていたんですね

飯塚みちか:
「(笑)当時は、東京に行くたびに下北沢に通っていました。特に、下北沢の『ハイラインレコーズ』(BUMP OF CHICKENなどを輩出してきたレコードショップ、及びインディーズレーベル)『ディスクユニオン』は聖地でしたね。ハイラインはCDとかTシャツとか、そこにしかない本人たちのポラロイドとか置いてあって、『アニメイト』みたいな感じでオタクなら必ず行く場所で、ディスクユニオンは、あわよくばバンドマン本人に会えるかも?みたいな場所でした。

とにかく、下北沢に行けば、自分の好きな音楽は揃うし、流れてるし、タイミングが良ければ本人に会えるし…みたいな。今思うと当時はバンドマンをアイドルのような感じで好きだったのかもしれないですね。」

ーーロキノン系にハマったキッカケはなんですか?

飯塚みちか:
BUMP OF CHICKENでした。正直、今の『オタク人生』の入口は彼らだったと言っても過言ではないくらいです(笑)ちょうど『ハルジオン』や『天体観測』が出て、それでアルバムの『ジュピター』でガン!とハマりました。『一生ついていく!」って思うくらい好きでしたね」


▲BUMP OF CHICKEN - 天体観測

ーーBUMP OF CHICKENのどこが好きだったんですか?

飯塚みちか:
「年下の私が言うのも失礼なのですが、超可愛かったんです。BUMPって、同じ地元(千葉県佐倉市)の男の子たちが集まって生まれたバンドなんですが、その当時のままの純粋な音楽をキラキラしたままで抱えてて。彼らが幼馴染み同士で結成して、上京してきた東京で成功するというエピソードが、まるで漫画みたいで。作り物みたいに純度の高いバンドだと私は思ってて、音楽以外にもそういう部分にも惹かれました。

BUMP OF CHICKENにハマってからは、下北系を掘る作業と、古い音楽を掘る作業に没頭していきました。そういう中で、SUPERCARとか、ナンバーガール、Syrup 16g、フジファブリック、アートスクールなんかを好きになっていきました。ちょうど中学生ぐらいのころですかね。どっちかというと、早くてうるさくても、歌詞もメロディーがいいバンドが好きでしたね。それからポストロック、プログレ、シューゲイザー、実験音楽…と、当時は本当に音楽に浸っていたと思います。

そんな中でも特にオタク濃度が濃かったのが、アートスクールですね。特にボーカリストの木下理樹さんが本当に好きでした!特に20代前半の頃の彼は見た目もかわいくて、サブカル系女子の理想の文学青年って感じで。オタク心をくすぐる要素が満載だったんです。そして、もちろん彼の作る世界観が好きで、どっぷり沼にハマっていました。


▲アートスクール - FOOLISH

あの界隈は、簡単にバンドマンと繋がれたりするんですが、自分にはそういうことには興味なかったんです。むしろ距離を置いておきたくて。バンドに対して萌えるというか、「夢女子」みたいな感じで、裏話とかを聞いている方が楽しかったんですよね。」


■人生を変えたK-POPと「推し」の存在

ーーかなり濃い下北系バンド時代から、なぜK-POPに?

飯塚みちか:
「ロキノンバンドにハマって音楽を掘り下げていくうちに、洋楽も聴くようになったんです。そういう流れでアジアのシューゲイザーのバンドの音源を聴くようになってきて、その中でも韓国のバンドがすごく良かったんです。それでそのバンドの音楽が聴きたくてMySpaceで音源を探しまくっていく中で見つけたのが、韓国のバンドが少女時代の「Gee」をカバーしている音源でした。シューゲイザーの「Gee」ってなかなか衝撃的でした(笑)


▲ The Majestic High - Gee

ちょうどそのタイミングで、仲の良かった友達たちがBIGBANGとか2PMにハマってて。2PMはデビューしたばかりの頃だったんですが、同じ事務所のJYPエンターテインメントの他グループの音楽を聴いていたら、すっかりそっちの世界にハマって。それからずっとJYPの音楽とグループが好きでした


▲Wonder Girls - NOBODY

そのJYP系列のアーティストの中に、一番好きな推しがいたんです。顔も好きだったんですが、軽そうに見えて、あまりファンと接触していない感じとか、そのギャップが好きでした。でも、本当はファンには優しいし、対応がすごくいい…。でも、メディアにあまり出ない人だったので、韓国に行かないと会えなくて。とにかく、彼の顔が見たくて韓国に行きまくってました。その時ちょうど大学生になりたててで、本当に行きまくってました(笑)

それで、韓国への留学を決めたのですが、行く頃には推しを追うのに疲れちゃって…。決めた時には、推しに会えるのが嬉しくて仕方なかったのに、家を探し始める頃にはすっかり冷めて、『担降り(ファンをやめること)』していました(苦笑)

ーーそのタイミングで!?「担降り」したのはなんでですか?

飯塚みちか:
「推しの態度に冷めちゃったんですね。その頃には、好きになった頃の人の良さがあまりなくなってしまって。会いに会いに行けば行くほど苦手になっていって…。それでファンをやめちゃいました。

正直、ちょっと『韓国に引っ越す意味あるのか』とも思ったんですが、自分は奨学生での交換留学で、韓国で勉強したいことも決まっていたので行くしかなかったんです。心がバキバキに折れた状態で、留学のために韓国に渡りました。そんな時に、写真にハマるキッカケになった推しに出会ったんです。それは本当に偶然だったんですが」


■300日中150日くらい現場にいても勉強はおろそかにしなかった

ーー最初の推しの時には写真は撮ってなかったんですか?

飯塚みちか:
「撮っていなかったわけではないですが、本格的になったのは次の推しに会った頃からです。さっきも話したように、前の推しでバキバキに心が折れたまま韓国に渡って、楽しいことも特になく傷心のまま留学が始まりました。それで、暇すぎてたまたま行ったイベントで、次の推しがいるグループに出会ったんです。カメラを持っていたのでちょっと撮影したら、すごく綺麗に、可愛く撮れて

その時に映った推しの姿が尊くて、『この素敵な可愛い彼を見て!』という感じでSNSにアップしたら、あっという間に広がったんです。それが新鮮だったし、自分の作品を認められて見てもらえるのが嬉しかったんですよね。


▲当時使っていたというカメラ。あのCanonの白レンズ!

実は、自分は本当は絵とか描きたかったんですね。でも、本当に絵心がなくて(笑)絵で何かを表現できる人が羨ましくて仕方なかったんです。でも、描けないものは無理だし。写真は昔から好きだったんです。それで撮るようになりました。だから、写真は自分の世界を表現する方法でもあったんですね。『絵で描けないなら、写真で!』という感じでした。だから、その自分が表現したかった「推し」を認められたのが、素直に嬉しかった

前に自分のツイッターで話したことがあるんですが、写真の世界も同人誌と同じなんです。つまり自分の好きな推しをみんなに見て欲しいから撮っているというところがあります。まあ、今は「ただ撮りたいだけ」という人が多くて、そういうポリシーを持った人たちも少なくなったように思いますが…自分の時代はそんな感じでした」

ーー留学をしながらのオタク活動は大変でしたよね?

飯塚みちか:
「めちゃくちゃ大変でしたよ!さっきもお話ししましたが、自分は奨学生での留学でしたから勉強はおろそかにはできませんでした。韓国に来ている最大の理由は留学でしたから、絶対に留年はできないし、卒業もしなくちゃいけないので。300日中150日くらい現場にいましたが、睡眠時間を削って待ち時間や移動時間に参考書や教材を開いて、泣きながら必死になって勉強したり、学校にもきちんと行っていました。当時使ってた教材は、すごいボロボロでした(笑)


▲オタク活動の合間も勉強を欠かさなかった、思い出の教材

よく、追っかけのために留学したいとかいう方はいますが、留学で行くのなら勉強もきちんとしたほうが良いです。勉強はおろそかにしちゃいけないと思いますし、許可してくれた親にも悪いですよね。『留学とオタク活動の両立をちゃんとする』というのを私はとにかく意識していました。

マスター活動に夢を見ている人も多いですけど、苦労が多いし、普通に追っかけしてるくらいの方が良いことも楽しいことも多いと思います。なんか『事務所の公認』だとかいう『都市伝説』がありますが、絶対にそんなことはありません!自分のブログでも書いたのですが、公認のマスターなんてどこにもいないし、彼女たちだってみんなと同じただの「オタク」です。それもかなり濃度濃いめの!それを忘れないでほしいですね。みんなただのファンで、オタクなんです。何も特別なことなんてないと思います。

こうやって撮っていた私が言うと説得力はあまりないのですが…禁止されてる場所での撮影は本当にリスクが高いので、やらないほうが絶対に良いですルールは守ることは大事なことなので、そこはキチンと考えてもらえたらなって思います。気持ち良く純粋に推しを応援するのが一番ですよ!」

ーーその時代は楽しかったですか?

飯塚みちか:
正直に言うと、辛いことのほうが多かったですです。楽しかったのは最初のうちだけで、時間もなかったし、留学生だからお金もなかったし、当時は本当に気が狂ってたなって思います。なんでやってこれたのかって、ただ『自分の作品を表現したかった』、という気持ちだけです。アイドルに近付きたい、気に入られたいという動機でやるには苦行が多すぎるし、割に合わない応援の仕方だと思います

結局、自分はストレスで味覚障害になって、『担降り』しました。自分の身体が資本ですから、こうなった時点で『ああ、終わりだな』とあっさり終わりました。惨めな思いで撮った写真が、一番いい出来だったのには、本当に泣けました(笑)」


■年齢も次元も超えてしまった!?今の推し



これをキッカケにK-POP沼から足を洗ってしまったという、飯塚みちかさんですが、今は他のものにハマっているそう。それは、2次元!つまりアニメや漫画です。

「3次元から2次元へと、次元も時空も超えちゃいました(笑)」
と笑うみちかさんは、とても幸せそう。「年齢を気にすることもないんですよ?最高じゃないですか??」と、今の推しの素晴らしさをお話ししてくれる姿は、K-POP沼にハマるオタクの私たちと、全く同じでした。オタクは、次元も年齢も関係ないな〜と思わせました。

現在は、広告代理店に入社して、Twitterなどを中心としたSNSをどう活用するかということを仕事にしているそう。韓国留学時代当時を振り返って「オタク活動も就職には有利に動いた部分もありますが、あの時にちゃんと勉強して学校を卒業したから今があるので」とお話ししてくれました。オタクをしていると夢中になりすぎて、大事なことを忘れがちですが、何が今の自分に一番大切なのかはキチンと考えておきたいところですね。

みちかさんのブログでは、当時のちょっとした裏話(サイン会であった怖い話がなかなか地獄で個人的には面白かったです:笑)とかも書かれているので、よかったらご覧ください。私たちの知らなかったK-POPファンの世界がそこには広がっているかもしれませんよ。

■飯塚みちか(Michika Iizuka)プロフィール
SNSコンサルタント/ライター。早稲田大学文化構想学部卒。韓国留学中にアイドルの追っかけをしていたが、結局二次元と女児玩具に落ち着いたオタク
ブログ:http://www.mmmiiz.com/
Twitter :@mmmiiz

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(取材・写真:西門香央里)