波の数だけ抱きしめたい!「ファンシー絵みやげ」で振り返るサーフィン文化(1/2)
お久しぶりです。平成元年あたりのカルチャーを発掘調査している山下メロと申します。80年代とも90年代とも違うその時代を、平成レトロとして愛好しております。
↑観光地でお土産を探したり運んだりしてついた筋肉を誇張。
当連載では、80年代から平成初期に流行した「ファンシー絵みやげ」から、当時の流行を紹介していきたいと思います。「ファンシー絵みやげ」とは80年代からバブル経済期~崩壊を挟んで90年代まで、日本の観光地で若者向けに売られていた、かわいいイラストが印刷された雑貨みやげのことです。
「ファンシー絵みやげ」については連載第一回をご覧ください。
■ 波の数だけ抱きしめて
『私をスキーに連れてって』、『彼女が水着にきがえたら』と記事公開日にホイチョイ三部作が放映されてきましたが、とうとうバブル経済期におけるホイチョイ・プロダクション原作映画の最終作、中山美穂さん主演で1991年に公開された『波の数だけ抱きしめて』の放映です。今回も記事公開日の2017年3月17日にチャンネルNECOで放映されるのです。ホイチョイ三部作に頼り切りと心配されるこの連載も、この卒業シーズンに巣立ちの時を迎えます。
↑前作が前々作の主演である原田知世さんを引き継いだように、今回も前作から引き続き織田裕二さんが出演している。
前作に引き続き、舞台は神奈川県の相模湾。1982年の湘南は茅ヶ崎のミニFM局を運営する若者たちを描いています。こちらの映画ではマリンスポーツの中でもサーフィンが多く取り上げられているため、前回の連載でお伝えしきれなかったサーフィンについて紹介します。
■ サーフィンのはじまりとサーフロック
まずサーフィンに関して具体的に見てくことにします。ボードを使って波に乗るという、単純な道具で行えるスポーツであるため、かなり古くから各地で興じられていたとされます。また、近代的なサーフィンはハワイからカリフォルニアへと伝わっていったとされ、日本では、『ハワイの若大将』のほか、船やヨットのイメージも強い加山雄三さんが1960年代中頃に始めたのが最初期といわれています。
↑加山雄三さんは伊豆の海岸沿いにミュージアムがあり、ヨットや船のイメージも強く、まさに日本のマリンスポーツの象徴的な俳優兼ミュージシャンですね。
さらにベンチャーズやビーチボーイズなど、サーフサウンドを売りにしたバンドが人気となり、日本ではエレキブームが巻き起こりました。レジャーとしてのサーフィンのブームではなく、カリフォルニアやハワイのイメージとサウンド、エレキギターのカッコよさが先行していったのです。
↑サーフィンの本場であるカリフォルニア出身である。サーフロック期の後も『ペットサウンズ』など評価の高い名盤をリリースしている。
↑ビーチボーイズのジャケット写真に影響を受けたファンシー絵みやげ(ミニのれん)。
ここまではサーフィンを楽しむのは一部のサーファーだけで、音楽を通してそのイメージを共有しているに過ぎない状況でした。しかし、1970年代末期からサーフィンは若者の間に文化として浸透していくのです。