【凄いの来た!】旧日本陸軍の「奉公袋」の中身を調べてみた

2015/12/4 17:25 服部淳 服部淳


どうも服部です。昭和時代をさまざまな形で振り返っていくシリーズ記事、今回はなんと「奉公袋」の登場です!


とはいえ、「奉公袋」が何であるか、ご存じない方のほうが多数ですよね(著者も含め)。

平和祈念展示資料館の「用語一覧」から引用すると、奉公袋とは「召集の際に兵士が持参する袋で、在郷軍人は常日頃からこれを用意しておくのがたしなみとされていた。応召の場合には、軍隊手牒[ぐんたいてちょう]、召集令状、勲章、記章、印章、適任証書、貯金通帳、風呂敷包、名札、梱包用麻縄、油紙、名札などの入営に際して必要なものを入れて携行した。『奉公袋』とは陸軍での呼称で、海軍では『應召袋』(おうしょうぶくろ)」と呼ばれていたのだそうです。

在郷軍人(ざいごうぐんじん)とは、軍隊所属経験があり、現役軍人ではない人を指します。必要になれば再び軍隊に戻ってきてもらうから、常日頃から準備だけはしておけということだったのでしょう。

今回この「奉公袋」を持ってきてくれたのは、以前も「ゲーム&ウオッチ」や「王選手ホームランすごろく」を提供してくれたのと同じ方。今は亡きおじい様の所持品だったそうです。なんと物持ちのいい家系なんでしょう。


早速見ていきましょう。表面の左下には氏名欄があります。鈴木茂さんというお名前でした。ちなみに、この「奉公袋」の色は国防色(こくぼうしょく)といい、旧日本陸軍の軍服の色「帯青茶褐色」と同じ色なのだそう。


裏面には「収容品」品目がリストされています。常用漢字にて表記すると、

一、軍隊手帳、勲章、記章
二、適任証書、軍隊における特業教育に関する証書
三、召集及び点呼の令状
四、その他貯金通帳など応召準備及び応召のため必要と認めむるもの

と書いてあります。


では、中身を拝見といきましょう。どんなものが出てくるのか、結構緊張してます。鑑定団ばりに白の手袋を装着し、一品ずつ取り出していきます。


生まれて始めて手に取る「軍隊手帳」、そして天皇の意思表示が記された「詔勅集」が出てきました。これはすごい。




中身をすべて出して並べてみました。結構たくさん入っていました。個別に見ていきましょう。


まずは手帳・冊子など。すでに登場した「軍隊手帳」「詔勅集」ともう一冊、「在郷軍人須知」。在郷軍人の心得といった内容のようですが、驚くのはその日付。「大正八年六月改訂」と書いてあります。大正八年は1919年なので、ほぼ100年前です。

※それぞれの中身については、次回以降の記事で紹介していきたいと思います。


こちらは「軍隊手帳」の裏面。布製です。


集合写真で手帳類の右にある札です。住所と「鈴木茂殿」と書いてあります。紐でグルグル巻きになっているのですが、ほどくと切れる恐れがありそうなので、そのままに。


小箱が4つ入っていました。


ふたを開けてみると、左3つは勲章のようです。


一番右の箱は、ふたの裏に何やら記述がありました。在郷軍人会の会員徽章のようです。昭和11年9月25日の日付が入っています。会員以外の者が着用すると罰せられると書いてあります。


小箱の右隣に並べてあったのは、この油紙に包まれた何か。めくってみると、階級章などが入っていました。


油紙の中身はこちらです。右から襟章の兵科章。昭和13年に改訂される前の鍬形です。赤色は歩兵科を意味しているようです。

左隣の黄色い星が付いているのは、肩章のようです。赤地に三つ星は「陸軍上等兵」を表しています。

その左のカラフルな棒は、略綬(りゃくじゅ)板といいます(後述)。

さらに予備のボタンがあり、一番左も略章のようです。


肩章の裏は、このようにボタンが付いていました。


カラフルな「略綬板」は何を表しているかというと、こちらの画像を見れば一目瞭然です。受章した勲章の綬(リボン)の色を表しています。勲章を付けずとも、「自分はこんな勲章を受章しています」と表示するためのものです。


ここから集合写真右列の内容を見ていきます。なんと定期券のようです。京浜電気鉄道株式会社(現・京浜急行電鉄)の品川~蒲田間、大正11年7月1日から同月末日までの学生乗車定期券と書いてあります。料金は2円50銭。

どうやら、「奉公袋」の内容以外に記念品なども一緒にしまっていたのでしょうか。


定期券裏面は注意書きが。


これは荷物を配達した受領書のようなものでしょうか。鈴木茂さんは国鉄(現・JR)の職員をされていたそうで、荷物の配達に携わったときのものでしょうか。上部が破けてしまっていますが、収入印紙のようなものの一部が残っています。

岩手県にある東北本線の矢幅(やはば)駅まで運んだようです。内容は、昭和14年度産粳(うるち)玄米、品種は「陸羽132号」。四斗(約72リットル)、皆掛17貫(約64kg)。皆掛とは入れ物を含めた重さのこと。

「陸羽132号」とは冷害に強い米として品種改良された品種で、宮沢賢治が愛し普及に努めたとされたことでも知られているようです。「やまひこブログ」に詳しく紹介されています。


さらに、どういう繋がりかは分かりかねますが、名刺が3枚。左端は浅草南元町警察署勤務の巡査さんの名刺です。


こちらは東京市電(後に都電)の通学回数券のようです。「道灌山下」から「品川」間の乗降で、「上野公園」で乗り換えする内容になっています。大正11年9月限りとのこと。


表紙をめくると、こんな感じです。券面上部には1989年(平成元年)まで使われていた東京都交通局の局紋が入っています。


右列一番下は東京鉄道局の「新緑案内」。中身はというと……、


関東近県の観光地図でした。できるだけ広い範囲を収めるためでしょう、北の方向が右に傾いています。


そして、なぜか牛乳石鹸の赤箱も。牛乳石鹸の「赤箱誕生とその歴史」というページを見ると、1949年(昭和24年)に2代目デザインが登場するまで使われていた“初代”赤箱のデザインのようです。牛がミルクを垂れ流し!現代の感覚からすると斬新なデザインですね。


側面には「“COW” BRAND Toilet Soap」と英語表記も。


この石鹸箱には、なんと絵はがきが収納されていました。内容については、まだ後日紹介(こちら)したいと思います。


そして最後は、青いラベルのついた箱。


ラベルを拡大してみると、富士写真フイルム株式会社が製造する、「No.4(硬調)」という商品。印画紙のようです。製造年月日は昭和17年8月。太平洋戦争勃発翌年です。


こちらにも絵はがきが入っていました。絵はがき収拾がご趣味だったのでしょう。



まずは、ざっと「奉公袋」の内容だけを紹介してきましたが、いかがでしたか? 次回は「軍隊手帳」「詔勅集」などの中身を掘り下げていきたいと思います。

→次の記事「【約100年前の軍隊手帳】何が書かれているのか開いて調べてみた

(服部淳@編集ライター、脚本家)

※最新記事の公開をFacebookページTwitterにてお知らせしています(「いいね!」か「フォロー」いただくと通知が届きます)。

《書籍発売のお知らせ》
当「いまトピ」で発表してきたコラムに書き下ろし記事を加えた、服部淳の初著書となる『#平成生まれは知らない 昭和の常識』(イースト・プレス刊)が全国の書店およびインターネット書店で発売中です。


『#平成生まれは知らない 昭和の常識』(服部淳・著)