【昭和のおもちゃ】1970年代にブームになったおもちゃ&ゲームまとめ

2015/10/23 21:08 服部淳 服部淳


どうも服部です。昭和時代をさまざまな形で振り返っていくシリーズ記事、まずは再び同僚の方(以前、「ゲーム&ウオッチ」を持ってきてくれた方と同)が実家から懐かしのアイテムを持ってきてくれたのでお披露目です。


なんと、1977年(昭和52年)発行の小学館「小学二年生」5月号の付録です。題して「小二野球新聞 王選手ひみつ特集号」(念のため、現在プロ野球ソフトバンク球団会長の王貞治氏の現役時代のことです)。

王選手(当時)が1977年のシーズンが始まる前までに放ったホームランの数は716本。この年に40本塁打打てば、米大リーグのハンク・アーロン氏が持つ世界記録755本を抜いて世界一になるということで組まれた特集です。

特集の中には、「王選手の一日」「王選手 びっくりひみつ10」「ホームラン大図解」など、興味深い内容がてんこ盛りなのですが、ここで注目したのは……、








「王選手ホームランすごろく」です(中央には756号を達成した日付を書き入れる欄も! そして、ちゃんと9月3日と記入してあります)。そういえば、こういう特集があると必ずといっていいほどに「すごろく」が付いていて、単純な内容ながらも友達や兄弟らと熱中して遊んだものでした。洗練されたおもちゃやゲームがあふれる現代の小学生は、きっと見向きもしないんでしょうかね。

ということで今回は、「王選手ホームランすごろく」と同年代である1970年代に話題になった、今の玩具に比べればずっとシンプルながら子供たちを虜にしたおもちゃや家庭用ゲームを年ごとにまとめてみたいと思います。
参考文献:「売れたものアルバム1946‐1999」(東京書籍)

※発売元、値段は当時のものです。該当の商品がある年のみ掲載。



1970年(昭和45年)
・トミカ(トミー/180円)


画像引用元:タカラトミー「トミカ歴史館

50歳以下の男性ならきっと子供の頃に遊んだことがある「トミカ」のミニカーは、この年、1970年に誕生。「トヨタ2000GT」や「フェアレディZ432」など、憧れのスポーツカーを含め、6車種が発売されています。トミカの発売当時には、トミカと同サイズのミニカーは輸入品しかなく、しかもドアが開くなどのギミックも子供心を掴み大ヒットとなりました。



1971年(昭和46年)
・アメリカンクラッカー(アサヒ玩具/200円~)

KerbangersFront1.jpg
"KerbangersFront1" by Sooberman - Picture of owned defunct product.. Licensed under パブリック・ドメイン via ウィキメディア・コモンズ.


持ち手となるリングにヒモが2本つながれ、それぞれのヒモの先にボールが付いているという単純構造のおもちゃ。遊び方はリング部分をつまんでヒモを振り回し、2つのボールをぶつけて「カチカチ」と音を鳴らすというもの。名前の通りアメリカ生まれで、アメリカでのブームを受けて日本でも発売されました。ヒモが外れたり切れたりすることも多々あり、ボールにぶつかってケガをする人が多発したため、日本でのブームはすぐに消滅したようです(いかに危ないかは下の動画を見てもらうと分かりやすいです)。



・仮面ライダー変身ベルト(ポピー/1500円)

画像引用元:バンダイ「バンダイの歴史

この年よりテレビ放送が開始となった石ノ森章太郎原作の「仮面ライダーシリーズ」の第一弾、「仮面ライダー」が変身の際に使うベルトの玩具版。ホンモノ(?)の仮面ライダーがやっているように実際に腰に巻くことができ、ベルトのボタンを押せば、これまたホンモノのようにタイフーンと呼ばれるベルト中央部が光りながら回転しました。ベルトを巻くだけで、自分もなんか強くなった気分になれるおもちゃでした。



1972年(昭和47年)
・消える魔球付野球盤(エポック社/1650円)

画像引用元:エポック社「歴史資料館

1958年(昭和33年)に同社が発売、その後改良が続けられていた野球盤が、1972年にブームに。理由はこの年に発売されたモデルから搭載された「消える魔球」装置が話題になったことから。ちなみに「消える魔球」装置とは、ホームベース手前に開閉操作ができる穴があり、そこにボールを落とすことで「消える魔球」を演出したもので、現在発売されているモデルにも搭載されています。上記のエポックス社「歴史資料館」によると、「当時の人気漫画『巨人の星』の大リーグボール2号(消える魔球=著者注)がヒント」だったそうです。絶対打てないこの魔球を、1イニングに3球までなんて制限を設けるローカルルールもあったようです。



1973年(昭和48年)
・オセロゲーム(ツクダオリジナル/2200円)
ボードゲーム研究家でゲーム考案家の長谷川五郎氏が牛乳瓶の紙蓋を使って開発したゲームを、ツクダオリジナルがこの年に発売。今となっては遊び方や見た目を説明するまでもない、日本人ならほぼ誰でも知っている国民的ゲームとなりました。このゲームのキャッチフレーズである「“A minute to learn, a lifetime to master”(覚えるのに1分、極めるのに一生)」が、的確すぎて感動すら覚えます。



1974年(昭和49年)
・超合金「マジンガーZ」(ポピー/1300円)

画像引用元:東映アニメーション「マジンガーZ

永井豪の同名漫画が原作の巨大ロボアニメ「マジンガーZ」が、1972年に放映が開始され人気を博すと、それを派生とした玩具がいくつも発売されました。中でも「マジンガーZ」が「超合金」という非常に硬い架空の合金でできていることから名付けられた重量感のあるロボットの模型は爆発的に売れ、「マジンガーZ」に続くロボットアニメが登場するたびに「超合金」が発売されていきました。

・ゲイラカイト(エー・ジーインダストリー/750円)
1974年にアメリカから輸入・販売されたビニール製の凧。品名はゲイラ社が作ったカイト(凧)ということで、「NASAの元技術者が開発したという触れ込み」で売り出されました。和凧とは異なり、骨組みはプラスチックでできていて強度は強く、軽い助走だけで簡単に上げられることもありブームに。



1977年(昭和52年)
・カラーテレビゲーム(任天堂)

Nintendo tvgame 6.jpg
"Nintendo tvgame 6" by Vinelodge from en.wikipedia.org. Licensed under CC 表示-継承 3.0 via ウィキメディア・コモンズ.


1983年(昭和58年)に発売した「ファミリーコンピューター」で世界を席巻した任天堂が、最初に発売したテレビゲームがこの「カラーテレビゲーム」でした。定価9800円の「カラーテレビゲーム6」と定価1万5000円の「カラーテレビゲーム15」の2種類あり、数字はそれぞれプレーできるゲームの数を表しています。現在のゲーム機のようにソフトを追加購入して差し替えることはできなかったため、購入時にプレーしたいゲームを決断する必要がありました。「5200円多く払えば9種類も多くのゲームが遊べるんだから」、という誘惑の声が聞えてきそうな巧みな販売戦略でした。



1978年(昭和53年)
・もぐらたたきゲーム(ポピー/2800円)

画像引用元:バンダイ「商品情報

おなじみ「もぐらたたきゲーム」は、家庭用として販売される前の1975年(昭和50年)に、ゲームセンターなどアミューズメント施設用に「モグラ退治」という類似商品が登場していて大ヒットとなっていました。それを見込んで発売されたのが、バンダイが1977年に発売したこの家庭用「もぐらたたきゲーム」でした(画像は復刻版)。当然のように大ヒット商品となりました。



■番外編・1969年(昭和44年)
・ママレンジ(アサヒ玩具/2500円)

Mibu Bandai Museum Mama Range 1.JPG
"Mibu Bandai Museum Mama Range 1" by 京浜にけ - 投稿者撮影. Licensed under GFDL-no-disclaimers via Wikipedia.


1970年代のおもちゃ&ゲームという括りで紹介してきましたが、1970年代の1年前に、外すのは惜しい商品が話題となっていたので番外編として追加しました。1970年代に子供時代を過ごした方(特に女の子)ならご存じ「ママレンジ」です。「ママレンジ」登場前の女の子たちのおままごとといえば、もちろん料理を作る振りだったものが、この「ママレンジ」は実際にレンジが熱くなりフライパンで料理ができたのでした。販売当初には森永のホットケーキミックスとシロップもセットで付いていたそうで、それも子供たちの興味をかき立てました。昭和44年の国家公務員大卒上級甲種(いわゆるキャリア組)の初任給は2万7906円(国家公務員の初任給の変遷(PDF))という時代に2500円で販売されていながら、初年に17万個も売り上げる大ヒット商品になったのも頷けます。

引き続き、歴史の1ページを紐解いていければと思います。

(服部淳@編集ライター、脚本家)

※参考文献
・売れたものアルバム1946‐1999(東京書籍 2000)
・懐かしの昭和こども新聞(昭和こども新聞編纂委員会編 日本文芸社 2012)
・なつかしのニアレトロ「昭和」 まぼろし商店街(串間努著 ソフトバンク クリエイティブ 2008)