吉永小百合が78歳にして初の祖母役!?『こんにちは、母さん』の監督・山田洋次が「日本映画をダメにした」と言われた経緯とは
吉永小百合は、1957年に小学校6年生の時にラジオドラマ『赤銅鈴之助』でデビューしている。
共演した今でも活躍中の俳優に藤田弓子(1945年9月12日生れ)がいる。
1960年に中学を卒業して高校に入ると、日活撮影所に入社した。
日活(日本活動冩眞株式會社)自体は、1912年創業で大手の映画製作会社としては歴史が古かった。
戦時中に製作部門を大映に譲渡して、戦後に新たに撮影所を調布に建てて再建した。
元宝塚の男役から転向した映画プロデューサー水の江瀧子(1915~2009)が手がけた芥川賞を受賞した石原慎太郎の小説を映画化した『太陽の季節』(1956年5月17日公開)が大ヒットした。
そこで描かれた裕福な湘南在住の若者集団・太陽族の生態をアドバイスするために石原慎太郎の弟石原裕次郎が撮影に参加していた。
水の江瀧子は、見た目も良い裕次郎が気に入り、脇役ながら『太陽の季節』で俳優デビューさせた。
水の江瀧子は、同じ石原慎太郎原作の次の映画作品となった『狂った果実』では、石原裕次郎を主役にする大抜擢の人事を行った。
加藤雅彦は、石原裕次郎演じる滝島夏久の弟・春次役で日活所属の大人の俳優として再デビューした。
『太陽の季節』で実兄・長門裕之が演じた主人公・津川竜哉からあやかって
津川雅彦と石原慎太郎から芸名を貰った。
ニューフェイスの新人俳優を中心とした青春路線と、小林旭や宍戸錠が出演する無国籍アクションなど
若いスターを中心に、日活の黄金期が訪れた。
日本映画が最も見られた1958年のピークが過ぎていた。
吉永小百合は青春路線のスターとして浜田光夫(1943年10月1日生れ)とコンビを組んだ。
特に埼玉県川口市の鋳物工場を舞台にした『キューポラのある街』(1962年4月8日公開)がヒットして、ブルーリボン賞の作品賞と主演女優賞を獲得してブレイクした。
歌手としては大作曲家で後に国民栄誉賞を受けた𠮷田正(1921~1998)の門下生だ。
同じ門下生の橋幸夫(1943年5月3日生れ)とのデュエット曲
『いつでも夢を』(1962年9月20日発売)は、が260万枚の大ヒットになり第4回日本レコード大賞を受賞した。
当時人気絶頂の歌手と、人気俳優の組み合せで忙しくて同じ日にレコーディングが出来ず別撮りだったそうだ。
この曲は朝ドラの『あまちゃん』でも取り上げられているので、アイドルを語るのにも欠かせない一曲である。
女性のアイドルは昭和初期に活躍した明日待子(1920~2019)が元祖と呼ばれる。
筆者は彼女のことは2022年に放送されたNHKのドラマ『アイドル』で古川琴音が演じて知った。
言葉自体は古くから存在していた。
TV界でのアイドルが本格的に確立したのは70年代に入ってからだが、先に舞台や映画界にはアイドル的存在はいた。
吉永小百合の日活の先輩には、浅丘ルリ子(1940年7月2日生れ)などがいた。
スターシステムで、石原裕次郎と共演したりしたが、この時代の吉永小百合がコンビを組んで大ヒットしたのはやはり浜田光夫と組んだ『愛と死を見つめて』(1964年9月19日公開)である。
吉永小百合の映画に最も出演していた時期は日活時代の若手俳優の頃だった。
(日活時代の吉永小百合 イラストby龍女)
1965年に早稲田大学第二文学部西洋史学専修に入った。
多忙のために高校は中退したが、大検を受けて入学資格を得た。
このあたりから吉永小百合のファンで団塊世代を中心とする「サユリスト」が出てきた。
70年代に日活が路線変更をすると、フリーになり他の映画会社の作品にも出演するようになる。
映画界はTVドラマとの差別化を図るために大作主義が目立ち、東映の任侠路線のスターだった高倉健(1931~2014)と共演した226事件を背景にした悲恋モノ『動乱』(1980年1月19日公開)が話題になった。
80年代は文芸作品の映画化が多かった時代で谷崎潤一郎の長編が原作の『細雪』(1983)では大阪の船場の美人四姉妹の三女。
宇野千代の小説が原作の『おはん』(1984)
大正時代の文学者の群像劇『華の乱』(1988)では与謝野晶子を演じた。
数少ないTVドラマ主演作の映画版『夢千代日記』(1985)は、吉永小百合の実年齢に合わせて、広島で体内被曝した芸者という設定である。
ドラマ版で共演したのがきっかけで、樹木希林(1943~2018)と親友になった。
ここ20年ほどは、母親役か教師と教え子の関係で若手俳優と共演する機会も増えている。
吉永小百合と共演することが一流俳優の証のような存在になっている。
『こんにちは、母さん』で初の祖母役を演じるが、何故これまで演じてこなかったか?
吉永小百合本人が水泳を1キロするほどの体育会系で若々しいだけではない理由もあるような気がしている。
団塊ジュニア世代特有の問題もあるのではないか?
吉永小百合のファン層は初めての戦後生れの世代に当たる「団塊の世代」である。
憧れのスターとなる人の年齢はその世代より少し年上である。
この世代が結婚して子供を産む頃に形成されたのが第2次ベビーブームに誕生した「団塊ジュニア」世代だが、今度は彼らが結婚出産の年齢に達しても第3次ベビーブームは起らなかった。
団塊の世代の適齢期にはまだ日本の経済は上向きで景気も良かったが、団塊ジュニア世代はバブル崩壊以降になる。
日本の人口のピークは過ぎてしまっていたので、経済が悪くなったからと単純に考えるべき動きではない。
吉永小百合がようやく祖母を演じることになったのは、人口に対して若い層の人口が減り続けていることと無関係ではあるまい。
高齢化は結婚出産の高齢化でもあるので、一人あたりの出産人数は減るし、家族で暮らすより一人世帯も増えたのは日本の経済が成熟化して、低所得でも生活できるものの豊かさの証拠でもある。
筆者の幼少期より、洋服が安くなったし雑貨も手に入れやすくなった。
貧富の格差は拡大しているが、モノが無くて貧しいわけではないので、人口を増やさなくてはいけない理由が無くなった。
人口が増える時期もあれば減る時期があるのが当然の流れだ。
『こんにちは、かあさん』の予告編を観る限り、天然の母(吉永小百合)に振り回されて、情緒不安定な娘(永野芽郁)にも振り回される中年男の大泉洋は見物だ。
大泉洋は山田洋次監督の代表作である『男はつらいよ』全作を観ているそうだ。
今回の口調は当然主人公・車寅次郎を演じた渥美清(1928~1996)を意識したに違いない。
しかし、大泉洋が車寅次郎と大きく違うのは、トラブルメイカーかそうでないかにある。
シナリオ上で主役級の登場人物は、ドラマを動かす存在か巻き込まれる方かに分類される。
車寅次郎は、トラブルメイカーで、大泉洋が演じる役の多くはトラブルメイカーに振り回される方である。
渥美清演じる車寅次郎は悪気無く行動を起こして周囲を困らせる。
大泉洋は真面目で神経質なキャラクターで公務員やサラリーマンがよく似合うので、巻き込まれ型になってしまう。
それでも両者に共通する特徴は流ちょうな語り口であろう。
山田洋次監督最新作の『こんにちは、母さん』は劇作家の永井愛(1951年10月16日生れ)が2001年に新国立劇場からの委嘱により書いた戯曲。
2007年にNHKの土曜ドラマで映像化された。
今回吉永小百合が演じる主人公の神崎福江は加藤治子(1922~2015)が演じた。
元々の戯曲には孫の舞はいなかった。
映画オリジナルの設定である。
次の頁では今回が山田洋次の記念すべき90本目の作品になるので、過去の作品群を紹介しよう。
共演した今でも活躍中の俳優に藤田弓子(1945年9月12日生れ)がいる。
1960年に中学を卒業して高校に入ると、日活撮影所に入社した。
日活(日本活動冩眞株式會社)自体は、1912年創業で大手の映画製作会社としては歴史が古かった。
戦時中に製作部門を大映に譲渡して、戦後に新たに撮影所を調布に建てて再建した。
元宝塚の男役から転向した映画プロデューサー水の江瀧子(1915~2009)が手がけた芥川賞を受賞した石原慎太郎の小説を映画化した『太陽の季節』(1956年5月17日公開)が大ヒットした。
そこで描かれた裕福な湘南在住の若者集団・太陽族の生態をアドバイスするために石原慎太郎の弟石原裕次郎が撮影に参加していた。
水の江瀧子は、見た目も良い裕次郎が気に入り、脇役ながら『太陽の季節』で俳優デビューさせた。
水の江瀧子は、同じ石原慎太郎原作の次の映画作品となった『狂った果実』では、石原裕次郎を主役にする大抜擢の人事を行った。
加藤雅彦は、石原裕次郎演じる滝島夏久の弟・春次役で日活所属の大人の俳優として再デビューした。
『太陽の季節』で実兄・長門裕之が演じた主人公・津川竜哉からあやかって
津川雅彦と石原慎太郎から芸名を貰った。
ニューフェイスの新人俳優を中心とした青春路線と、小林旭や宍戸錠が出演する無国籍アクションなど
若いスターを中心に、日活の黄金期が訪れた。
日本映画が最も見られた1958年のピークが過ぎていた。
吉永小百合は青春路線のスターとして浜田光夫(1943年10月1日生れ)とコンビを組んだ。
特に埼玉県川口市の鋳物工場を舞台にした『キューポラのある街』(1962年4月8日公開)がヒットして、ブルーリボン賞の作品賞と主演女優賞を獲得してブレイクした。
歌手としては大作曲家で後に国民栄誉賞を受けた𠮷田正(1921~1998)の門下生だ。
同じ門下生の橋幸夫(1943年5月3日生れ)とのデュエット曲
『いつでも夢を』(1962年9月20日発売)は、が260万枚の大ヒットになり第4回日本レコード大賞を受賞した。
当時人気絶頂の歌手と、人気俳優の組み合せで忙しくて同じ日にレコーディングが出来ず別撮りだったそうだ。
この曲は朝ドラの『あまちゃん』でも取り上げられているので、アイドルを語るのにも欠かせない一曲である。
女性のアイドルは昭和初期に活躍した明日待子(1920~2019)が元祖と呼ばれる。
筆者は彼女のことは2022年に放送されたNHKのドラマ『アイドル』で古川琴音が演じて知った。
言葉自体は古くから存在していた。
TV界でのアイドルが本格的に確立したのは70年代に入ってからだが、先に舞台や映画界にはアイドル的存在はいた。
吉永小百合の日活の先輩には、浅丘ルリ子(1940年7月2日生れ)などがいた。
スターシステムで、石原裕次郎と共演したりしたが、この時代の吉永小百合がコンビを組んで大ヒットしたのはやはり浜田光夫と組んだ『愛と死を見つめて』(1964年9月19日公開)である。
吉永小百合の映画に最も出演していた時期は日活時代の若手俳優の頃だった。
(日活時代の吉永小百合 イラストby龍女)
1965年に早稲田大学第二文学部西洋史学専修に入った。
多忙のために高校は中退したが、大検を受けて入学資格を得た。
このあたりから吉永小百合のファンで団塊世代を中心とする「サユリスト」が出てきた。
70年代に日活が路線変更をすると、フリーになり他の映画会社の作品にも出演するようになる。
映画界はTVドラマとの差別化を図るために大作主義が目立ち、東映の任侠路線のスターだった高倉健(1931~2014)と共演した226事件を背景にした悲恋モノ『動乱』(1980年1月19日公開)が話題になった。
80年代は文芸作品の映画化が多かった時代で谷崎潤一郎の長編が原作の『細雪』(1983)では大阪の船場の美人四姉妹の三女。
宇野千代の小説が原作の『おはん』(1984)
大正時代の文学者の群像劇『華の乱』(1988)では与謝野晶子を演じた。
数少ないTVドラマ主演作の映画版『夢千代日記』(1985)は、吉永小百合の実年齢に合わせて、広島で体内被曝した芸者という設定である。
ドラマ版で共演したのがきっかけで、樹木希林(1943~2018)と親友になった。
ここ20年ほどは、母親役か教師と教え子の関係で若手俳優と共演する機会も増えている。
吉永小百合と共演することが一流俳優の証のような存在になっている。
『こんにちは、母さん』で初の祖母役を演じるが、何故これまで演じてこなかったか?
吉永小百合本人が水泳を1キロするほどの体育会系で若々しいだけではない理由もあるような気がしている。
団塊ジュニア世代特有の問題もあるのではないか?
吉永小百合のファン層は初めての戦後生れの世代に当たる「団塊の世代」である。
憧れのスターとなる人の年齢はその世代より少し年上である。
この世代が結婚して子供を産む頃に形成されたのが第2次ベビーブームに誕生した「団塊ジュニア」世代だが、今度は彼らが結婚出産の年齢に達しても第3次ベビーブームは起らなかった。
団塊の世代の適齢期にはまだ日本の経済は上向きで景気も良かったが、団塊ジュニア世代はバブル崩壊以降になる。
日本の人口のピークは過ぎてしまっていたので、経済が悪くなったからと単純に考えるべき動きではない。
吉永小百合がようやく祖母を演じることになったのは、人口に対して若い層の人口が減り続けていることと無関係ではあるまい。
高齢化は結婚出産の高齢化でもあるので、一人あたりの出産人数は減るし、家族で暮らすより一人世帯も増えたのは日本の経済が成熟化して、低所得でも生活できるものの豊かさの証拠でもある。
筆者の幼少期より、洋服が安くなったし雑貨も手に入れやすくなった。
貧富の格差は拡大しているが、モノが無くて貧しいわけではないので、人口を増やさなくてはいけない理由が無くなった。
人口が増える時期もあれば減る時期があるのが当然の流れだ。
『こんにちは、かあさん』の予告編を観る限り、天然の母(吉永小百合)に振り回されて、情緒不安定な娘(永野芽郁)にも振り回される中年男の大泉洋は見物だ。
大泉洋は山田洋次監督の代表作である『男はつらいよ』全作を観ているそうだ。
今回の口調は当然主人公・車寅次郎を演じた渥美清(1928~1996)を意識したに違いない。
しかし、大泉洋が車寅次郎と大きく違うのは、トラブルメイカーかそうでないかにある。
シナリオ上で主役級の登場人物は、ドラマを動かす存在か巻き込まれる方かに分類される。
車寅次郎は、トラブルメイカーで、大泉洋が演じる役の多くはトラブルメイカーに振り回される方である。
渥美清演じる車寅次郎は悪気無く行動を起こして周囲を困らせる。
大泉洋は真面目で神経質なキャラクターで公務員やサラリーマンがよく似合うので、巻き込まれ型になってしまう。
それでも両者に共通する特徴は流ちょうな語り口であろう。
山田洋次監督最新作の『こんにちは、母さん』は劇作家の永井愛(1951年10月16日生れ)が2001年に新国立劇場からの委嘱により書いた戯曲。
2007年にNHKの土曜ドラマで映像化された。
今回吉永小百合が演じる主人公の神崎福江は加藤治子(1922~2015)が演じた。
元々の戯曲には孫の舞はいなかった。
映画オリジナルの設定である。
次の頁では今回が山田洋次の記念すべき90本目の作品になるので、過去の作品群を紹介しよう。