『インディ・ジョーンズ』のハリソン・フォードがPUFFYのあの曲に登場する謎とは?作詞した井上陽水はなぜ名前を出したのか

2023/6/30 19:40 龍女 龍女

ジョージ・ルーカスは『スター・ウォーズ』第1作の公開日の前日、1977年5月24日に公開日のプレッシャーに耐えきれず、休暇を取るために当時の妻で映画編集者のマーシア・ルー・グリフィンとハワイにでかけた。
そこには友人でもあった映画監督のスティーヴン・スピルバーグ(1946年12月18日生れ)も家族で滞在していた。
二人は海岸で砂遊びをしながら、スピルバーグは映画のアイデアを語った。
「007のような映画を作りたい」
スピルバーグは、007シリーズの大ファンだった。
この頃007シリーズを製作する会社イーオン・プロダクションズの
アルバート・R・ブロッコリ(1909~1996)に直接会って
「監督をしたい」
と言ったそうだが断られた。
当時のスピルバーグはやっと『ジョーズ』(1975年)をヒットさせたばかり。
次のヒット作『未知との遭遇』が公開されるのは半年後の11月16日だったので、まだまだ新進気鋭の監督だった。


(スティーブン・スピルバーグ イラストby龍女)

ジョージ・ルーカスは
「それよりも良いアイデアがあるよ」
『スター・ウォーズ』と同じ頃に考えていた企画を提案した。
1930年代に流行ったB級冒険活劇の要素
幼少時代に憧れた職業考古学者を主人公にしたインディ・ジョーンズだった。
インディ・ジョーンズがプレイボーイと言うキャラ設定は、明らかに007の主人公のジェームズ・ボンドの影響受けている。
インディの父親役にショーン・コネリーを起用したのも初代ジェームズ・ボンドに対するオマージュである。


(ショーン・コネリーが演じたジェームズ・ボンド)

スティーヴン・スピルバーグは1979年に『1941』を製作して大コケしてしまった。
次の監督作品は当たらなければいけなかった。
そこで頼ったのが、あの時の企画を提案した友人のジョージ・ルーカスである。

スピルバーグは前作『1941』の失敗を取り返すためには、映画製作会社でメジャースタジオのパラマウントが要求する予算以内で素早く撮影を終えることが重要な課題であった。
実は、インディ・ジョーンズ役の第一候補は、ハリソン・フォードではなかった。
トム・セレック(1945年1月29日生れ)であった。
しかし、ちょうど主演していたTVドラマシリーズ『私立探偵マグナム』の撮影中だったために、断られてしまった。
そこでお鉢が回ってきたのが、ハリソン・フォードである。
選べる立場になった『スター・ウォーズ』以降は年一回の映画の仕事をするスタンスでオファーを引き受けていたからだ。
たまたま定められた撮影期間中に仕事を入れていなかった。

スピルバーグは予定されていた撮影期間を10日も余らして撮影を終了できた。
そして映画も大ヒット。
ここから、映画業界内でスティーヴン・スピルバーグは
「早撮りの名人である」
好評価を得るようになり、名監督の道を進むきっかけになった。

ハリソン・フォードにとっても、インディ・ジョーンズという当たり役を得たことでスターとして
自分のスタンスで仕事を続ける事が出来るようになった。


次の頁では、インディ・ジョーンズ以前と以後を取り上げて、そのハリソン・フォードの俳優活動が、井上陽水の『渚にまつわるエトセトラ』の歌詞にどういう影響を与えたのか?
核心に迫っていこう。

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