『インディ・ジョーンズ』のハリソン・フォードがPUFFYのあの曲に登場する謎とは?作詞した井上陽水はなぜ名前を出したのか

2023/6/30 19:40 龍女 龍女

ハリソン・フォードは1942年生れだ。
同い年には早くから音楽でその才能を発揮したスーパースターを複数輩出している、当たり年である。

まずは、最も若い内からその才能を認められていたのは
2018年の8月16日に亡くなった
アレサ・フランクリン
3月25日生れである。
1888年創業の老舗コロムビア・レコード(日本ではCBSソニーとして知られる。日本コロムビアとは別会社)でデビューしたのは、1961年の19歳の頃である。
彼女を大きなヒットに導いたのは、アトランティック移籍後の1967年のシングル『I Never Loved A Man (The Way I Love You)』である。
25歳の時で当初想定されたより遅かったそうだ。


(アレサ・フランクリン イラストby龍女)

アレサ・フランクリンの2年遅れの、1963年にコロムビア・レコードと契約したのは
アメリカの優れたエンターテイナーを示す
「EGOT」
(TV界のエミー賞、音楽界のグラミー賞、映画界のオスカー、演劇界のトニー賞)
を全て受賞した実在の人物
バーブラ・ストライサンドは4月24日生れである。
最近では映画『TAR』の主人公、リディア・ター
(演じたのは、ケイト・ブランシェット。シリーズ第4作目『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』の悪役でもある)
のキャラ設定でも注目された。


(バーブラ・ストライサンド イラストby龍女)

世界中のべビーブーマー世代(初期は日本の団塊の世代。1946~1964生れを指す)の若者達に多大な影響を与えたスーパーバンド
ビートルズ(1960~1970)のベイシスト兼ヴォーカリストで
70年代は、妻のリンダ(1941~1998)と組んだバンド
ウィングス(1971~1981)でもヒット曲を連発していた天才マルチプレイヤー(バンドに必要な楽器を全部演奏できる)の ポール・マッカートニーは6月18日生れ。

イラストに採用したのは、ベビーブーマーのスティーヴン・スピルバーグが好きだった007シリーズの主題歌『007/死ぬのは奴らだ』を担当した作品の頃のポールである。


(『007/死ぬのは奴らだ』の頃のポール・マッカートニー イラストby龍女)

ハリソン・フォードは、この三人よりも遅い7月生れだっただけでなく、才能が開花したのもかなり遅かった。
これは、選んだ職業をいつ選択したのかにも関係している。
ハリソン・フォードは、実は両親とも俳優だったそうだ。
しかし、二人ともハリソンが生れた頃は既に俳優は辞めていたようだ。
父親のジョン・ウィリアム・“クリストファー”・フォードは広告会社の重役になっていた。
父ジョンはアイルランド系で、母のドロシー(旧姓ニデルマン)はユダヤ系の移民である。
ハリソン・フォードは内向的で高校までいじめられたそうで、俳優という職業を選ぶ発想そのものが無かったかもしれない。
ウィスコンシン州のリポン・カレッジで哲学と英文学を専攻中に、うつ病にかかってしまいカウンセリングをウケたところ
「演技をやってみたらどうか?」
4学年の最終4半期に演技の授業を受けたのがきっかけで俳優を目指すことになったそうだ。

1966年にコロンビア・ピクチャーズと専属契約するが、端役に留まって契約が切れた。
大きな仕事が見つかるまで、大工をしながら機会を待っていたようだ。
ハリウッドで働く大工としてはかなり腕が良かったらしく、この遠回りがハリソン・フォードに次なるチャンスをもたらした。
大工として働いていた映画プロデューサー、フレッド・ルースの紹介を受け、
ジョージ・ルーカス監督、フランシス・フォード・コッポラ製作の映画
『アメリカン・グラフィティ』に出演。
主役ではなかったが、台詞のある脇役として役作りのアイデアを提案した努力が認められた。
続けてフランシス・フォード・コッポラ監督の『カンバセーション…盗聴…』に出演。
その後はアメリカン・ゾエトロープ(コッポラのスタジオ)で裏方として働きながら、コッポラやルーカスなどと親交を結んだ。
そしてブレイクのきっかけになった『スター・ウォーズ』のオーディションを受け合格。

筆者がインディ・ジョーンズ以外でハリソン・フォードがでた作品で一番観たのは
『ブレード・ランナー』(1982)のデッカード役である。
同じSFだが、『スター・ウォーズ』のスペースオペラに対して
サイバーパンクというジャンルの記念碑的作品である。


(『ブレード・ランナー』のデッカード イラストby龍女)


PUFFYは、奥田民生とは同じ事務所SMA(ソニー・ミュージック・アーティスツ)の後輩にあたる。
奥田民生は1993年にロックバンドのユニコーンを解散してソロ活動の最中だった。
初めてプロデュースしたのがPUFFYであった。

1997年の井上陽水はオリジナルアルバムの発売はなく、キャリアが停滞していた時期である。
ハリソン・フォードは当時の新進気鋭の俳優ブラット・ピットと共演した映画『デビル』が公開された年でもある。
井上陽水もハリソン・フォードも同様に若い才能を借りてマンネリ化したキャリアに活力を与えようとしていた。
井上陽水は、アメリカの世代で言うとベビーブーマーに当たり、ビートルズに憧れてミュージシャンになった一人だ。

ハリソン・フォードは年齢こそポール・マッカートニーと同い年だが、社会人としての始まりは遅く、ほぼベビーブーマーと活動開始時間は重なるのである。
ハリソン・フォード自身もプレイボーイで、この時代は2人目の妻の脚本家メリッサ・マシソン(1950~2015。代表作はスピルバーグ監督作品『E.T』)と生活していた。
2004年に離婚した。
そのきっかけは1997年に放送が開始したTVドラマ『アリー my Love』の主役弁護士のアリー・マクビールを演じた
キャリスタ・フロックハート(1964年11月11日生れ)と2002年に出逢ったからだ。
2010年にはキャリスタと三度目の結婚をして今も続いている。

1993年の番組
『スーパースターズ ハリウッド・アクション篇 ハリソン・フォード』
で映画雑誌『プレミア』のナンシー・グリフィンは
「彼はインテリ女性のセックスシンボルだと思うわ」
と指摘している。
これは、インディの父親役を演じたショーン・コネリーの大ファンに、日本を代表するインテリ女性と言える黒柳徹子(1933年8月9日生れ)がいたこととも共通している。

エジプトの考古学者で早稲田大学名誉教授の
吉村作治(1943年2月1日生れ)は、今は第一線を退いているためメディアには出ていない。
過去には『世界ふしぎ発見!』で黒柳徹子と何度も共演している。
考古学の普及の一環で、インディ・ジョーンズのコスプレもしたこともある。

ハリソン・フォードが演じたインディ・ジョーンズの影響は絶大で、この映画をきっかけに考古学者の志望者が増えたそうだ。
ハリソン・フォード自身は、若手の考古学者を育成するプログラムに積極的に資金提供をしているそうだ。

考古学と井上陽水は無関係なのかと思うと案外そうでもない。
井上陽水の親友であるタモリ(1945年8月22日生れ)が担当している番組
『ブラタモリ』は地質学が度々登場する。
考古学において、発掘のする場所を特定する地質の知識は必要不可欠だ。
あのブラタモリは別名考古学バラエティと言っても過言ではない。
タモリは中退だが、吉村作治と同じ早稲田大学の出身である。

井上陽水が『ブラタモリ』のテーマ曲も歌っている。
第4シリーズのオープニング曲『女神』は
まるで冒険へ誘うような冒頭の歌詞がついている。

ハロー ハロー お元気
今夜 何してるの
TVなんか 見てないで
どこかへ 一緒にいこう


筆者は当時から、PUFFYに書いた井上陽水の歌詞の行間には

若い女性にもてたいオッサンの姿を感じていた。

ハリソン・フォードという人物を選んだ背景として特に考えられることがある。
井上陽水は歯医者の息子で大学受験に失敗した、インテリ崩れの男である。
あの歌詞にはインテリ女性にもてそうなハリソン・フォードに対する羨望や願望が滲み出ているように思えてならないのだ。


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