とんねるず石橋貴明・木梨憲武と意外で深い関係!?映画『怪物』でカンヌ国際映画祭脚本賞を受賞した坂元裕二はまだキャリアの頂点などではない?

2023/6/9 19:00 龍女 龍女

この作品は、今回の『怪物』とは対極にある。
いわゆる「普通のラブストーリー」だそうだ。


(『花束みたいな恋をした』より有村架純と菅田将暉 イラストby龍女)

『花束みたいな恋をした』(2021年1月19日公開)は
山音麦(菅田将暉)と八谷絹(有村架純)が京王線の終電に遅れて、ファミレスで暇を潰して会話している内にサブカルの好みがあっていたのに気づく。
意気投合して付き合い同棲までするが、5年間の内に色々あって別れる。

映画の冒頭は2020年に久しぶりに再会したところから始まる。
社会人のなりたてに起りそうな出会いと別れを1993年生れである主役の二人に当て書きして綿密なキャラクター造形を積み重ねて構築されたシナリオである。


公開当時、サブカル描写において、オタク界隈から何やらクレームがついていたのはツイッターユーザーの筆者は良く覚えている。
筆者は映画本編を見ていなかったから、口だしするの止めていた。
おくればせながら、Netflixで観たのでその件について考察していこう。
二人が付き合う決定打になったのは、神と崇める
押井守(1951年8月8日)が同じレストランにいたからである。
しかしこれが誤解を招く結果にもなっている気がした。
オタクとは元々アニメ愛好者を指す言葉である。
現在はオタクの意味が広義になったので、ゴッチャになっている。
今のオタクに発展していく以前は、ジャンルが違うオタクに近い存在に
サブカルがある。
サブカルとオタクの共通点は特撮好きである。
しかし、サブカルは特撮を実写ドラマとして好き。
オタクはアニメの親戚として愛好する傾向が観られた。
サブカルがオタクと違う最大の特徴は、音楽愛好家の面が強い点である。
狭義のオタクは、アニソンは好きだがあまり洋楽には詳しくない。
あくまで、筆者の個人の見解なので、世代間で誤差はあると思う。


(押井守 イラストby龍女)

押井守は元々実写の映画監督志望であった。
しかし、その頃映画産業は斜陽で新規採用はなかった。
就職先を探している時に拾ってくれたのがアニメスタジオのタツノコプロである。
筆者が大学時代に一瞬だけ付き合った人物とはタツノコプロ制作のタイムボカンシリーズが好きで意気投合した。

だから世代的に押井守が「神」なのは少し温度差がある。
筆者にとっては押井守は母親と同い年のクリエイターなので神にはまだ若すぎた。
むしろ押井守の師匠である吉田竜夫(1932~1977)、弟の吉田健二と久里一平が「神」である。
押井守は1993年生れの彼らにとってはおそらく『踊る大捜査線』シリーズの監督本広克行が影響を受けた『機動警察パトレイバー』の原作者集団ヘッドギアの一員であるから「神」なのだろう。

坂元裕二が押井守を選んだ理由は実際に見かけたそうだ。
実は筆者も押井守を見かけたことがある。
それは国分寺駅の西武線側の階段である。
記憶では10年以上前のハズだから現在関わっている制作会社プロダクションI.Gも国分寺周辺にあったハズだ。
坂元にとっては、好きな相米慎二の監督作品を観ていたら、出会ってしまった人物が押井守だと想像できる。


もう一つの件がこのカップルがなんで別れたか?
そのヒントになるのは
映画には一切出てこないが普遍的な問題として
森高千里の『渡良瀬橋』問題である。
森高千里の『渡良瀬橋』という楽曲は、渡良瀬橋がある栃木県足利市在住の女性が余所の出身の男性と恋におちたが、地元を離れられずに別れたという内容である。
現実の菅田将暉は大阪出身、有村架純は兵庫県出身である。
演じる山音麦は新潟県長岡市出身、おそらく八谷絹は東京都世田谷区出身であろう。
山根麦は長岡の花火師(小林薫)の息子だったが、後継者になりたくなくて上京しイラストレーターを目指していた。
絹の両親を演じる岩松了戸田恵子は上京して東京の郊外にマイホームを建てた夫婦と見受けられた。

麦はイラストレーターとしての仕事がぱったりと途絶えた。
生活費を稼ぐために2010年代後半成長していたIT物流業の会社に就職した。
実際はブラック企業で多忙のあまり、夢に向かう気力が奪われていく。
絹は簿記2級をとって、歯科医院の事務職に務めていたが、好きだったエンタメの仕事が出来るイベント会社に転職した。

これはあまり指摘されていないが、生活に対する必死さに男女関係なく地方出身か東京出身の地元民の温度差は実は根深い問題である。
夢を年齢を重ねても追える地方出身の人物はもちろん東京にもいる。
しかしそれは一度若い時に評価されて自信を持った過去があるからだ。
だが、才能を認められずに門前払いを食った経験がある人物は、早々に諦めてしまう。
実際はそういう経験がある人の方が圧倒的な数なのではないか?
だから、『花束みたいな恋をした』に登場してくる二人はいわゆる「普通の人」なのである。
そういう意味では、筆者は「普通の人ではない」。
実家のある東京の郊外で、両親と同居してライターになる夢を追って今もこうして仕事をしている。

このように映画の話なのに、ついつい自分語りをさせてしまう
『花束みたいな恋をした』は間違いなく名作である。


では、坂元裕二の最新作『怪物』はどうなのだろう?
こちらは「普通ではない」少年達が登場してくる。

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