とんねるず石橋貴明・木梨憲武と意外で深い関係!?映画『怪物』でカンヌ国際映画祭脚本賞を受賞した坂元裕二はまだキャリアの頂点などではない?
坂元裕二の最終学歴はサッカー部が有名な奈良育英高校である。
部活は何をやっていたかは調査不足だが、興味深い事実を発見した。
『とんねるずのオールナイトニッポン』のヘビーリスナーらしい。
とんねるずはサッカー(木梨憲武)と野球(石橋貴明)の名門のスポーツ進学校
帝京高校が最終学歴である。
高卒で一度就職してから芸人の道へ入ったコンビである。
(木梨憲武 イラストby龍女)
影響を受けたのかどうかはともかく
高校を卒業後はフリーターをしながら、脚本を学ぶ。
もっとも本人は映画が好きだったようだ。
主に監督相米慎二(1948~2001)
の一連の作品群が好きだったそうだ。
『セーラー服と機関銃』 (1981)
『魚影の群れ』(1983)
『東京上空いらっしゃいませ』(1990)
これは筆者の趣味で選んだ作品だ。
特に2本目に挙げた作品は、筆者が父方母方を含め漁師の孫で、身近な題材のためだ。
実は相米慎二の代表作1本を挙げろと言われてこれという題名をわざと挙げていない。
『怪物』の方で触れる。
(相米慎二 イラストby龍女)
そんな経緯もあって坂元裕二は脚本家の登竜門への応募先は二つに決めた。
とんねるずと仕事が出来るかもしれない
第1回フジテレビヤングシナリオ大賞
相米慎二監督が所属する
ディレクターズ・カンパニー
このうち受け入れてくれたのが、前者のフジテレビヤングシナリオ大賞であった。
フジテレビヤングシナリオ大賞は自称35歳の人が1時間ドラマのシナリオを応募して選ばれる仕組みになっている。
なんと言っても特典は大賞受賞者は自分の描いたシナリオを実際に制作して貰えるところにある。
大賞受賞作品『GIRL-LONG-SKIRT~嫌いになってもいいですか~』である。
詳しい内容は筆者は未見なので省略する。
主演は河合美智子(1968年6月13日生れ)。
相米慎二監督作品の『ションベンライダー』(1983)が映画デビュー作品だった。
ちなみに制作はキティフィルムで同時上映が
『うる星やつら オンリー・ユー』(監督・押井守)である。
このドラマの演出を務めたのは石坂(宮本)理江子である。
彼女も演出デビュー作だったようだ。
この二人のコンビは後に『それでも、生きてゆく』(2011)『最高の離婚』(2013)にも関わることになる。
宮本理江子は、脚本家山田太一(1934年6月6日生れ)の娘である。
山田太一は、元々映画監督になるために松竹に助監督として入った経緯がある。
そちらの道は叶わなかったが、娘がかなえた。
(宮本理江子の映画監督作品は2006年の『チェケラッチョ』)
山田太一は第2回向田邦子賞の受賞者で、対象作品は『日本の面影』である。
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)と妻の小泉セツを描いたドラマである。
小泉八雲役はジョージ・チャキリスが演じた。
妻の小泉セツは檀ふみが演じた。
(『ウェストサイド物語』のジョージ・チャキリス イラストby龍女)
連続ドラマの脚本のデビュー作は『同・級・生』(1989)
最初の代表作『東京ラブストーリー』(1991)と柴門ふみ原作作品の脚色を手がけた。
偶然かもしれないが、この2作品の主演俳優は、とんねるずの二人と結婚している。 (『同・級・生』の安田成美は1994年に木梨憲武と結婚、『東京ラブストーリー』の鈴木保奈美は石橋貴明と再婚し離婚している)
デビュー作で自分と同世代の女性を描けた事がフジテレビがターゲットにしたい視聴者層と一致したのが大きかった。
しかし脚本家デビューがほぼ大卒の新入社員と同じ23歳であったことが90年代後半の失速を招く。
脚本家が嫌になったそうだが、要するにこれまで短い人生にストックしておいた引き出しがなくなってしまった。
しかし、坂元裕二の第2の飛躍はこの低迷期にあった…。
部活は何をやっていたかは調査不足だが、興味深い事実を発見した。
『とんねるずのオールナイトニッポン』のヘビーリスナーらしい。
とんねるずはサッカー(木梨憲武)と野球(石橋貴明)の名門のスポーツ進学校
帝京高校が最終学歴である。
高卒で一度就職してから芸人の道へ入ったコンビである。
![](https://ima.xgoo.jp/column/img2/ryujo/SY04.jpg)
(木梨憲武 イラストby龍女)
影響を受けたのかどうかはともかく
高校を卒業後はフリーターをしながら、脚本を学ぶ。
もっとも本人は映画が好きだったようだ。
主に監督相米慎二(1948~2001)
の一連の作品群が好きだったそうだ。
『セーラー服と機関銃』 (1981)
『魚影の群れ』(1983)
『東京上空いらっしゃいませ』(1990)
これは筆者の趣味で選んだ作品だ。
特に2本目に挙げた作品は、筆者が父方母方を含め漁師の孫で、身近な題材のためだ。
実は相米慎二の代表作1本を挙げろと言われてこれという題名をわざと挙げていない。
『怪物』の方で触れる。
![](https://ima.xgoo.jp/column/img2/ryujo/SY05.jpg)
(相米慎二 イラストby龍女)
そんな経緯もあって坂元裕二は脚本家の登竜門への応募先は二つに決めた。
とんねるずと仕事が出来るかもしれない
第1回フジテレビヤングシナリオ大賞
相米慎二監督が所属する
ディレクターズ・カンパニー
このうち受け入れてくれたのが、前者のフジテレビヤングシナリオ大賞であった。
フジテレビヤングシナリオ大賞は自称35歳の人が1時間ドラマのシナリオを応募して選ばれる仕組みになっている。
なんと言っても特典は大賞受賞者は自分の描いたシナリオを実際に制作して貰えるところにある。
大賞受賞作品『GIRL-LONG-SKIRT~嫌いになってもいいですか~』である。
詳しい内容は筆者は未見なので省略する。
主演は河合美智子(1968年6月13日生れ)。
相米慎二監督作品の『ションベンライダー』(1983)が映画デビュー作品だった。
ちなみに制作はキティフィルムで同時上映が
『うる星やつら オンリー・ユー』(監督・押井守)である。
このドラマの演出を務めたのは石坂(宮本)理江子である。
彼女も演出デビュー作だったようだ。
この二人のコンビは後に『それでも、生きてゆく』(2011)『最高の離婚』(2013)にも関わることになる。
宮本理江子は、脚本家山田太一(1934年6月6日生れ)の娘である。
山田太一は、元々映画監督になるために松竹に助監督として入った経緯がある。
そちらの道は叶わなかったが、娘がかなえた。
(宮本理江子の映画監督作品は2006年の『チェケラッチョ』)
山田太一は第2回向田邦子賞の受賞者で、対象作品は『日本の面影』である。
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)と妻の小泉セツを描いたドラマである。
小泉八雲役はジョージ・チャキリスが演じた。
妻の小泉セツは檀ふみが演じた。
![](https://ima.xgoo.jp/column/img2/ryujo/SY03.jpg)
(『ウェストサイド物語』のジョージ・チャキリス イラストby龍女)
連続ドラマの脚本のデビュー作は『同・級・生』(1989)
最初の代表作『東京ラブストーリー』(1991)と柴門ふみ原作作品の脚色を手がけた。
偶然かもしれないが、この2作品の主演俳優は、とんねるずの二人と結婚している。 (『同・級・生』の安田成美は1994年に木梨憲武と結婚、『東京ラブストーリー』の鈴木保奈美は石橋貴明と再婚し離婚している)
デビュー作で自分と同世代の女性を描けた事がフジテレビがターゲットにしたい視聴者層と一致したのが大きかった。
しかし脚本家デビューがほぼ大卒の新入社員と同じ23歳であったことが90年代後半の失速を招く。
脚本家が嫌になったそうだが、要するにこれまで短い人生にストックしておいた引き出しがなくなってしまった。
しかし、坂元裕二の第2の飛躍はこの低迷期にあった…。