「待たせたな!」『鎌倉殿の13人』ラスボス三浦義村役の山本耕史は、年齢=芸歴の全身俳優!主役の小栗旬もかなわないワケとは?

2022/12/16 17:00 龍女 龍女

皆さんは
「ゴロウちゃん」
と言うと、誰をイメージするだろうか?
筆者の世代は、SMAPの稲垣吾郎(1973年12月8日 生れ)だ。
母の世代は新御三家の野口五郎(1956年2月23日)である。

山本耕史は『新選組!』(2004年)の共演後に、主役の近藤勇を演じた同学年のSMAPメンバーの香取慎吾(1977年1月31日 生れ)と親友になった。
団塊ジュニア世代を代表するスーパーアイドルと同世代とは、きわめて強運と言えるかもしれない。

山本耕史は、子役時代に2世代前のスーパーアイドルの野口五郎と共演している。
それがあの大ヒットミュージカル『レ・ミゼラブル』の日本版の初演の1987年であった。
少年兵ガブローシュが11歳の山本耕史で、後半の副主人公?と言えるマリウスが野口五郎だった。
筆者は日本版の『レ・ミゼラブル』は観劇しているが、1989年の3年目の舞台だったので、山本耕史はガブローシュ役を卒業した後であった。


(『レ・ミゼラブル』日本版初演のガブローシュ イラストby龍女)

イラストの元になった写真のコメント欄の記述には、小学生時代の山本耕史はすぐ上の世代のジャニーズアイドルの少年隊に憧れていたことが窺える。
理由がCMで東山紀之(1966年9月30日生れ)に直接会ったからとは、彼ならではだ。

しかし、公にはなっていないが恐らく野口五郎にも大きな影響を受けたのではないかと思う。
マリウスは、フランスの七月革命の若きリーダー役でいつか演じたいと思うようになった。
2003年には念願のマリウス役を演じている。

アマゾンプライム配信番組の『ザ・マスクド・シンガー』シーズン2に山本がHEROとして出た時に、元BOΦWYの布袋寅泰モデルのギターを持って『マリオネット』を歌っていた。
布袋寅泰より前の時代にヴォーカル・ギターで評価された人物は実は野口五郎だ。
専門誌『ギター・マガジン』2022年5月号の表紙は70年代後半に野口五郎が海外で撮られた写真である。
『真夏の夜の夢』(1979年発表。松任谷由実の1993年の同名異曲がある)の『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ)でパフォーマンスした時に間奏部分でギターを弾いている様子が一番検索しやすい動画である。

筆者が初めて買ったアルバムはBOΦWYの『PSYCHOPATH』だ。
山本耕史と同い年である。
どれだけBOΦWYがスーパーバンドだったか、肌で分る。
現場で音楽に触れていた山本耕史が布袋寅泰に憧れるのは当然の流れだ。

そして俳優としても覚醒した作品が
『RENT』(日本版初演は1998年9月)である。


(『RENT』マーク イラストby龍女)

10代の頃から、周囲からは一目置かれる俳優だったが、本人に自覚が生れたのはこの作品だったそうだ。
作者のジョナサン・ラーソン(1960~1996)がブロードウェイで開幕する前に急逝したために伝説化したミュージカルでもある。
このミュージカルは、プッチーニの名作オペラ『ラ・ボエーム』を90年代初頭のNYに置き換えて、貧乏だが自分の表現を作ろうとする若きアーティスト達の群像劇だ。
RENTとは家賃のことで、NYは世界有数の家賃の高さで知られる。
二人以上が家賃を折半して、シェアして住むのが一般的らしい。
特にこれからの若者が生きた90年代初頭にはエイズという病が蔓延して、医療費も保険がないために高額になる。
家賃を滞納してギリギリの生活に追い込まれる。

山本耕史は舞台となった時代はまだ少年だった。
20代を迎えて自分が社会人としてどの仕事を選ぶか?
大きな指針になったそうだ。
これを機にNYに行き英語を覚え元々あった音楽的才能も加わった。

遂にTVでも当たり役を得る。
それはある日本のオリジナルミュージカルの出演がきっかけだ。
三谷幸喜演出・脚本の『オケピ!』(初演は2000年6月)である。
三谷幸喜は稽古中、山本耕史の女性との接し方を観て、大河ドラマのあの役に抜擢すること思いつくがそれはまた別の話である。

山本耕史の分岐点となった『RENT』の作者ジョナサン・ラーソンがその前に書いていた自伝的ミュージカル『tick,tick…BOOM! 』(初演は2003年6月)では主役のジョナサンを演じた。
3回目の舞台になった2012年の9月の再演では、演出・振り付け・翻訳も担当するなど、舞台俳優としてスキルアップした。


もう一つ人生の分岐点になった舞台がある。
エミリー・ブロンテ唯一の長編小説を舞台化した『嵐が丘』(2015年5月)だ。

ここで連ドラ『アタシんちの男子』(2009年)と三谷幸喜のSPドラマ『我が家の歴史』(2010年)以来3度目の共演となったのが、堀北真希(1988年10月6日生れ)である。
この舞台の役は、山本がヒースクリフで、堀北がキャサリン・アーンショウだ。
イギリス・ヨークシャーの荒涼とした大地を舞台に二つの名家である
リントン家とアーンショウ家をめぐる3代にわたる物語である。
物語の発端は、アーンショウ家に都会から身寄りのない少年ヒースクリフがやってくるところから始まる。
ヒースクリフと、アーンショウ家の令嬢キャサリンは密かに愛し合う様になるが、結局キャサリンはリントン家のエドガーと結婚して、ヒースクリフが復讐するところから波乱の物語は展開する。

この有名なメロドラマは、後世に多大な影響を与えているが、時事ネタとしては先日亡くなった吉田喜重監督が舞台を日本に置き換えて1988年に松田優作と田中裕子で映画化しているくらいで記述は止めておこう。

この共演をきっかけに、山本耕史はそれまで数々の女優と浮名を流していたが、堀北真希と結婚するに至った。
『鎌倉殿の13人』で三浦義村が源実朝(柿澤勇人)に帝王学として女の口説き方を教えているシーンがあった。
「女はフラれてからが勝負です」
と言う台詞は、この時の堀北への怒濤のアプローチ(40通のラブレター)を踏まえた三谷幸喜ならではの当て書きである。

山本耕史は、舞台俳優としてのキャリアを中心として活動している。
日本の俳優の歴史を考えると、これは正統派の俳優の行程をたどっているとも言えよう。
しかし、舞台だけで俳優は食べてはいけないのも事実である。
自分の名前で舞台へ観客を呼ぶためには、他のジャンル特にTVドラマに出ることは不可欠になってくる。
TV局のプロデューサーは舞台を観て無名の舞台俳優から主役脇役問わずスターを発掘するのは仕事といっても過言ではない。
そこで、次はTVドラマでの山本耕史の活躍を観ていこう。

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