小池栄子が『鎌倉殿の13人』で北条政子を演じることになったのは「東大寺の大仏に似ている」から?「大仏にそっくり」の裏の意味とは?

2022/12/2 17:00 龍女 龍女

1181年1月15日(治承4年12月28日)、平重衡が南都を焼き討ちにした。
東大寺と興福寺は壊滅的な打撃を受けたのだ。
後白河法皇は、俊乗房重源(ちょうげん)を大勧進職に任命し、大仏や諸堂の再興に当たらせた。

1185年4月の壇ノ浦の戦いの後、頼朝の怒りを買った義経。
10月には後白河法皇から頼朝追討の宣旨を受けて挙兵するが失敗する。
義経は、世話になった奥州藤原氏の都・平泉へ逃れるのに山伏の変装をしたらしい。
この時期の山伏の旅の目的が、東大寺の再建を募る書状いわゆる「勧進帳」を持って、資金を集めることだった。
歌舞伎十八番の一つ、『勧進帳』とは、そういう前提で成り立っている芝居だ。
それほど東大寺の再建は、国を挙げた大事業だった。

その時、東大寺の再建に多くの資金を提供したのが
北条政子の夫源頼朝(1147~1199)であった。
1185年には、東大寺の大仏殿は後白河法皇らの列席の下、大仏開眼法要。
1190年には、上棟式が行われた。
1195年には再建大仏殿が完成した。
源頼朝らの列席の下、落慶法要が営まれた。

つまり、藤原兼子が「東大寺の大仏にそっくり」と褒めたのは
「東大寺を再建してくれてありがとう。これからも都の建物が壊れて再建する様な事があったら、またお金出してね」
と再建資金のおねだりをしていたのだ。


(東大寺の大仏 イラストby龍女)


つまり、仏像の歴史から観ると、鎌倉時代とは古い技術を再現するために新しい技術の助けを借りたまさしく仏教のルネサンス(復興)期であった。
最初の東大寺の開眼法要に列席したのは、聖武上皇と共に孝謙天皇(718~770)だった。
孝謙天皇は聖武の娘である。
奈良時代は女性天皇が政治上のトップだった。
鎌倉時代は武士の女性が事実上のトップになった。
東大寺は奈良時代に六十六ヶ国との国府におかれた国分寺の総本山として建立された。
つまり、「東大寺の大仏にそっくり」とは「日本一の女」と言っているにも等しい。

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の主人公は北条義時だ。
しかし、義時を主役に導いたのは間違いなく姉の政子が源頼朝の妻だったからである。
ドラマの副主人公とも言うべき政子は、日本一の仏像顔の俳優・小池栄子にふさわしいのだ。


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