横浜流星が映画『線は、僕を描く』で主役に選ばれたのは空手の達人だから?来年『巌流島』で演じる宮本武蔵にもヒントがあった!?

2022/10/28 17:00 龍女 龍女

宮本武蔵(1584~1645)は昭和に入り
特に吉川英治(1892~1962)が書いた小説『宮本武蔵』(初版1939年)の影響でよく知られた部分が大きい。


(有名な宮本武蔵の肖像画の模写 イラストby龍女)

平成になってからは吉川英治の小説を元にした
漫画家井上雄彦(1967年1月12日生れ)のバガボンド(講談社『モーニング』1998~2015年休載。以降不定期連載。既刊37巻)の影響で知名度は高い。

今回の横浜流星の主演舞台はマキノノゾミ(朝ドラ『まんてん』の脚本家)のオリジナルで、巌流島で戦った宮本武蔵と佐々木小次郎を描くクライマックスは吉川英治の小説の影響を受けているようだ。
吉川が創造した架空の人物(本位田又八やお通など)は登場せず、再構築された構成のようだ。
演出は堤幸彦(1955年11月3日生れ)である。


(舞台『巌流島』宣材写真の横浜流星 イラストby龍女)

さて、吉川英治が書いた宮本武蔵のイメージが強い人には野暮かもしれないが、宮本武蔵が剣術で本当に強かったどうかは史実的には疑問点が多い。
宮本武蔵の主な経歴については、実は最も信用できる文献は
養子である宮本伊織が書いた小倉碑文
後述する武蔵本人が書いた著書しか存在しない。

特に「60戦無敗」だったと知られるのは、出典は本人の著書によるものだ。
字面通りならばスゴいが、格闘家の言動は自慢か法螺になる傾向があるので、そのまま信用出来ない。

しかも宮本武蔵が参戦した有名な戦い『関ヶ原の戦い』(1600)では西軍側、『島原の乱』(1637~1638)はおそらく前半戦の幕府軍側であったので、それをカウントすると、2敗した可能性がある。
特に初老を迎えて参戦した『島原の乱』では一揆側の農民に石を投げられてずっこけたらしいので、もしかするとこれが晩年の隠遁の原因の一つになっているかもしれない。
それでも武蔵が「60戦無敗」と称しているのは、「決闘」に限っての話だと考えた方が良いらしい。

それでも、実証として残る宮本武蔵のすごさは
著書である五輪の書
彼が描いたとされる水墨画の評価が高いからである。

宮本武蔵が描いた水墨画は4点、国宝の次に価値が高いとされる「重要文化財」になったものがある。

では何故宮本武蔵は水墨画を描いたのだろう。
それは剣術の修行の一貫であったらしい。
水墨画は筆の濃淡だけで一発勝負で描いていく技法だ。
これは一発勝負で短い時間で勝敗が決まる剣術と同じ集中力が求められるからである。
剣術に限らず、格闘技全般にも当てはまる。
つまり水墨画は、芸術表現の中でも最も運動能力を必要とする。

筆者は、中学時代美術部の顧問の先生から
「美術は肉体労働だ」
と教えられて、体育が苦手だった筆者は画家にはなれないだろうと半ば諦めた。

横浜流星は、もし井上雄彦の『バガボンド』を実写化するとしたら、一番武蔵役に近いだろうと思う。
風貌がそっくりだ。
井上雄彦は、宮本武蔵に触発されて水墨画展も開いている。

横浜流星はこれから大河ドラマの主演俳優の候補に入りそうな恵まれた資質を持っている。
青春映画とは、何者かになろうとする若者がその第一歩を踏み出したかけがえのない瞬間を描いている。
その表現としての水墨画は、先人の教えを請うて自分とは何かを教えてくれる修行だ。
美しい肉体の動きによって繰り広げられる映画向きの題材であった。
今しかない瞬間を閉じ込めた青春映画の素晴らしさを是非大画面の映画館で体感して欲しい。


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