崖が好きな刑事役?秋元康企画ドラマ『警視庁考察一課』の主役・船越英一郎が「2時間ドラマの帝王」と呼ばれる謎の鍵は共演の山村紅葉にあった!

2022/10/21 17:00 龍女 龍女

船越英一郎は、俳優で実業家の船越英二(1923~2007)の長男で、
「船越栄一郎」として、1960年に誕生した。
(1997年に現在の芸名に改名したので、以下「英一郎」に統一)


船越英二こと本名・船越榮二郎は、元々俳優志望ではない。
専修大学の経営学科出身のインテリなので、堅実な仕事を志していた傾向を感じる。
後にスターになった人あるあるで、勝手に友人に応募書類を送られて合格してしまったパターンの人であった。

大映(現KADOKAWA)の第2期ニューフェイス(1947年)合格から、専属(倒産する1971年まで)であった。
日本映画全盛期を支えた名優の一人でもある。

筆者がリアムタイムで知っている船越英二とは
「おじいちゃん、お口臭い」
という子役の台詞が印象的だった1988年の小林製薬のポリデントのCM
『暴れん坊将軍Ⅲ』(1988年)からレギュラー(1997年まで)になった「爺」こと田之倉孫兵衛役を演じる、お爺さん俳優であった。

渋谷系の音楽が流行った90年代半ばに、昔の映画を再評価する向きがあった。
渋谷系の代表格の一人、ピチカート・ファイブの小西康博(1959年2月3日生れ)がハマったと紹介したのが
船越英二が、妻と9人の愛人に殺されそうになるTVプロデューサー風松吉を演じた
市川崑監督の『黒い十人の女』(1961年)である。
船越英一郎も、TVプロデューサーと9人の愛人という設定は同じ、バカリズムのオリジナル脚本で深夜ドラマとしてリブートした『黒い十人の女』(2016年9月~12月)で父と同じ役の風松吉を演じた。


父英二は、英一郎が5歳の頃(1965年)に、神奈川県の湯河原温泉に会員制旅館
「ふなこし」を開業した。
父英二は、自分が当初俳優である事を伝えなかった。
俳優という職業が持つ経済的に不安定な要素を熟知していた。
あくまでも息子には旅館の跡継ぎになって欲しいと思っていた。

しかし、英一郎は進学先に日本大学芸術学部映画学科を選んだ。
元々は映画監督志望であった。
俳優として、1982年にデビュー。
80年代は脇役として着実にキャリアを積んでいた。
1988年の4月~9月の朝ドラ『ノンちゃんの夢』ではヒロイン(藤田朋子)の初恋相手を演じるなど、若手俳優としても順調な出世街道を歩み始めていた。
一方で、1986年にロックミュージカル劇団「MAGAZINE」を結成、主宰となる。
脚本と演出を担当し続けた成果として、1997年に戯曲集「BRAKERS」を出版した。

船越英一郎が、2時間ドラマの常連になり始めたのは、
1989年に始まった片平なぎさ主演の『小京都ミステリー』(日テレの火曜サスペンス劇場)シリーズの存在が大きいだろう。
フリーライターの柏木尚子(片平なぎさ)とカメラマンの山本克也(船越英一郎)が取材先である、日本各地の「小京都」で起こる難事件を解決していく。

片平なぎさ(1959年7月12日生れ)は大映ドラマ制作
『スチュワーデス物語』(1983~1984)での
ヒロイン(堀ちえみ)をいじめる役が話題になった。
大映テレビが、片平なぎさを主役に据えた2時間ドラマとして企画された。
作品の相手役に選ばれたのが、同じホリプロ所属の船越英一郎であった。
父の船越英二は俳優として初期はヒロインの相手役が多かった。
父親の資質によく似ている。
相手役としての船越英一郎を観ると、リアクションの演技が上手い。
主宰する劇団のコンセプトにしたほど好きなロックのリズムが体に染みついている。
間が良かった。

片平なぎさは神田正輝を相手役に
大映テレビ制作『赤い霊柩車』(フジテレビ 1992~)等
他にも人気シリーズを複数抱えていたから
2時間ドラマの女王と呼ばれた。

この順番は重要で、ではそれに対して
「じゃあ、2時間ドラマの帝王って誰だ?」
と言う疑問がでたときに、一つの仮説として浮上した名前が船越英一郎だった。

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