東京都庁やディズニーランドの場所は以前何があったのか昔の航空写真で調べてみた

2014/7/9 19:00 服部淳 服部淳



どうも、服部です。goo地図の「昭和22年地図」「昭和38年地図」など古地図(というか航空写真)を使って、現代の東京昭和の東京を比較していくという企画第2弾です(第1弾はこちら)。今回は、現在の東京の有名スポットがある場所に以前あった“意外なモノ”をテーマに紹介していきたいと思います。



●サンシャイン60

まずは結構有名どころから。1978年(昭和53年)に完成し、1990年(平成2年)に東京都庁が完成するまでの間、日本一高いビルとして知られた「サンシャイン60」です。上空からの写真なので高さがわかりにくいですが、画像の左端、ほぼ中央にある建物がそれです。

この「サンシャイン60」ができる前にこの場所にあったものとは……。








これはご存じの方が多いかと思いますが、米軍管轄下時代に「巣鴨プリズン」と呼ばれた「巣鴨刑務所(後に東京拘置所)」です。

第二次大戦での日本の戦犯を裁いた極東国際軍事裁判(東京裁判)で有罪になったが囚人たちが収容され、東條英機元首相ら死刑囚が処刑された場所として知られています。その後、1970年代初頭まで使われていました。

ところで東京に詳しい人なら、なんで池袋駅近くにあり、住所は「豊島区東池袋」なのに「巣鴨」って名前なの、と思うかもしれません(巣鴨はJR山手線で池袋の2つ先の駅)。実は、住所が「豊島区東池袋」になったのは1966年(昭和41年)のこと。それまでは「豊島区西巣鴨」という住所だったので、「巣鴨」だったわけです。

ちなみに、この場所を「昭和22年地図」で見てみると……




周辺の建物が少ないものの、「巣鴨プリズン」自体はほとんど変化が見られませんでした。東條英機元首相らが処刑されたのは、この翌年の1948年(昭和23年)12月なので、出廷中でなければ、この中にいたんでしょうね。





●東京都庁舎

続いては、1990年(平成2年)に完成し「日本一高いビル」の座を「サンシャイン60」から奪い取った張本人の「東京都庁舎」。ほぼ真上からの撮影だったのか、ほとんど都庁であるかはわからないのですが、都庁です(地図表記を重ねておきました)。

この場所を「昭和38年地図」で見てみると……。








プールが並んだように見えるこれ、「淀橋浄水場」という浄水場です。341,743.88m²あったので、なんと東京ドーム731個分の広さ。

「東京都庁舎」は新宿駅から徒歩10分の場所にあるので、なぜこんな一等地にデッカイ浄水場があったのかというと、浄水場が完成したのは1898年(明治31年)。新宿が人気の住宅街となるのは、1923年(大正12年)の関東大震災後なので、一等地になるずっと前から存在していたからなのです。

ただ、やはり一等地にこんな大きい浄水場はもったいないと、1932年(昭和7年)に東村山市への移転を前提とする都市計画が決定されました。で、実際に「淀橋浄水場」の役目が終了するのは、計画から33年後の1965年(昭和40年)。その跡地は、新宿副都心として「東京都庁舎」を含む高層ビルが建ち並んだのはご存じのとおりです。



●東京ドーム

今度は読売ジャイアンツの本拠地「東京ドーム」。1988年(昭和63年)に開場の、日本初のドーム球場です。

「東京ドーム」以前にこの場所にあったものとは……。





そんなの「後楽園球場」だろ~、と思われた方は残念!!




「東京ドーム」ができる前にあったものとは、「後楽園競輪場」でした。

1949年(昭和24年)に都営の競輪場として開設。全国一の売上を誇る競輪場となりましたが、美濃部亮吉都知事時代に都営ギャンブルの廃止が決まり、1972年(昭和47年)を最後に競輪場としての役目を終えました。

その後は「後楽園ジャンボプール」として改装されますが、やがて取り壊され、1985年(昭和60年)5月から東京ドームの建設が始まりました。

「後楽園球場」の取り壊しが開始されたのは、1987年(昭和62年)11月なので、「後楽園球場」と「東京ドーム」は2年半ほど併設していたことになります。



なお「昭和22年地図」には……。




「後楽園競輪場」はまだありませんでした。



●東京ディズニーリゾート

最後は、みんな大好き「東京ディズニーリゾート」。ご存じ千葉県浦安市にある1983年(昭和58年)開園の「東京ディズニーランド」、2001年(平成13年)開園の「東京ディズニーシー」、周辺のリゾート・ホテルなどからなるリゾート施設のことです。

地図でいうと、画像ほぼ中央にある楕円形の方が「東京ディズニーランド」、その右下に位置するのが「東京ディズニーシー」です。

では、この「東京ディズニーリゾート」ができる前には何があったかというと……。











海でした。立派な三角州ですね。旧江戸川河口のこの三角州は、「大三角(おおさんかく)」と呼ばれていたそうです。ちなみに、昭和22年も昭和38年もほぼ同じだったので、航空写真の見栄えの良かった昭和22年地図を使っています。

この場所の埋め立てが始められるのは、ちょうど昭和38年のことだったそうです(恐らく、航空写真が撮られた後)。公害により漁業ができなくなったため、この場所を埋め立て、遊園地を建設することに決めたのだそうです。

が、当時は「ディズニーランド」ができるとは全く決まっていませんでした。「ディズニーランド」を誘致しようと決まったのが1974年(昭和49年)、実際に「東京ディズニーランド」の建設が開始されたのは、埋め立て開始から18年後の1981年(昭和56年)のことでした。

(服部淳@編集ライター、脚本家)



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