昭和と現代の航空写真を比較すると面白い

2014/6/13 18:18 服部淳 服部淳


はじめまして、服部です。ウェブの編集をやったり、文章書いたり、脚本を書いたりしてます。その昔は海外旅行のガイドブック制作をしたりしてました。

ところでみなさん、goo地図って使ってますか?



意外と知られてないんですが、goo地図では「昭和22年地図」や「昭和38年地図」など古地図(というか航空写真)を表示することができるんです。東京の一部に限りますけど。

他にも明治時代の地図(こちらは普通の地図です。さすがに)、江戸時代の切地図もありますが、そちらはまたの機会に。




で、その古地図、どんな感じかというと、










昭和22年地図です。白黒です。

昭和22年(1947年)といえば、太平洋戦争が終わってわずか2年後。 ここは千代田区の内神田なんですが、空襲で焼けたんでしょうか、東京駅まで徒歩圏内の一等地なのに、でっかく空き地になってます。

ちなみに、現在の地図表示を重ね合わせて、このように表示することもできます。






で、で、何をしたいかというと、この昭和22年地図と昭和38年地図という2種類の古地図と、現在の地図を比較して、東京の街の移り変わりを見ていこうじゃないかと思うわけです。

では早速、、、




まずは日本橋。

東京を代表する有名な橋のひとつです。

Wikipediaによると、

“東京都中央区の日本橋川に架かる国道の橋。日本の道路元標があり、日本の道路網の始点となっている。橋梁としては現在19代目にあたる。石造二連アーチ橋で橋の長さ49m、幅27m……”

1603年に架けられてから、度重なる火事により何度も架け替えられ、現在の19代目の橋は明治44年(1911年)に架けられたものなんだそうです。

で、ご存じのように、現在では橋の上を首都高速が通っていて、



このように航空写真では、ほぼ見えない状態になってます。

しかし、同じ場所を昭和22年地図で見てみると、











じゃ~ん。全開。。。これが上空から見た日本橋です。車道が5車線(現在)あるだけに、幅広い。全然クルマ走ってないけど。


そして、次は昭和38年(1963年)、











おっと、これは……。



そうなんです、ちょうど首都高速の建設工事が行われているところだったようです。日本橋の直上に首都高速が架かったのが、この昭和38年。翌年の昭和39年(1964年)に開催される東京オリンピックに備えて、街が急ピッチで整備されたころでした。





続いては、お台場です。



お台場といえば、レインボーブリッジが架かり、球体がシンボルのフジテレビ本社ビルがあったり、アミューズメント施設やショッピングモールなどがある、おしゃれスポットとして知られています。

でも、本来のお台場というのは、



これらのことですよね。四角いのが台場、細長いのは防波堤だそうです。

米国のペリー率いる黒船艦隊が、江戸湾へ入港してくるのを阻止しようと大砲を設置した人工島がこの台場です。結局はほとんど無用に終わってしまいましたが。

それでは、このお台場周辺、昭和38年当時はどうだったかというと、








写真がちょっと見づらいですが、埋め立て地が現在よりだいぶ少ないですね。もちろん、レインボーブリッジはまだ存在してません。

そして、中央やや下、防波堤に接して五角形の“何か”があります。

なんでしょう? よく分からないので拡大してみると、



どうやら、材木を浮かべてるっぽいですね。材木を保管する貯木場ってヤツです。 調べてみると、「第三台場貯木場(お台場貯木場とも)」というらしく、昭和30年代前半に作られ、昭和58年(1983年)まであったそうです。

で、さかのぼって昭和22年はどうだったかというと、






なんと、台場がたくさん……。

資料によると、現在残る台場は、右から「第三砲台場」、「第六砲台場」の2つですが、昭和22年当時は、左から「第一砲台場」、「第五砲台場」、「第二砲台場」と計5つの台場が残っていたんです。

ちなみに、第二砲台場は昭和36年に航路を広げるために消滅、第五砲台場は昭和37年に、第一砲台場は昭和38年に埋め立てのため消滅したそうです。



いかがでしたでしょうか?

地図を見比べるだけで、いろいろなストーリーが浮かび上がってきて、結構面白いですよね。みなさんもぜひ!

(服部淳@編集ライター、脚本家)



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