公開中の映画『リスペクト』の主人公で「ソウルの女王」ことアレサ・フランクリンを、アカデミー賞女優のジェニファー・ハドソンが演じることになった理由とは?
③アレサ・フランクリンのすごさってどこにあるのだろう?
アレサ・フランクリンはアメリカの激動の時代に、歌とピアノで時代と戦った女性であった。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第1位に選ばれた(2008年11月27日の特別号)
ロック世代に限ってはいるが、あのビートルズのポール・マッカートニー(1942年6月18日生れ)と同い年であると考えれば、影響力があったことがうかがえるかもしれない。
映画の台詞の中に「Let It Beの歌詞は、カトリック過ぎる」とポールの作詞で登場したマザー・メアリー(英語で聖母マリアのこと。マリア信仰はカトリックに顕著)とあった。
歌詞の内容をとても大事にした上で、1970年のアルバム『This Girl's in Love With You』に収録されている。
(バーブラ・ストライサンド。60年代のCBSのTVスペシャルから引用 イラストby龍女)
1963年にコロンビア・レコードでデビューした同い年のバーブラ・ストライサンド(1942年4月24日生れ)は初主演映画『ファニー・ガール』(1968年)で、アカデミー賞主演女優賞を取った。
今もコロンビア・レコードに在籍する歌姫で俳優のバーブラ・ストライサンド。
(2014年最後のアルバム『Aretha Franklin Sings The Great Diva Classics』のジャケット写真から引用)
ブロードウェイミュージカルから映画化化された『ファニ-・ガール』からの代表曲『ピープル』のカバーを2014年の最後のアルバム『Aretha Franklin Sings The Great Diva Classics』に収録した。
遡ること、1969年の第41回アカデミー賞の授賞式で歌曲賞の候補になり、題名曲『ファニ・ガール』のパフォーマンスをしたのは他ならぬ、アレサ・フランクリンである。
バーブラは、1967年以降、脅迫などの被害もあって舞台を避けていたための代役であった。
2018年8月16日に膵臓癌で、アレサ・フランクリンは亡くなった。享年76。
この日は奇しくも 1977年に亡くなった『キング・オブ・ロックンロール』エルビス・プレスリーの命日と同じだ。
まさにロック世代の女王だったのだ。
(2018年のバーブラ・ストライサンド イラストby龍女)
バーブラ・ストライサンドは、アレサが亡くなった当日の公式ツイッターに写真を掲載した。
(筆者の専用ツイッターでリツイートしていますので、参考までに)
作曲家マーヴィン・ハムリッシュ(1944~2012)のトリビュートパフォーマンスで共演した時に一緒に写した時である。
マーヴィン・ハムリッシュとバーブラ・ストライサンドと言えば、映画『追憶』(1973年)の作曲者と主演で主題歌を担当した関係である。
アレサに関係しているのは、映画の最後に再現された『アメージンググレイス』を撮影し、『追憶』を監督したのがシドニー・ポラック(1934~2008)である。
この写真を観ていると、色々あったが、同じ時代を生きた戦友としての感慨がある。
彼女たちはどちらも女性の地位向上に貢献した偉大な先輩だ。
ジェニファー・ハドソンは、『ドリームガールズ』で共演した
(2000年代を代表する歌姫・ビヨンセ イラストby龍女)
ビヨンセ(1981年9月4日生れ)と同い年である。
ビヨンセも女性のロールモデルとして活動している。
バーブラ・ストライサンドと同じく、コロンビア・レコードの所属で、移籍したことはない。
2008年にバーブラ・ストライサンドがケネディ・センター名誉賞に選ばれた、その授賞式。
追憶を歌ってトリビュートしたのが、ビヨンセである。
アレサは、『ドリームガールズ』のエフィとディーナに、アレサ自身とバーブラを重ねた。
(『ドリームガールズ』屈指の名曲『And I Am Telling You I'm Not Going" 』を熱唱するジェニファー・ハドソン イラストby龍女)
エフィは、劇中のレコード会社レインボーを解雇されて、怒りのあまり歌い上げる。
アレサと同じく聖歌隊で鍛えたジェニファー・ハドソンの叫ぶ歌声が胸を打つ。
これこそ、ジェニファー・ハドソンが指名された理由であったと、筆者は考えている。
参考文献:デヴィッド・リッツ著 アレサ・フランクリン リスペクトシンコーミュージック
※最新記事の公開は筆者のFacebookとTwitterにてお知らせします。
(「いいね!」か「フォロー」いただくと通知が届きます)
アレサ・フランクリンはアメリカの激動の時代に、歌とピアノで時代と戦った女性であった。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第1位に選ばれた(2008年11月27日の特別号)
ロック世代に限ってはいるが、あのビートルズのポール・マッカートニー(1942年6月18日生れ)と同い年であると考えれば、影響力があったことがうかがえるかもしれない。
映画の台詞の中に「Let It Beの歌詞は、カトリック過ぎる」とポールの作詞で登場したマザー・メアリー(英語で聖母マリアのこと。マリア信仰はカトリックに顕著)とあった。
歌詞の内容をとても大事にした上で、1970年のアルバム『This Girl's in Love With You』に収録されている。
(バーブラ・ストライサンド。60年代のCBSのTVスペシャルから引用 イラストby龍女)
1963年にコロンビア・レコードでデビューした同い年のバーブラ・ストライサンド(1942年4月24日生れ)は初主演映画『ファニー・ガール』(1968年)で、アカデミー賞主演女優賞を取った。
今もコロンビア・レコードに在籍する歌姫で俳優のバーブラ・ストライサンド。
(2014年最後のアルバム『Aretha Franklin Sings The Great Diva Classics』のジャケット写真から引用)
ブロードウェイミュージカルから映画化化された『ファニ-・ガール』からの代表曲『ピープル』のカバーを2014年の最後のアルバム『Aretha Franklin Sings The Great Diva Classics』に収録した。
遡ること、1969年の第41回アカデミー賞の授賞式で歌曲賞の候補になり、題名曲『ファニ・ガール』のパフォーマンスをしたのは他ならぬ、アレサ・フランクリンである。
バーブラは、1967年以降、脅迫などの被害もあって舞台を避けていたための代役であった。
2018年8月16日に膵臓癌で、アレサ・フランクリンは亡くなった。享年76。
この日は奇しくも 1977年に亡くなった『キング・オブ・ロックンロール』エルビス・プレスリーの命日と同じだ。
まさにロック世代の女王だったのだ。
(2018年のバーブラ・ストライサンド イラストby龍女)
バーブラ・ストライサンドは、アレサが亡くなった当日の公式ツイッターに写真を掲載した。
(筆者の専用ツイッターでリツイートしていますので、参考までに)
作曲家マーヴィン・ハムリッシュ(1944~2012)のトリビュートパフォーマンスで共演した時に一緒に写した時である。
マーヴィン・ハムリッシュとバーブラ・ストライサンドと言えば、映画『追憶』(1973年)の作曲者と主演で主題歌を担当した関係である。
アレサに関係しているのは、映画の最後に再現された『アメージンググレイス』を撮影し、『追憶』を監督したのがシドニー・ポラック(1934~2008)である。
この写真を観ていると、色々あったが、同じ時代を生きた戦友としての感慨がある。
彼女たちはどちらも女性の地位向上に貢献した偉大な先輩だ。
ジェニファー・ハドソンは、『ドリームガールズ』で共演した
(2000年代を代表する歌姫・ビヨンセ イラストby龍女)
ビヨンセ(1981年9月4日生れ)と同い年である。
ビヨンセも女性のロールモデルとして活動している。
バーブラ・ストライサンドと同じく、コロンビア・レコードの所属で、移籍したことはない。
2008年にバーブラ・ストライサンドがケネディ・センター名誉賞に選ばれた、その授賞式。
追憶を歌ってトリビュートしたのが、ビヨンセである。
アレサは、『ドリームガールズ』のエフィとディーナに、アレサ自身とバーブラを重ねた。
(『ドリームガールズ』屈指の名曲『And I Am Telling You I'm Not Going" 』を熱唱するジェニファー・ハドソン イラストby龍女)
エフィは、劇中のレコード会社レインボーを解雇されて、怒りのあまり歌い上げる。
アレサと同じく聖歌隊で鍛えたジェニファー・ハドソンの叫ぶ歌声が胸を打つ。
これこそ、ジェニファー・ハドソンが指名された理由であったと、筆者は考えている。
参考文献:デヴィッド・リッツ著 アレサ・フランクリン リスペクトシンコーミュージック
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