公開中の映画『リスペクト』の主人公で「ソウルの女王」ことアレサ・フランクリンを、アカデミー賞女優のジェニファー・ハドソンが演じることになった理由とは?

2021/11/16 23:00 龍女 龍女

②映画『リスペクト』あらすじ(後半)

レコード会社を移籍して、ブレイクして時代の激しい波と戦う時期を描く。


アトランティック・レコードの事務所、リーを歓迎したのは、


(ジェリー・ウェクスラーと演じたマーク・マロン イラストby龍女)

幹部でプロデューサーのジェリー・ウェクスラー
入社前、ビルボード誌の編集者時代、アフリカ系向けの音楽をレイス・ミュージック(人種音楽)から、
リズム・アンド・ブルースと新しい音楽用語を作った。
ジェリー・ウェクスラーは、リーに好きなようにやって良い、ただし、ニューヨークでは無く、良いスタジオがあるからとある場所を紹介した。

1967年1月24日、アラバマ州のマッスルショールズにあるフェイム・スタジオ。
移動中の車窓でみえたのは、綿花畑で働いているアフリカ系の労働者。
奴隷制を敷いていた南部は、南北戦争で敗れた後も、まだ地主と小作人の関係で人種隔離と格差が残っていた。
スタジオの駐車場に着くと、車のそばに白人の男達がたばこを吸っている。
テッド・ホワイトが誰かと尋ねると、このスタジオで働いているミュージシャンだと答えた。
アトランティックレコードが全米配給先として、提携したローカルレーベル・スタックスの本拠地だ。
テッド・ホワイトとリーは、60年代の前半から大ヒットを飛ばしたサザンソウルの本拠地のミュージシャンの殆どが白人だという事実に驚いた。


(レコーディングでピアノで弾き語りをするアレサを再現したジェニファー・ハドソン イラストby龍女)

彼らは楽譜が読めず、ジャム・セッションをしながらその場でアレンジをする。
紅一点のリーは、元々の内気さがあったので、最初は警戒気味だった。
ピアノを弾いた途端、周りのミュージシャン達は彼女の実力を認めた。
彼らはテッド・ホワイトが版権を所有していた楽曲
『I Never Loved a Man the Way I Love You』(邦題・『貴方だけを愛して』)のアレンジを開始した。
アレンジが終わって、休憩中にトロンボーン担当が、リーに感心し、肩に手を回した。
受け取り次第では誤解を招く比喩として「セックス」の言葉を使ってしまう。
紳士的だが、妻への独占欲も強かったテッド・ホワイトの逆鱗に触れた。
帰ると言いだした。
何とか引き留めようとモーテルの部屋に、スタジオの所長のリック・ホールが説得しに来る。
お互いに口汚く罵った末に殴り合いの喧嘩になった。
リーはマッスルショールズのスタジオ・ミュージシャンと上手くいっていたのに、台無しにされた。
テッドのニューヨークのアパートメントではなく、実家に戻った。
せっかく、良いシングルが完成したのに、困った。
ジェリー・ウェクスラーは、とりあえず完成したシングルをラジオDJに売り込んだ。

リーは家族とデトロイトで買い物をしていた。
店内のスピーカーからあの曲が流れているのを聴いた。
初めて大きなヒット曲になったことを実感した。

デトロイト郊外の実家の一室にある蓄音機。
アトランティックの先輩歌手、オーティス・レディングの作詞作曲で、シングルとして1965年8月に出た「リスペクト」が流れている。

深夜、実家のピアノの前に立つリー。
耳コピしたメロディを奏でていると、音を聞きつけて、姉アーマと妹キャロリンも起きてリーのピアノに聞き入りながら歌い始める。
コーラスでは「リー、リー、リー、リー」を連呼する。
R-E-S-P-E-C-Tとスペルを強調したり、頭文字で略した慣用表現TOBと歌詞を足した。
キャロリンとの共同作業でアレンジは完成した。

1967年2月8日、ニューヨーク。
リーは、アーマとキャロリンを左右に従えてアトランティックスタジオに乗り込んできた。
ジェリー・ウェクスラーは、トラブルの原因となったリック・ホールを除いたマッスルショールズのスタジオ・ミュージシャンだけをニューヨークに呼んだ。
リスペクトを含めた11曲入りのアルバム『貴方だけを愛して』を含む移籍第1弾アルバムは、大ヒットした。

テッドはリーに謝罪し、やり直すことにした。
ここから、リーの快進撃は始まる。
しかし、テッドは売れれば売れるほど威圧的になり、リーが意見を言おうとすると、平手打ちまでする始末。
二人の間には三男のテッド・ホワイト・ジュニアがいて、母親として子供を残して巡業するつらさもあり、次第に酒に溺れてくる。
妹のキャロリンは、『Ain'tNoWay』と言うリーの葛藤を反映した曲を書いた。

『リスペクト』はビルボードHot100の1位、グラミー賞最優秀R&Bレコーディング賞と最優秀女性R&Bボーカル・パフォーマンス賞を受賞した。
グラミー賞の授賞式では、 スモーキー・ロビンソンもお祝いの挨拶をしてくれた。

彼女の名声を決定づけた3枚目のアルバム『レディ・ソウル』(1968年1月22日発売)にちなんで、
『ソウルの女王』と呼ばれるようになる。

1968年2月16日、地元のデトロイトでは、彼女にちなんで名付けられた日を称えられた。
『レディソウル』の録音の初日から、丸一年の記念日である。
家族ぐるみの友人だったマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師がリーをたたえる演説をしてくれた。

4月4日、ニューヨークのアパートに
「キング牧師が暗殺された」と電話が入った。
ツアーの予定があったが、急遽キング牧師の葬儀に出席することにした。

アトランティックレコードの会議室。
ジェリー・ウェクスラーとテッド・ホワイトが対立する。
ヨーロッパツアーを巡るスケジュール調整だった。
アトランティックは、1967年に大企業のワーナーの傘下に入り、ヨーロッパ部門も強化して売り上げを伸ばしたかった。

ジェリーの説得が功を奏して、ヨーロッパツアーが始まった。
オランダ・アムステルダムのコンサート中、深酒がたたって『小さな願い』を演奏中にステージから転落して怪我を負ってしまう。

テッドに伴われて、会場の階段でインタビューを受けた。
タイム誌は読んだか?
テッドは暴力が写真ですっぱ抜かれて、怒り狂った。
リーは事実だから仕方ないと、テッドに答えて、いよいよ別れを決意する。

パリの満員会場の中で、リーは観客に語りかけた。
「この曲を不当な扱いを受けている人に捧げます」
『Think』のコーラス、
フリーダムと4回繰り返す内、会場の後ろで観ていたテッドはドアの向こうへ去った。
これ以降マネージャーは兄のセシルが担当した。

1970年、リーは、ブラックパンサー党のアンジェラ・デイヴィスの逮捕を不当と観て、自分が身元引受人になるといった公民権活動家でもあった。

ニーナ・シモンのカバーYoung, Gifted and Blackは その頃の活動家のリーを表現する1曲である。


(ライブアルバム『アメージング・グレイス』のレコーディング直前のアレサを演じるジェニファー・ハドソン イラストby龍女)

リーはゴスペルアルバムを企画する。
商業的な成功に疑問を持ったジェリー・ウェクスラーはカメラを持ち込み、ドキュメンタリー映画化を思いつく。

1972年、1月13・14日、ロサンゼルスのニューテンプル ミッショナリーバプティスト教会。
熱唱するアレサの横顔で映画はエンドロールへ。
アルバムは編集され、2枚組のアルバムとして、アレサの生涯で最も売り上げたアルバムとなる。



最後に、あらすじの前半部分に登場したコロンビア・レコードにまつわる話をして、このコラムを終える事にしよう。

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